【Pancrase320】元ウェルター級KOP村山暁洋と対戦、菊入正行─01─「ライト級に落とすことは、ない」
【写真】7月は前日計量の77キロ=ウェルター級で戦った (C)MMAPLANET
13日(日)に東京都江東区のスタジオコーストで開催されるPancrase320のメインで、菊入正行が元KOP村山暁洋と対戦する。
ライト級でフィジカルモンスターと見られていた菊入だが、ウェルター級に転向し、7月の中村勇太戦に続き、9月には当日計量の84キロで高木健太を破っている。
1年半前まで70キロに体重を落としていた菊入は、今や84キロで戦う。階級アップと現状階級での体調面など今回に試合に関してだけではなく、菊入のMMAファイター人生を振り返ってもらった。
──村山選手との試合が日曜日に迫ってきました。現在の調子はいかがですか。
「メチャクチャ良いです。体重の調整がないので、ギリギリまで練習して疲れも抜けてきているという感じです」
──昨年7月の岸本泰昭選手との試合まではライト級で戦い、コロナ禍以降になると7月は北米ユニファイドのウェルター級、9月は実質1階級上で当日計量のウェルター級と3試合で3度とも体重が違います。そして、その差は13キロです。
「ライト級の時は正直、試合の1週間前でも体重を落とすころばかり考えていました。まず計量にパスしないと試合を戦うことができないので、減量ばかり意識して。練習にも集中できていなかったのが、正直なところです。
70キロで戦う……あの減量は自分には向いていなかったと思います」
──当時は安藤選手の愛弟子らしく、ハイパー・ダイエット&ハイパー・リカバリーをして、そのアドバンテージがあるのかと思っていました。
「いやぁ、メチャクチャしんどかったです。何よりもショートスパンで試合ができなくて、あれだけ試合間隔が空いてしまうとなかなか試合経験を詰めなかった。そこが階級を上げた一番の要因ですね」
──確かに今年は7月からの5カ月で3試合目ですしね。ライト級で戦っている時で、普段の体重は何キロぐらいだったのですか。
「試合後は90キロぐらいになっていました(苦笑)」
──えっ!! では20キロの減量が必要だったのですか。
「普段からもう少し軽くしておくべきなのですが、試合が終わって体重を気にしなくて良いという状態になると、食いだすと止まらなくなってしまうような感じでした。だから夜でも目が覚めて、冷蔵庫を漁ってしまうようなこともあって。
これはダメだって思いました。最後のサウナに入る前で残り5キロとかだったのですが、74キロや75キロになる時点でもう水も抜いていたので、ヘロヘロの状態でした」
──それは……危険です。
「危なかったと思います。本当に……。ケガも凄く多かったですし」
──北米形式のウェルター級での減量というのは?
「体重をそこまで考えないで良い状態だと、心にも余裕が出て。より良い練習ができるようになったのは確かです」
──さらに当日計量の84キロ。コロナ禍で一時的な階級がパンクラスでは採用されるようになりました。
「今回の試合もそうですね。まだ84キロというのは1試合しか経験していなくて、前の試合では組みの展開がなかったのでどうなっているのかはまだ掴めていないです。ただ、対戦相手も大きく落としてくるわけではないので、打撃ではパワーの差とかはなかったですね」
──1年半前は70キロだったというのが、やはりおかしな話だったのかと。水抜きして77キロと、当日計量の84キロの差もまだ分からない形ですか。
「そうですね、84キロだと練習をしていると自然と落ちていますしね。本来は77キロでどこまでできるのかというのを試してみたいです。それとライト級に落とすことはもうないです(笑)。
前日計量で77キロ級まで落として、リカバリーする。コロナが収束すれば、そうしていきたいと思っています」
──なるほど。そんな菊入選手ですが、もともとMMAを始めたのはなぜなのでしょうか。
「大学の時にアマでキックボクシングをやっていたのですが、一度重い盲腸になってしまって──2カ月ほど入院しないといけないことがあったんです。その入院中に暇だからUFCの映像をよく視ていて、寝技に興味を持つようになりました。そうなるとキックボクシングを続けるモチベーションを保つことが難しくなり、それがきっかけで和術慧舟會東京道場に入会したいんです。
大学2年生の時なので、19歳──6年ほど前ですね。ただ、ケガが多くて実質のところは4年ぐらいしか練習はできていないですね」
──慧舟會東京道場とはつまり現在所属するネバークイットの前身で、岡見勇信選手をはじめ錚々たるメンバーが練習していた場所でした。
「田澤(康宏)さんが一般会員のキックの指導をしてくれたり、岡見さんのクラスもありました。まだプロ練習には参加できる力がなかったですが、安藤さんが育成クラスという形で、僕や櫻井(裕康)君の面倒を見てくれていました」
──そのままネバークイット所属に、と。先ほど、ケガが多いという話がありましたが、東京道場時代の面々や安藤選手のプロ練習でのスパーリングのガチさは有名です。
「アハハハハ。愛があって、ボコボコにしてもらっていました」
──安藤選手は菊入選手の成長を凄く喜んでいましたが、スパーリングで向き合ってもエゲツナイ圧力ではないでしょうか。
「本当に怖いです(苦笑)。最初は打撃出身だったし、ある程度の自信があったのですが、そんなもんは安藤さんにぶち壊されました(笑)。あのジャブを前にすると、全く中に入ることはできなかったです。
昔はアレを8Rやってから、寝技を6Rとかしていたのですが、今は5Rのほどになり集中してやっています。そうですね、週に2度──安藤さんとのスパーリングの日があるのですが、今は指導で忙しいはずななのに、メチャクチャ強いままです(笑)」
<この項、続く>