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【JBJJF】中部オープン黒帯ライトフェザー級にエントリー=後藤貴史の人に歴史有り──格闘家人生

Goto【写真】後藤が手にしているのは、スポンサードされているフルッタフルッタのアサイーだ(C) TAKASHI GOTO

16日(日)、愛知県名古屋市にある愛知県武道館で日本ブラジリアン柔術連盟(JBJJF)主催の第2回中部柔術オープントーナメントが開催される。

第1回大会は、昨年6月に愛知県・露橋スポーツセンターで行われ、IMPACTO JAPAN B.J.J勢の活躍が目立った。今大会は各階級で、どのような戦いが見られるのだろうか。

そんな同大会のアダルト黒帯ライトフェザー級に吹田柔術から細川顕が主宰するALMA FIGHT GYM HOMIESに移籍した後藤貴史がエントリーしている。名古屋に移住した後藤は、細川のもとでメキメキと力をつけている。彼の柔術観と今大会への意気込みを尋ねると、MMAスタートの格闘家人生を振り返ってもらえた。
Text by Takao Matsui


――後藤選手は、長らく在籍していた吹田柔術からALMA FIGHT GYM HOMIESへ移籍したのですね。

「はい。仕事の都合で名古屋へ引っ越すことになりまして、家の近所に細川(顕)先生がジムを出されていたので、妻とともに籍を置かせてもらっています」

――奥さんも柔術家なのですね。吹田柔術で出会ったのですか。

「そうです。今、紫帯です。名古屋に引っ越してきて、最初に妻がHOMIESに入門しました。自分は、仕事の都合で通えるか心配だったんですが、何とか調整して1ヵ月後から入りました」

――HOMIESは新設したばかりのジムですが、雰囲気はいかがですか。

「ライト層も含めて、とても良い雰囲気ですね。素晴らしい人たちが集まってきて、細川先生の人間力を感じています。上手くできない生徒に対しても、とても親切で優しく指導されていますし、器の大きい方だなと思っています。指導が忙しくてほとんど自分の練習ができない中、先日のフルフォースカップで優勝しましたから、さすがです」

――後藤選手は、なぜ柔術を始めたのでしょうか。

「話せば長くなるんですが、自分は小さい頃からプロレスが大好きで、武藤敬司ファンだったんです。それこそスペース・ローンウルフ時代から見ていて(笑)。体が小さかったのでプロレスラーになる気持ちは全くなかったのですが、憧れの存在でした。

高校生になってパンクラスが出てきて、本物志向で凄くはまりましたね。そんな時にパンクラスの高橋義生選手が、UFCでヴァリッジ・イズマイウ選手と対戦してレスリングとボクシングをベースに勝利を収めて、これは凄いなと。それで、まずはボクシングを始めることにしたんです」

――ボクシングが最初なのですか。組み技ではなかったのですね。

「当時は総合格闘技のジムが家の近くになかったので、まずは高校の時にボクシングジムです(笑)。それから大学へ進学してから、柔道部へ在籍していました。先輩にリングス・ファンがいたので、寝技でガードを取り合ったりしていましたね。その流れの中で、アマ修斗やSAW(サブミッションアーツレスリング)の大会に参戦したこともあります」

――日本の総合格闘技の黎明期ですね。その後は?

「ヴァンダレイ・シウバがPRIDEで活躍する前、ブラジルでIVC(※インターナショナル・バーリトゥード)という素手で殴り合うバーリトゥードのイベントに出ていたことがあって、男ならここに出るべきだろうと決意したんです。それで、まずはポルトガル語を学ぶ必要があると思い大阪外国語大学に進学しました」

――いきなりブラジル!! 本能に近い感覚で行動されているんですね。

「そうかもしれません(笑)。それで大学を休学して半年間、ブラジルへ行きました。ブラジルのリオに『TATAME』という格闘技雑誌があるので、そこの編集部を訪ねて、シュートボクセを紹介してもらおうとしました。

ですが、ちょうどPRIDEの大会があったため、フジマール会長とはすれ違いで不在でした。そうしたら編集部の人が、アレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラ選手を紹介してくれたんです」

――ペケーニョですか。ブラジルで彼に格闘技を習ったわけですね。

「ハイ。柔術ではなくてノーギのルタリーブリでした。同じジムで指導していたヒカルド・アローナ選手や、BTTのメンバーが揃うジムでホアン・ジュカオンやルイス・ブスカペにも教えてもらいました。途中でシュートボクセに行きたいと言ったら、それはスパイだと思われるから止めた方がいいと忠告されて断念しました(笑)。その頃はIVCからメッカVTに変わっていたのですが、ブラジルのアマ修斗でメッカVTで勝利している選手と戦えて、結果的は良かったです(笑)」

――帰国してからの格闘技道というのは?

「ブラジルに行く以前から練習させていただいていた吹田レスリングが吹田柔術になり、そのまま柔術を始めました。あくまでも総合格闘技がメインで、柔術はクロストレーニングという感じだったんです。池本誠知さんの総合格闘技イベントに参加させていただいたり、結果はともかく大会にはよく出ていましたね。でも、なんか中途半端だったと思います」

――その時の目標は?

「特別なものはなかったのですが、総合格闘技を辞めて、柔術がメインになってからは大会にたくさん出場してランキング1位になってヨーロッパ選手権に出場することが目標でした。吹田柔術の新川先生からは国内の旅費の方が高くつくと笑われましたが、いつも応援してくれましたし、達成できた時は嬉しかったですね。小さな目標ですが」

――柔術にはまり始めたのが、その頃からなのですね。

「パラエストラ東大阪で、臨時のインストラクターをしたことがありまして、自分なんかでも役に立つことがあると分かった時からですね。茶帯の時に、ちゃんとマジメに取り組もうと思うようになりました」

――それまでは、マジメではなかったのですか。

「周りに比べれば全く本気度が足りなかったように思います。あとは茶帯時代に、生田誠先生のお兄さんの堅固さんとの試合がアドバン差でお互いに納得してなかったので、いつか決着をつけようと話していたんです。

堅固さんが先に黒帯になって大会にエントリーされていたので、追いかけるように黒帯になってエントリーしました。それがきっかけで黒帯でも沢山試合に出るようになりました。堅固さんとはまだ対戦は実現していないので、互いに力をつけて対戦しようと話しています」

――黒帯になってからの目標はあるのでしょうか。

「ないですね。ないとダメですかね? 昔はムンジアルに出たいと考えたこともありましたが、ポイント制になってからは諦めました。今、自分の中で柔術は、格闘ゲームの『ストリートファイターⅡ』なんです。お金を払ってエントリーして、強い選手が出てきて戦って勝つ。

それが楽しくて仕方がないんです。中部オープンも、まだ自分の階級にエントリー選手はいませんが(※2月7日現在)、そんなノリです。HOMIESからも18名がエントリーしていて、みんなで一緒に出られることが楽しいですね」

――柔術の魅力は、どこにあると思いますか。

「いろいろな人とマット上で本気のコミュニケーションがとれるところじゃないですか。黒帯になって戸所誠哲選手と対戦したことがありまして、ポイントをリードされる中で終盤に入っても攻めきれず、さらにポイントを奪われて負けたことがありました。

試合後、挨拶に行ったら、『ダメだよ、あそこで攻めないと』と言っていただいたんです。その言葉を聞いて、なんか感動してしまいました。対戦相手に、そこまで言えるって、良くないですか?」

――素晴らしいです。

「戸所選手は特に熱い人なんですけど(笑)。柔術にはそういう人が多く集まっています。もっと真剣に生きないと。真剣に頑張っている人たちを見て、自分にそう言い聞かせています」

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