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【Grachan42✖Gladiator011】山本琢也に挑戦、植田豊─01─「本当の仲間として皆と一緒にやり切りたい」

Ueda Yutaka【写真】植田が6年前に引退を決意した理由は、格闘技でなくても人生のなかで誰もが感じることがある現実問題のように思える(C)MMAPLANET

22日(日)に東京都大田区の大田区産業プラザPIOで開催されるGRACHAN42 X GLADIATOR11で、Grachanライト級チャンピオン山本琢也に植田豊が挑む。

家庭第一マイホーム・チャンピオンの山本にとって、昨年9月の岸本泰昭戦の勝利から1年3カ月ぶりの実戦となる。対するチャレンジャーの植田は今年の1月にGrachan✖Wardogで組まれたブレンゾリグ・バットムンクとの試合が、実に2013年9月以来5年4カ月のブランクを経てのMMAだった。

いってみれば1度は引退していた植田は、このモンゴルの豪腕選手に勝利し、6月には飯田健夫も破り今回の挑戦を実現させた。5年4カ月という長すぎるブランク、一度はMMAを離れ、また戻ってきた植田のMMAファイター人生に何が起こったのかを尋ねた。


──22日にGrachanライト級王座に挑戦する植田選手ですが、2013年9月から今年の1月まで5年4カ月のブランクがあります。言ってみれば引退していた期間があるとも捉えることができると思うのですが、どのような事情があったのでしょうか。

「自分のなかで格闘技を離れた、まさに引退した気持ちでいました。なかなか思うような結果が出ず、自分の力が出せないという状況が当時は続いていました。そして2013年9月にDEEP浜松大会のメインでクレベル・コイケ選手と戦いました。

試合展開としては最初に勢いで圧されて、ラウンドの中盤に盛り返しつつあった。クレベルも2Rから疲れてきていたのですが、インターバル中に『俺、こんなところでいい年して何やっているんだろう』っていう想いが頭をよぎったんです。

これから反撃しないといけないときに、そんな気持ちになり体が動かなくなってしました。結果、初めてKO負けをしたんです。トップを取ってから、オモプラッタでひっくり返されてパウンドアウト。普通だったら潰せるプラッタだと思います。試合中にそんな風になるぐらいなら、キッパリ辞めようと思いました」

──試合の準備期間にそのような気持ちになる前兆はあったのでしょうか。

「いきなりでした。練習中にこれで最後にしようとかいう想いもなく、いつも通りの試合として臨んでいました」

──そこから格闘技との付き合い方は、どのようになったのですか。

「もうMMAに関しては全くやっていないです。練習を再開したのは、復帰戦の半年前ぐらいでした。なのでMMA、打撃に関しては5年間シャドー一つもやらない状態でした。

組み技に関しては柔道の指導者をしていたのですが、自分の練習をすることはなかったです。軽く体を動かせる程度でした」

──単刀直入にMMAを再開した理由を教えていただけますか。

「仕事で行き詰った……少し特殊な業界なのですが、そこからちょっと離れたいという想いがありまして……。もう必要最低限の業務だけ義務的にこなして、残業もしないで帰宅するような状況でした。

夕方に仕事は終わっているので、体を動かしてみようかとグラバカ時代の先輩である山崎剛さんがやられているMe,Weに流れついた感じですね。最初は選手に復活する気持ちはなくて、体を動かしに行っただけだったんです」

──それなのに現役復帰を果たしたのは?

「う~ん、過去2、3年間はまぁ人間関係が上手くいっていなかったです。それは自分の責任かもしれないですけど、そういう場所にいて、久しぶりにMMAで頑張っている選手たちを見て……。何かを頑張っている人間に触れ合うのが久しぶりで、そういうなかでただ一緒に練習しているだけではなくて、自分ももう一度リングに上がろうと思ったんです。

前に辞めた時が格闘技をやり切った感じではなかったので、皆と一緒にやり切って──本当の仲間として頑張りたいと思いました」

──今年の1月にGrachan✖Wardogで韓国在住のモンゴル人選手ブレンゾリグ・バットムンクとの対戦でカムバックを果たしました。Angels Fightでオク・レユンに勝利している強豪です。これはアンダードッグ、噛ませ犬として当てられたのかという気がしていました。

「たまたまウチの選手が出る大会だったので、『一緒に出ることができないか』と無理にお願いをして出させてもらったのですが、日本人なら無理だけとモンゴル人なら用意できるということだったので──二つ返事でお願いしました」

<この項、続く

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