【Gladiator】2019年中に伝えたかった声──沖縄編─03─宮城友一「曹とか安谷屋が羨ましかった」
【写真】感謝の気持ち、その言葉がインタビュー中続いた(C)MMAPLANET
現在発売中のFight &Life Vol.76では沖縄紀行として、現地のMMAと柔術の現状&将来を語った──砂辺光久と松根良太の対談記事が掲載されている。
同紀行の執筆にあたり修斗、パンクラス、DEEP、GLADIATORで活躍する沖縄在住のMMA選手、そして柔術家の声を多く拾ったが、ページ数には限りがあり記事内ではキャプションでしか伝えられなかった。MMAPLANETでは、そんな沖縄在住の選手たちの声を書き記していきたい。
題して──2019年中に伝えたかった声──沖縄編。その第3弾=前編はパンクラスで挫折し、Gladiatorで再起を図り、グラジエイター代表として修斗でも実績を残し始めた宮城友一の声を紹介する。
宮城の城=DROPで彼の歩んできた格闘道とMMA愛を訊いた。
──修斗沖縄大会を勝利で終えました。沖縄の勢いが感じられる良い大会でしたね。
「自分に関しては、これまで通り必死に試合に向けて調整をして、勝つために戦いました。そこに『皆に喜んでもらえる試合がしたい』という想いが加わっていました。これまでは、そこまで考えることはできなかったのですが、年齢も年齢なので沖縄で試合することはないかもしれないと思うこともあり、そんな風に気持ちで戦えたんだとお思います。僕が想ったように、他の選手も同じ気持ちだったのではないでしょうか」
──当然のように大会がある首都圏と比べて、応援する人たちも空気が違っていましたね。ただ、松根さんが頑張って年に3度沖縄大会が行われるようになると、その熱も違ってくる可能性もあります。ケージ導入により初物特有の勢いがあったのかもしれないですね。
「普通になってしまうということですね。でも、普通になって欲しいという気持ちもありますね(笑)」
──沖縄に住む選手からすると、本当にその通りかもしれないです。ところで宮城選手は一時期MMAを離れてブランクがあり、そこからまたキャリアを積み直してきました。
「ハイ、最初は武限という砂辺さん達、皆がいたところでMMAを始めました。総合がやりたくて、大学で空手を少しかじって。すぐに総合のジムに行くのが怖かったんです(笑)。極真を1年やって……」
──いや、極真は真っ向勝負で大変じゃないですか。
「めっちゃくちゃきつかったです(笑)。食い稽古とかあって、『宮城君、限界まで食べないとダメだよ』とか言われて(笑)」
──アハハハハ。それこそ極真魂です。
「でも色々と勉強をさせてもらいました。それでMMAにいっても頑張れることができたと思いますし」
──もともとMMAをやりたいと思ったのは?
「ケーブルテレビのGAORAでパンクラスを見て、ですね。修斗も大学のときにJ-Sportsで始まり、それこそ松根さんの試合を見たりしていました。総合をやりたくて極真をやって、そこから武限で練習をするようになり、プロにもなれたのですが……1度引退して……」
──キックボクシング転向ではなくて、引退したのですね。
「ハイ、ネオブラッドTの決勝が決まっていたのに引退をしました。もう、過去のことですが……格闘技を続けられる状況ではなかったです。とにかく、その時に辞めようと。もう本当にインタビューで話せることではないようなことが起こっていました」
──……。それでも、またキックを始めるようになったと。
「そうですね。続けたい気持ちはあったのですが、1年ほど格闘技と関わり合いのある人達からも離れて。体は自分1人でこっそりと動かしていました。それからキックをやろうかと、真樹ジム・オキナワにジムに入って。そうしたら安里(昌明)先生から『プロでやらないかと』と言っていただいて。
色々なことがあって一度、格闘技から離れたのですが、こうやって今、僕がMMAを続けられることができるのも安里先生のおかげです。
沖縄はMMAよりもキックが盛んで、このジムでもキックはプロが4人いますが、MMAは練習をする人自体が少ないです。キックはジムの数もMMAと比較すると多いですしね。その状況も松根さんが来てくれてから、凄く変わりましたけど。本当に沖縄のMMAは松根さんによって変わったと思います」
──キックボクシングは興行も行われているのですね。
「ハイ、天下一さんと琉球かきだみし協会のK-SPRITという2つのプロ大会が定期的に行われています。自分は真樹ジムが中心でやっているK-SPRITで戦い、県外でも試合を多くさせてもらったので20試合ぐらいキックで戦いました。
でも、MMAへの想いを忘れたことはなくて……久先輩(砂辺光久)や曹(竜也)とか安谷屋(智弘)のことが羨ましかったです。だからキックでベルトを獲ったら、MMAに戻ろうとか考えていました。
でもMAキックでランキング2位まで行った時に、連盟が分裂してしまって……。もうベルトを狙う場所がなくなってしまったんです。それでもローカルなタイトルマッチ(※MAキック西日本ライト級統一王座)の機会を安里先生に用意していただいて、そのベルトを巻くことができました。そして、安里先生にMMAへの気持ちが残っていることを話して復帰したんです。
MMAに戻ってからも安里先生はミットを持ってくれたり、練習メニューを送ってくれたりしてくれました。その練習メニューが本当にきつくて(笑)。思わず『なんで、こんなに厳しいの』って不満を口にしたら、奥さんから『あんた、それ間違っているよ。こんな風に言ってくださって感謝しなさいよ』って諫められて(苦笑)」
──奥様が100パーセント正しいです(笑)。
「本当にそうですよね。安里先生は自分を支え続けてくれて……本当に頭が上がらないです」
<この項、続く>