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【Bu et Sports de combat】武術の叡智はMMAに通じる。極真セミコン交流会を見て─01─

Kyokushin Semi-con【写真】極真空手が顔面突きを頭に入れた競技会を行う。後年、日本のMMAにとっても歴史的な1日として刻まれることを期待したい(C)MMAPLANET

3日(日、)国際空手道極真会館が大阪市浪速区のエディオンアリーナ大阪で、I.K.Oセミコンタクトルール2018全国交流大会を開催した。

フルコンタクト空手界の巨人が、間合い、技の正確性を追求するために開いた競技会。頭部、同体、脚部にプロテクター、拳は拳サポーター着用で顔面は寸止め、下段への攻撃やヒザ蹴り禁止、突きは直突きのみで連打は2発までというルールで行われた交流会を視察した剛毅會空手を率いる──いや、空手家・岩﨑達也はどう見たのか。

そこに武術の四大要素──『観えている』状態、『先を取れている』状態、『間を制している』状態、『入れた』状態が存在したのか。また空手にとっての競技会とは何を意味しているのか。

巨人が動きだしたことで、どのような波及効果があるのか。そして、この動きが日本人がMMAで勝つための、日本人の打撃を生み落とし、成熟させるのことはできるのだろうか。


──I.K.Oセミコンタクトルール2018全国交流大会を観戦され、率直にどのように思われましたか。

「競技空手として、館長が言われていたように実験段階でしょうが、示すべき方向性としては素晴らしいと思いました。勝ち負けに拘らず、どんどん大会を重ね、継続してほしいです。

武術とはまた違うのですが本来、空手が求めるべき間合い、タイミング、その駆け引きがなくても通用するのは、同じ体重同士の顔面への突きのない場合だけです。本来、顔面なしでも戦っている競技者の時空が違っていると対応は効かない。だから世界大会で外国人選手と戦うと、時空が違うので間を制することができない。私も含めて、戸惑ってきました。

今回のルールで試合をすることで、ある時はグローブ、ある時はMMA、またフルコンタクト空手というように、あのルールで鍛えられた選手が戦うことで何が起こるのかは、非常に興味深いです。

それはかつてイギリスの極真會がクリッカーをやり続けた選手の動きが、違っていたようにどうなるのか楽しみです」

──賛否両論、特に内部から色々は意見があったと思いますが、開催の挨拶で松井館長が「今のルールで補えないモノを、補完するためのルール」というようなことを言われ、松井館長という方は極真空手家ではなく、空手だったんだと。素晴らしく格好良かったです。

「大山総裁がノンコン空手をダンス空手と称していたので、大山総裁が言われたことが空手なんだという姿勢の方は、それは反発するでしょう。

武道のとして空手を考えるという部分で松井館長と増田師範がされようとしていることは、大山総裁の空手を守ろうという方々が反発するのも理解できます。ただし、ハッキリと断言できることは、大山総裁はフルコンタクト空手のルールで試合をしたことは一度もないということです。

総裁があのルールを作ったのは顔面パンチがあり、体重判定がなければ日本人が勝てないからだとご本人から伺ったことがありますし、体重判定に関しては現代カラテマガジン、昭和48年6月号で真樹日左夫先生との対談において仰っています。

『顔面を叩いて、体重判定もなければ日本人は勝たない』と。そういう点を踏まえた上で、日本人が勝つためのルールをやりたい方は全うすれば良いと思います。そうでなく、人種民族に関係なく、どのようなルールだろうがやるんだとなった時、空手とは日本人が体重判定で勝つためのモノではないんです。

MMAで戦えて、武術の要素も含まれているという私の考えでは、フルコンタクト空手は空手として狭すぎます。大山総裁の創った極真空手という文化を守るという立ち場だと、今回の試みに対し異論はあるでしょう。けれども、松井館長はそこではないのだと思います。

10年、20年、100年後に空手という競技が残っているためにも始めたことに違いない。否定、反発があることは完全に想定済みで館長を今回の交流会を開いたはずです」

──実際に挨拶の時に、さきほど挙げた言葉の前に『賛否両論あるでしょうが』という意味合いのことを言われていました。

「ダンスだろうが、ダンスでなかろうが、あの試合場で行われていることは目的ではなく手段なんです。ところが目的化されてしまっている」

Kime──今回、フルコン空手ルールで試合に出ている選手たちは、自分の攻撃が効果的だと判断した時だけ、極めを取り、声を出す。対して、子供達もそうですが、突きとして有効な寸止めの顔面突きを打ち込むよりも、極めや声を出すことが重視され、突きの方はそれが打ち込まれても痛くない、倒すことはできないだろうという──姿勢も伸びて、拳をひたすら伸ばしている突きを繰り出す参加者も少なくなかったです。

「剣道も声を出していますよね」

──剣道が出すので、空手も出す必要があるとは思わないです。極めがなくても、審判が観えていて、間合いを制して、先を取っている状態だと判断して旗を挙げた方がポイント空手とかなり違ったモノになっていたのでないかと感じました。

「まぁ、そこは剛毅會でなくよそ様がやられている競技会なのでどうこう言えないですよ」

──極真空手の筋金入りの猛者が、フルコンの距離でなく遠い位置取りから間合いを制して、倒せる突き、蹴りを究めていくことで、MMAに於いて日本人の打撃が確立する。その一歩になるのではないかと思っていたので、極めに走る向きがあったのは残念でした。あの間にテイクダウンをされてしまいますからね。倒せる打撃、当たらない位置取りを取るための一歩が見たかったです。

「あなたがあの場にいた。分かる人間には、その理由は分かると思います。そして、あなたが今いわれたような判断は審判団にも現段階では求められないです。

当たる、当たらない。打ち抜く、空振り。その前に先を取ったり、間を制していることで試合は決しているんです。

それこそが剛毅會が組手をする目的は武術の4大要素を学ぶことなので、それ以外のことは必要ないです。でも、そんなことを言っていると出られる試合がなくなってしまいます。だから、剛毅會は自流の大会は開かないですし、これまで出場しようと思う空手競技会もなかった。ただし、松井館長と増田師範が協力された今回の試みには、私は生徒を出場させたいです。

試合に出るからには勝利を目指す。勝利を目指すためにはどうすれば良いのかを考える。なので、極めと声があるなかでどう勝つのかは考えます」

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