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【AJJC2019】LF級出場、ジエゴ・エンリケ─01─「中途半端な練習では“世界の近く”にも追いつけない」

Diego【写真】ムンジアルという大舞台でも試合中はポーカーフェイスを崩さず、勝利が決まると喜びを発散させる。この笑顔をアジアでも見られるか──(C)SATOSHI NARITA

13日(金)から15日(日)にかけて、IBJJF主催のアジア柔術選手権が東京都足立区の東京武道館にて開催される。

色帯軽量級で国内トップクラスの実力を誇った一人——ジエゴ・エンリケが黒帯初のアジアに臨む。今年の世界選手権では茶帯フェザー級で3位を獲得──来年のムンジアルのためにも結果を残しておきたい本大会を前に、22歳の若手柔術家のこれまでを振り返ってもらった。


——練習でお疲れのところ、本日はありがとうございます。今は帰り道ですよね? 道場から家までどのくらいかかるのですか。

「車で大体1時間くらいです。自宅も職場も愛知県の安城市なんですけど、EVOXの練習は月・水・金は豊橋市、火・木・土は豊川市なので」

——普段はどのような仕事を?

「自動車部品工場で、部品の手配や通訳の仕事をしています。本当は中学校を卒業したらブラジルに帰る予定だったんですけど、母が工場で怪我をして裁判になってしまい、日本に留まることになって。だから15歳で働き始めました」

——日本語が流暢で、受け答えも年齢以上に大人びていると思っていましたが、そんなに若くから働いていたのですね……。生まれはブラジルですか。

「いえ、茨城県の結城市で生まれて、3歳で愛知に引っ越しました。母の父親、自分のお祖父ちゃんが日本人で、両親ともクイアバという地方の出身です。僕自身、ブラジルには生まれて半年、居たか居ないかというくらいで」

——EVOXは曜日によって練習場所が変わるということですが、インストラクターや練習内容に違いは?

「いえ、それは同じで、いつもホジェリオ(・クリスト)先生が指導しています。場所と時間の違いだけですね。豊橋はEVOXが借りているところで20時半から22時半くらいまで、豊川は公営の武道館で19時から21時まで練習です。あと、朝と子供のクラスは先生の奥さんのマルシア先生とフェルナンダ(クリスト夫妻の娘)が教えています。自分も火・木はキッズクラスをサポートして、土曜の朝は岡崎市の獅王‘Zという道場で指導してから豊川で練習です」

——仕事、練習、そして指導と密度の濃い毎日ですね。

「出来るだけ練習ができるように、そしてお金も稼げるように、職場にお願いして“早出”にしてもらい、月・水・金は7時から大体2時間残業して18時40分まで、火・木は1時間だけ残業して17時半まで仕事をしています。それから道場に向かって練習して、家に着くのが24時とかなので……。ただ、日曜は練習が休みなのでゆっくりしています(笑)」

——勤労青年のジエゴが柔術を始めた理由は?

「あまり良くない理由なんですけど……中学に入った時にちょっと悪い方向に行ってしまって、学校でよくケンカしていたんです(苦笑)。親から落ち着いて欲しいと言われて、格闘技ならメンタルもコントロールできるんじゃないかと、父の友達だったチャールズ(・ガスパー)に小川柔術を紹介してもらいました。中学1年生の時、2010年1月7日です」

——柔術は、ジエゴ少年の目にどう映りましたか。

「サッカーをやっていたので、格闘技はあまりやりたくなかったんですよね。だから週2回くらいで、真剣に練習していなかったんですけど、始めて3カ月後に出たDUMAU INTERNATIONALで黄色帯の人に勝ったらやっぱり嬉しくて、それからハマっていきました。1年くらいはサッカーと両立して、中途半端にやりたくなかったので柔術一本に絞りました」

——当時の先生はアレッシャンドリ小川氏ですか。

「いえ、子供のクラスだったので、フェルナンド・フェレイラ先生という小川先生の黒帯と、シルレイ先生という、今はブラジルに帰った方に教わっていました」

——小川柔術で柔術を始めて、2018年11月末にEVOXへ移籍しました。

「一番の理由は練習の強度です。柔術を続けていこうと決めた時から、自分の目標は世界王者です。ただ、仕事があるので1日1回しか練習できないし、その一度の練習を中途半端にやっていたら“世界の近く”にいる人にも追いつけないと思って。

小川柔術は選手志向の人もいれば、リラックスのためとかダイエット目的の人も多かったんですけど、小川先生から許可をもらってEVOXで出稽古してみると、選手として目標を立てている人がたくさんいて、練習の強度も自分が望んでいたものでした。それで、小川先生やホジェリオ先生と相談して移籍を決めました」

——ジエゴ選手が目指す世界の舞台、ムンジアルには青帯の頃から参戦しています。

「最初は2014年です。ジュベニウ青帯2レーヴィ(ライト)級に出て、2試合勝って準々決勝で負けました。今だと2、3回勝てば優勝ですが、あの頃は参加者が多くて5、6試合勝たないとダメだったんですよね。次の年はアダルトでヨーロピアンの青帯ペナ(フェザー)級に出て、6試合勝って優勝。その年のムンジアルは3試合目にレフェリー判定で負けて、メダルには届きませんでした。

で、2016年、2017年は出ていなくて、2018年はカイオの道場で修行した後、プルーマ(ライトフェザー)級に落としてムンジアルに出たんですけど、2回戦で負けてしまって……。今年のヨーロピアンは準々決勝で足を怪我して、準決勝は不戦敗で3位、ムンジアルは4試合勝って3位でした」

——今年のヨーロピアンで左足首靱帯を損傷し、治療とリハビリを経て臨んだムンジアル茶帯フェザー級では3回戦まで一本勝ち、準決勝もアドバン1差での敗退でした。

「ヨーロピアンの後、治療が終わってから2、3カ月くらいは『足は攻めないで』とお願いしながら練習していました。強度のある練習はできませんでしたが、ムンジアルのひと月前くらいから自信を取り戻してきて、追い込んでいけた感じです。AOJやATOS、アリアンシ、シセロの選手ばかりで正直、行けるかどうか半信半疑だったんですけど、メンタルも体調も良かったので、それが結果に繋がったと思います」

<この項、続く>

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