【Bu et Sports de combat】武術で勝つ。型の分解、ナイファンチン編(01)「武術と格闘技、喧嘩と格闘技」
【写真】サンチンに次にファイファンチンを学ぶ、その故とは (C)MMAPLANET
武術でMMAを勝つ。空手でMMAに勝利する──型を重視する剛毅會の武術空手だが、岩﨑達也宗師は「型と使って戦うということではない」と断言する。型稽古とは自身の状態を知り、相手との関係を知るために欠かせない。
サンチン、ナイファンチン、セイサン、パッサイ、クーサンクーの型稽古を行う剛毅會では、まずサンチンから指導する。そんな剛毅會の稽古には站椿が採り入れられている。
全ての根幹となる武術の呼吸を学ぶことができる──サンチンで創られた、空手の体をいかに使うのか。その第一歩となるナイファンチンの解析を行いたい。第1回となる今回は、ナイファンチという「手っ取り早く喧嘩に強くなる」型を知る前に、改めて武術と格闘技、格闘技と喧嘩の違いについて話を訊いた。
──サンチン、ナイファンチン、セイサン、パッサイ、クーサンクーの型稽古を行う剛毅會ですが、長らく続いたサンチンの連載をひとまず終え、今回からナイファンチの解析に移らさせて頂きます。その前にサンチンは他の型とは性格が違うモノ、その部分を改めて説明して頂けないでしょうか。
「サンチンは空手に必要な精神と肉体を養う、あるいは育むための型です。他の型の稽古をしても、サンチンのレベルが他の全ての型のレベルになるファンダメンタルです。突きが良くない、それはサンチンのレベルが低いことが要因になることもあります。
サンチンを省いて、武術空手の指導はできないです。稽古をする目的がそれぞれなために、全ての教え子にサンチンの型稽古を指導してきたわけではないです。ただしMMAの試合に武術空手を生かしたいのであれば、サンチンの要素を多分に含んだ稽古はやっているので、サンチン自体の稽古をするする必要はないようにしてきました。ミットをやろうが、スパーリングをしようが、それはサンチンをしていることになります。サンチンの考え方でパンチの練習をさせている感じです。そして、サンチンをすることで自ずと突きは強くなります」
──ここでもサンチンのことになってしまいますが、なぜサンチンをすることで突きの威力が増すのですか。
「体が空手の体になるからです。空手の体になることが目的です。では、サンチンで創った体をどのように使うのか。次の段階として、使用方法を学ぶことになります」
──それがナイファンチンということですか。
「格闘技と武術は違います。なので武術という部分の空手を身につけるには、格闘技の練習をしていても身につかないです。エネルギーの運用方法を学ばなければなりません。左側が資金の源泉と、右側が資金の使途と示す資金運用表というものがあります。あれと同じで左がサンチンで、右が他の型という風に考えると分かりやすいです。その右側──エネルギーの使途の第一歩がナイファンチンになります」
──なぜ、ナイファンチンが第一歩になるのでしょうか。
「そこに関しては私が決めた順番ではなく、慣わしに則した形です。流派や先生によってはパッサイから始めるところ、セイサンから始めるところもあるでしょう。
ナイファンチンに限らず、ナイファンチン以外の型でも体の使用方法を学ぶことに変わりないです。サンチンとセイサンは分類上では那覇手なので、この2つを同時に学ぶことはないと言われているようですが、そういう慣わしが伝わるようになったのも琉球王国が廃藩置県で沖縄県となった頃からのようで。それ以前はどうも那覇手も首里手も、泊手もなく、それぞれの先生がサンチンを教え、ナイファンチンを教えるという風で同時に学ぶということがなかっただけで、個人が別の型を学ぶことはあったようです。
剛毅會がサンチン、ナイファンチン、セイサン、パッサイ、クーサンクーの型稽古を行うのは私の先師が決めたようですが、よくできた順番だと思っています。どこからやっても構わないはずですが、私の感覚的に手っ取り早く喧嘩に強くなるにはナイファンチンだと思います」
──喧嘩に強くなるには、ですか。格闘技と武術は別ですが、武術に喧嘩は含まれると。
「格闘技と武術が別であるように、喧嘩と格闘技は別物です。全く違います。実は最近はMMAで勝つために喧嘩のトレーニングを取り入れています」
──喧嘩のトレーニング? 喧嘩はルールなき実戦ではないですか。そこを練習に採り入れるというのは?
「まさに今、喧嘩にルールはないと言われましたよね。つまり、そういうことなんです。喧嘩と格闘技の違い。喧嘩と格闘技は時間、速度が違います。格闘技は強くなればなるほど、スポーツ化していきます。スタミナの配分やジャッジの判定基準を考えるようになり、喧嘩における暴力性と相反する要素が必要となってきます。
喧嘩って本気なんです……本気というか、躊躇ない。躊躇していると、やられます。ヨーイドンがないわけですから。その根底には怒りや恐怖が存在しています。ただし格闘技は本能の発動がないのに戦闘をしないといけない。練習を見ていてもそうですが、人間の
精神は、憎くもない相手を簡単に殴るようにはできていないです。
それが海外の選手なんかは金が掛かって、より良い人生を手にするためには迷うことなく惨たらしいことがちゃんとできます。国内にもいるかもしれないですが、少なくとも私が関わってきた選手たちは、そういうことが不慣れな人間です。松嶋こよみは、まだ全然殴れるほうです。特に若いころは躊躇がなかった。そんな彼でもデビュー当初はボコボコに殴れていても、キャリアを重ねるとそうでないようになってきます。
もちろん、MMAに勝つためにはスタミナ配分も、ゲームプランを実行することも大切です。だから、殺傷能力だけでは勝てない相手と戦うようになると、自ずとボコボコと殴ることがなくなってきます。あるいはより凄い相手に殴られて、イップスのように以前のように殴ることが出来なくなるケースもあります。
よって練習の時にも、石ころを持ってぶん殴ることをイメージさせます。でも、石ころを持ってぶん殴るって殺意のある行為です。剣術や空手が格闘技と違うのは一太刀、一突きが本気でなければ意味がないということなんです。本来、剣術や空手は本気で殺めに来る人間に対して、自分がやられないための手立てなので本気でないと意味がないんです。本気でないなら、出さずに一目散に逃げた方が良い」
──う~ん、なるほどです。MMAには相手を眼前にして様子見というファイトが存在します。
「ということです、ね。これはもうナイファンチンの話ではなくて空手や型の基本稽古全般の話になってきますが、一つのジャブ、ストレートもどこに当たるのかしっかりと考えて練習できているのか。動作のための動作になっていないのか。そういうことを考える必要があると思います。シャドー、ミット、スパーリング、何のためにやっているのか。そこは常に問い掛けるべきで。
格闘技はウォーミングアップから始まり、徐々に体を動かします。マススパー、ライトスパー、そしてガチスパーと上げていく。対して、試合はウォーミングアップからガチンコへ行く。そのガチンコが一瞬の交錯で勝負がつくというものじゃない。そうじゃないですか? しっかりとマネージメントしないと勝てない。結果、闘争と格闘技が乖離してしまう一面が見られます」
<続く>