【JBJJF】26日、沖縄柔術選手権。松根良太の沖縄への想い、Theに託された意味
【写真】中井祐樹氏のセミナーも行われた。そして松根の想いが詰まったパラエストラ千葉ネットワークのフラッグ(C)RYOTA MATSUNE
26日(日)、沖縄県那覇市にある沖縄県立武道館で、第2回沖縄柔術選手権が開催される。2回目を迎える同選手権は、沖縄で柔術を広めるためにも貴重な大会となる。
Theパラエストラ沖縄の松根良太代表は、同地で柔術を根付かせるキーマンであり、今回も所属選手を何人も送り込んでいる。その松根代表に、沖縄の柔術の現状と同選手権への思いを訊いた。
Text by Takao Matsui
――松根代表は、元修斗世界バンタム級チャンピオンとしてパラエストラ松戸に所属していましたが、現在はTheパラエストラ沖縄で後進の指導にあたっていますね。
「ジムは2012年1月にオープンしましたので、今年で6年が経ちました。7年目に入りましたが、プロ修斗の選手を8名育て、那覇に続きコザにもジムをオープンしました。MMAだけではなく、柔術を習う生徒も順調に増えています」
――先に確認をしておきたいのですが、現役は引退をされたのでしょうか。
「あえて引退という言葉は、使用しないようにしています。3年前に『VTJ in OKINAWA』で試合をしていますし、気が向いたら復帰するかもしれませんので。36歳なので、まだやれる年でもありますし、40代で活躍している選手もいますからね」
――確かにベテラン選手が柔術に挑戦していますので、引退を明言する必要はないかもしれませんね。
「とはいえ、試合をする予定や目標はないので、このまま引退するかもしれませんけど」
――なるほど。沖縄での柔術の盛り上がりは、いかがですか。
「沖縄は米軍基地がある関係で、派遣されたアメリカ軍人がベース内のジムで柔術を習っている人が多いようです。また毎年開催している琉球フリーファイトでは、アメリカ人の出場が目立ちます」
――米軍の柔術家は、強そうですね。
「ただ任期が2年なので、強くなって帯が上がっていく頃にはいなくなります。そこが、もったいないですね」
――ジムで柔術を習っている生徒さんは、どのような傾向がありますか。
「部活感覚で毎日来るような生徒が多いです。東京と違い、誘惑が少ないのかもしれません。ただ東京や大阪などの内地に行ったことがない生徒は、プロを目指すという気持ちが薄いように感じました」
――沖縄から見れば、本土は遠い感覚なのですね。
「それは仕方ないですね。自分は沖縄で生まれましたが、3歳からは千葉で育ちました。その遠い感覚はあまりなかったのですが、プロとして戦うイメージが浮かびにくいのは周囲の環境が影響するように思います。
でも最近は、年2回の琉球フリーファイトに加えて、JBJJF主催のブラジリアン柔術沖縄選手権もありますし、各種大会が開かれるようになりました。
うちのジムでも2014年の全日本アマチュア修斗フェザー級3位の仲宗根武蔵がみんなを引っ張ってくれていますし、11月25日には修斗の沖縄大会が開催されます。意識が変わってきているのは間違いありません」
――千葉でMMAや柔術を習っていたことで、沖縄での不自由さを感じたことはありますか。
「やはり出稽古をはじめ、技術交流ができないハンデはありますね。千葉にいた頃は、有名な選手と練習ができることは多かったですから。でも技術はインターネットで学ぶことはできますし、沖縄へ観光も合わせてセミナーを開いていただける機会が多くなりました。
中井祐樹先生にも2、3回、沖縄でセミナーを開いていただきましたし、鶴屋浩先生が来られた時は無償で指導をしていただいたこともあります」
――中井先生に鶴屋先生、お二人の力が沖縄の地でも影響しているのですね。
「はい。とても助かっています。僕は鶴屋先生に16歳から格闘技・生活面も含めて指導をしていただきましたので、今でもそれが大きな力になっています」
――松根代表は修斗で活躍されている時に、“The”と書いたヘアスタイルで試合をしていました。ジム名にも同じワードを使っていますね。あの意味は?
「ああ、あれは『つるや・ひろし・エンターテインメント』の意味です(笑)。後輩の修斗世界フライ級王者の扇久保博正選手も、やっています」
――そういう意味だったんですね。「唯一の。ただ一人の」というアピールかと思っていました(笑)。
「鶴屋先生にはお世話になっているので、その感謝の気持ちの表れです。先生の名前を残しておきたいと思い、つけさせていただきました」
――では千葉を離れて、沖縄でジムを開くのは苦渋の決断だったのですね。
「20代後半から、ジム経営のプランは立てていましたが、やはり先生のもとを離れるのは辛かったです。でも年に何回か沖縄には帰っていましたので、ここでジムを作りたいと思う気持ちが大きくなってきて、決断しました。今は、お世話になった方々にご恩返しができればと思っています」
――柔術の大会には出場されないのでしょうか。
「5年くらい前に、コパブルテリア、そして台湾のオープン選手権で2回優勝しましたが、それだけですね。タイミングが合えば、というスタンスです」
――今回の沖縄選手権には、生徒さんがエントリーされています。最後に、沖縄で柔術やMMAを盛り上げるための抱負を聞かせてください。
「沖縄は、ボクシングでも証明されているように、飛び抜けた運動神経を持った人材が多く存在しています。さらに向上心を持てば、柔術においては黒帯取得、ムンジアルで活躍する選手が出てきてもおかしくありません。
そのためにも沖縄で大会を継続的に開催し、盛り上げていくことが大切だと思います。みなさまのご協力を仰ぎながら、自分のできることをこれからも全うしていきます」