【JBJJF】全日本マスターで1年4カ月振りの実戦復帰へ、平尾悠人─01─「首と腰から髄液が漏れていた」
【写真】ようやくトーナメント復帰を果たすことができる平尾、長い闘病生活を克服したことで彼の柔術人生はどのような変化があったのか(C)YUTO HIRAO
24日(土)、東京都墨田区の墨田区総合体育館で日本ブラジリアン柔術連盟(JBJJF)主催「第12回全日本マスター柔術選手権」が開催される。
同大会のマスター1黒帯ライトフェザー級&オープンクラスで、平尾悠人が約1年4ヵ月ぶりの実戦復帰を果たす。突然襲った病、過酷な闘病生活、柔術ができる喜び、支えてくれた周囲への感謝……。最大の試練を乗り越え、柔術家として再スタートを切る平尾の胸中に迫った。
Text by Tsubasa Ito
――2016年12月にご病気をされてから長期欠場を経て、2月24日の第12回全日本マスター柔術選手権で試合復帰を果たします。今のお気持ちから聞かせてください。
「一昨年までは試合にたくさん出ているのが普通だったので、ようやく試合に戻れるというのは率直に嬉しいです。柔術ができる喜びは病気になる前よりも感じますね」
――いつ以来の試合となりますか。
「埼玉の深谷でやったワールドプロ(Abu Dhabi Grand Slam Jiu-Jitsu World Tour TOKYO)が最後なので、2016年の10月以来だと思います」
――発病した「突発性低髄液圧症候群」と「慢性硬膜下血腫」という2つの病気は、どのような症状なのでしょうか。差し支えなければご説明していただけますか。
「ハイ。低髄液圧症候群は突発性なので、いまだに原因も余り分かっていないんですけど、歩いていたら急に首が痛くなってきたんです。首と腰から髄液が漏れていたみたいで、頭よりも首が痛く、難聴と極度の便秘になりました。慢性硬膜下血腫は髄液が漏れると併発する、脳に血が溜まる病気です。そっちはすごく頭が痛くなるんですけど」
――突発性ということは、誰にでも突然起こりうるものなのですか。
「そうですね。格闘技をやっているからというのは、まったく関係ないみたいです」
――どちらも、一般的には馴染みのない病名ですよね。
「インターネットで調べたら、発病するのは1万人に1人の割合で、珍しい病気みたいです。手術で頭から血を抜いたんですけど、少し遅れていたら危ない状況だったと言われました。普通、脳のまわりには何もないはずなんですけど、手術前にMRIで見たら、すごい量の血が溜まっていました」
――病名が分かってから、すぐに入院したのですか。
「まず、病名が分かるまでに時間が掛かりました。あまり知名度がない病気なので、いろいろな病院を回ってようやく分かったという感じです」
――入院生活はどのくらいの期間だったのですか。
「入院自体は2回したんですけど、1回目は1週間くらい安静にして治るのを待つという感じでした。2回目は手術をして、そこから約1ヵ月入院しました」
――1回目の入院では、手術をしなくても治る方法を模索したということでしょうか。
「髄液漏れの手術ができる病院自体が少ないんです。大抵の病院は、安静にして治しましょうという感じでした。それでも治らなかった時に、東京の山王病院という髄液を止める治療が受けられる病院を見つけて、ようやく手術ができました」
――退院後の実生活というのは?
「自宅安静が2カ月間くらいありました。脳に溜まった血液を、薬を飲んで全部取り除かなくてはいけないんですけど、しばらく時間が掛かるということで。仕事に復帰したのが去年の5月で、完治したのは8月です」
――ご職業は消防署員とお聞きしました。
「消防署の職員ではあるんですけど、自分の部署は消防の本部で総務課なので、現場に出るわけではなくデスクワークがメインです」
――ご自宅での療養中は、どのような状態だったのでしょうか。
「立ったり歩いたりすると脳に良くないみたいで、トイレとか食事とか最低限のこと以外はずっと横になっていました。普通は脳のまわりに髄液があって、その中に脳が浮いている感じなんですけど、それがないと脳の位置が下がってきて頭が痛くなるので、なるべく水平に保ったままでなければいけないということですね」
<この項、続く>