【NEXUS27】柔術黒帯全日本王者=横山武司「世界一の女を手にいれる価値」的MMA挑戦
【写真】イイ感じの崩れ具合が心地よい会話に通じた――横山武司初インタビューだった(C)MMAPLANET
8日(日)に東京都新宿区のGENスポーツパレスで開催されるNEXUS27で横山武司が十河卓児とMMA二戦目を戦う。
2019年の黒帯フェザー級全日本王者が、独特の感性を持ってMMAに挑む。父、兄と自らの城S/wells柔術ジムを拠点に、「モテる」こと、「MMAファイターに柔術が舐められないため」、将来の教え子に自身の教えに説得力を持たすためにMMAを戦う横山を初インタビューした。
――2019年のJBJJFの全日本フェザー級王者の横山選手、2月のMMAデビュー戦に続き、2戦目が迫ってきました(※取材は5月6日に行われた)。黒帯柔術家でMMAを戦う。ましてや全日本王者級の柔術家がMMAを戦うことは非常に稀です。
「僕はもともと小学生の頃からMMA志向だったんです。空手をやって、柔道をやって、それから柔術を始めて。父はただのプロレス好きなんですけど、30歳ぐらいの時に4歳の僕、6歳の兄と一緒に空手を始めました(笑)」
――家族3人で格闘技を始めたのですね。良い話です。
「でも父は続かなかったんです(笑)」
――アハハハハ。空手のスタイルは?
「僕も小学校6年生で辞めたので、あまり覚えていないのですが――和道流か剛柔流、寸止め空手でした。でも、今になってMMAを始めてその時の経験は役立っていると思うことはあります」
――それでも空手歴8年ということですし。
「小学生になったときに僕は柔道も始めて、父は柔術を習うようになっていました。だから家では白帯とか青帯の父に柔術の技も習っていたんです。僕自身、MMAをしたかったので中学で空手を辞めて、柔術道場に通うようになりました」
――中学では柔道と柔術を?
「ハイ。家が目黒だったので柔術はパラエストラ渋谷に通っていました。高谷先生と植松先生に習っていましたね。植松先生のクラスでは、嶋田さんや今はカルペディエム鎌倉を運営されている坪井さんとも練習させてもらっていました。僕自身は高校からMMAを始めようと思っていたのですが、中三の時に植松先生がネクサセンスを創って独立されて。植松先生のクラスは強い人がたくさんいたのですが、先生のあとに指導に入られた先生のクラスはあまり人が来なくなって何人が代わりました。
同時に僕自身、DREAMがなくなって『俺の目標がなくなった』なんて感じになっているときに、佐々(幸範)先生がインストラクターになられて。そこから佐々先生の柔術にハマっていったんです。初対面で『お前、挨拶しろよ』とかって怒られたのですが(笑)、先生自身は入れ墨とか入っていて……。最悪の出会いでした。
でもあまりの強さに……15歳で出会って、佐々先生が亡くなったのは23歳の時で。佐々先生に出会っていないとここまで柔術に夢中になることはなかったです」
――佐々選手は独特な感性の持ち主の方でしたね。
「変わり者だったことは確かです。先生がGRABKAで指導をしているときは週に4度は一緒に練習をしていました。そこから先生と湯浅さんの所属ジムが代わり、僕は黒帯を佐々先生から受けたかったのですが、帯の申請の際に嫌な大人の思惑が色々とあって……。そこから佐々先生とも疎遠になってしまいました……。
この時、3~4カ月ほど合わなくて……。結局、パラエストラ渋谷に出戻りのような形で、高谷先生から黒帯をいただきました。そして佐々先生が亡くなる1年半前、2018年にS/wellsをオープンしたんです。
でも2019年に全日本で優勝したときに先生が電話をくれて『俺は色々といい加減で、他の人間にお前のことを任せてしまったのは間違っていた。武ちゃんの言っていることが正しかった。自分のせいで武ちゃんにつらい思いをさせたことに気づいた』と言ってもらえたんです」
――……。
「先生が亡くなる前に、先生の帯じゃないけど黒帯になり、全日本で優勝したことでまた仲が良くなれて良かったです。先生が亡くなったことはつらいし、悲しいし、もっと色々と教えてほしかったですけど、先生自身はずっと『早く死にたい』と言っていて……。以前からそんな感じだったので、亡くなられる前もつらそうではなかったです」
――佐々選手の行く末が、横山選手は見えていたのかもしれないですね。
「とにかく僕は青帯の時に佐々先生に出会い、黒帯の優勝まで見届けてもらった。僕の柔術家人生、格闘家人生はあの時に一つ区切りがついたように思います」
――そしてMMAに回帰したということでしょうか。
「僕、柔術が大好きなんです。カルペディエムの選手も大好きだし、どうしても彼らに勝つという気持ちになれなくて……。全日本を取ったことで、挑戦者のマインドになれなくなってしまったというか……選手のことも業界のことも大好きだから。
でも競技者として挑戦者の気持ちを持ち続けて、練習もしたいし、人として強くなり続けたい。だからMMAに出て、一からハードに練習しようという気持ちになったんです。柔術家が強いことはクレベルとサトシが証明しちゃっているのですが、日本人柔術家が活躍することで、もっと証明できるかなって。あとは正直、モテたいというのがあります(笑)」
――男として、素直な欲望ですね(笑)。NEXUSでMMAデビュー、佐藤将光選手と練習しているというのは?
「以前、現場仕事をしているときに山田代表と知り合って、MMAを戦いたいという相談しました。その時に山田さんが『柔術ができるからキックのジムへ行くというんじゃなくて、MMAの練習をした方が良い』と言って、その場で将光先生に電話をしてくれたんでです。
本当にあそこで将光先生に連絡をしてくれて良かったです。最初はMMAのこと分かっていなかったですけど、2回目の練習をした時には『この人のところでやっていたら間違いない』と思えるようになりました。最高です、将光先生は」
――競技者といて柔術、MMAの比重はどのように考えていますか。
「二足の草鞋じゃないですけど、柔術もMMAも――絶対に一番にならないといけないって考えているわけではなくて。自分の回りの人が幸せになれる範囲で楽しくやって3、4年で国内でトップ3ぐらいになることができればと思っています。一番だけを目指すと、どうしてもしんどくなってしまうのですが、トップの方でいたいです」
――国内トップ3だと、RIZINを目指すと。
「MMAをやると、やっぱりいろんな人からアクションがあって。モテるようになるし。だから――本当に好きな人ができて、幸せになれればMMAは辞めるかもしれないです。道場の会員さんを増やして、安定した生活をして家族と幸せになるという生活に切り替わるかと思います――正直。ただ本気で好きな人が『MMAをやって、UFCで恰好良い姿を見せてよ』って言うなら。『OK、恰好いい姿見せるわ』って絶対にUFCに出ます」
――アハハハ。好きな人と幸せであることが、一番大切ならそれで大正解かと思います。
「僕も佐々先生も漫画が大好きで。なかでも花の慶次のカルロスっていう世界で一番喧嘩が強い人間がいて。そいつは1人の女にこだわって死んじゃうんですけど、『世界の王になることと世界一の女を手にいれることは同じくらい価値のあること』って言うんです」
――おおっ!!
「絶対にそれだって」
――雲のジュウザばりに格好良いですね。
「アハハハハ。柔術は会員さんと一緒に、一生やります。ただ体がピークで動けるのは30歳過ぎまでなので。今はそんな彼女もいないし、柔術のためにMMAもしっかりとやるという感じです。MMAの方が柔術より上とか、言わせないために。
それにある程度MMAで実績を残せば、将来的に白帯の子にも『柔術をやればMMAでも強くなれる』なんていう機会がくると、やっぱり説得力があるじゃないですか。あぁ、僕はそのためにMMAをやっているのかもしれないです。
僕は打撃をやっていたのでMMAも戦えるし、MMAをするのは僕の人生において今だと思っています」
――では日曜日の十河戦、どのような試合をしたいと思っていますか。
「試合のことはずっと考えています……。今回の相手は練習してきた打撃を試す機会だと思っているのですが、きっと試合になるとそんな余裕はなくなるんじゃないかと。それこそ僕が打撃云々なんていうと、MMAを舐めていることになるよなって。だから一番勝つ確率が高くなる戦い方をします。寝技に持ち込んで、寝技で勝ちます」