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【Bu et Sports de combat】 武術空手とMMA。マチダ空手、シンゾー・マチダを訪ねる─02─

Iwasaki & Machida【写真】マチダ空手のシンボルマーク、モチーフは明らかに町田嘉三先生だ(C)MMAPLANET

MMAと武術は同列ではない。ただし、通じている部分が確実に存在している。そして、如何に武術の叡智をMMAに落とし込むのか。AACCでMMAファイターが習う剛毅會空手──武術空手とは何なのか。さらにいえば、空手なのは何のか──を剛毅會空手・岩﨑達也宗師に尋ねる、この企画。

岩崎が6月初旬にカリフォルニア州ロサンゼルスを訪問し、武術の原理・原則と戦略と戦術の競技──このパズルを埋める作業として、2つの空手道場を現地で訪ねた。

西山空手の伝承者アビ・ロカー師範に続き、MMAに空手を落とし込む経験値にかけては当代一、マチダ空手のシンゾー・マチダにMMAにおける空手を尋ねた模様を紹介したい。UFCによってマーシャルアーツは変った。そして、経験値のなかった寝技の習得に取り組んでマチダ兄弟の姿勢を話してもらった。

<岩﨑達也×シンゾー・マチダ対談Part.01はコチラから>


シンゾー ありがとうございます。

岩﨑 日本には守破離という言葉があります。

シンゾー ハイ、父に習ったよ。

岩﨑 シンゾーさんとリョートさんがMMAで戦っていて、嘉三さんが空手で戦えというのに対し、シンゾーさん達は新しい空手、新しい打撃をクリエイトしてきました。これぞ、守破離だと感じていたのです。でも、道場にはシンボルマークもそうでし、嘉三さんの空手が息づいています。そうやって、守破離からまた戻っていくのですよね(笑)。

シンゾー 父が我々兄弟に最初の一歩から導いてくれたんだ。僕らのベースは父から学んだモノだよ。ただし、僕らはMMAで経験を重ねてきた。マーシャルアーツは変ったんだ。柔術がMMAにおける有効性を証明してから。マーシャルアーツは柔術を知って変化した。それこそマーシャルアーツが、今も進歩している証なんだ。

それなのに伝統を名乗るマーシャルアーツは、違う道を歩んでいる。マーシャルアーツは本来セルフディフェンスだった。しかし、トーナメントが盛んになり、競技と護身というように別々になって伝わるようになった。さらにUFCの出現により、柔術があのルール無き戦いでストライカーを打ち破った。

MMAで勝たなければ、MMAで勝てるマーシャルアーツでなければ、その有効性を立証することはできない。それなのに護身だろうが、競技だろうが、空手はMMAから目を背けている。それではダメなんだ。

岩﨑 極真とは究極の真実。つまりはあらゆる不都合に挑戦していくことでした。その不都合を壊せというのが極真だと私は今も思っています。

シンゾー 極真は今、いくつものグループに分裂したよね?

岩﨑 そういうゴタゴタが嫌で、私は極真とは名乗らないようになったのです。

シンゾー 極真は日本で最も人気のある空手という印象が強いよ。

岩﨑 そういう時代もありました。だらこそ、1993年にUFCを初めて見た時に『これをやらなければ極真ではない』と思いました。そして何年も後になってヴァンダレイ・シウバとMMAを戦った時に、私は極真のままで戦い、負けました。その後、新しい出会いがあり、MMAで戦える全てをそこに見ることができたのです。

その間、マチダ兄弟はMMAで戦い続けてきました。極真がやるべきこと、私がやらなければならないことをあなた方は続けてきたのです。空手に限らず、本当に強さを追及している人間の全てにシンゾーさんやリョートのやってきたことは大きな影響を与えていると思います。

シンゾー 挑戦こそが僕らのエネルギーの根源になっているからね。リョートは初めてホイス・グレイシーを見た時、『僕はこれをやりたい』ときっぱりと言い切っていたよ。そして僕らの空手がバーリトゥード(※ポルトガル語で何でも有りという意味)で通用することを証明しないといけないと思うようになったんだ。リョートは柔術の稽古を始めた。彼が15歳の時の話さ。

17歳になった時、リョートはバーリトゥードを戦うつもりだった。ただし、17歳の高校生がそんな試合をするには、親の承諾が必要だった。そして、母を戦うことを許してくれなかった。そうしたら父が『望むようにやらせてやらないと。トライしたいなら、戦うべきだ』と説得に動いてくれたんだ。

それでも母は大学を卒業するまでは、親が責任を持つ必要がある。卒業後は好きにすれば良いけど、今ここでサインをするわけにはいかないと許してくれなかった。対して父は道場でバーリトゥードのスパーリングを僕らにさせて、リョートは僕より強くなろうとし、僕はリョートに負けないよう必死になっていったんだ。

岩﨑 MMAに挑戦するにあたり、アジャストするのに最も大変だったのは?

シンゾー 寝技だよ、それは。僕らは相撲の稽古はしていたので、テイクダウンはいくらか経験があった。でも、寝技は全くやったことがなかったからね。

岩﨑 それはそうですね。そこに一から挑んだわけですね。いや、今日は色々と話していただきありがとうございました。価値観、目指すところが非常に似通っていて、勉強をさせていただけました。

シンゾー こちらこそ。とにかく僕とリョートはマチダ空手をMMAで勝てるだけに留まらず、一般の人が使える空手として普及させたい。もちろん、リアルファイトで効果がある空手として。護身として、MMAで勝てる術として、何より人生を豊かにするためにマチダ空手を指導していきたいんだ。

岩﨑 試合に勝つことは自分が幸せになること。でも、皆が幸せになるには自分を捨てることも必要になってきます。それがスポーツと武術の違いですね。

シンゾー そう試合に勝つには、誰よりも我儘にならないといけないからね。

岩﨑 今日、道場に寄らせていただき、ドアを開けた時の子供たちの表情。稽古が終わってから、食事に行こうという生徒さんを見ていると、皆のための空手はある程度、すでに伝えられているのではないですか。

シンゾー おお、ありがとう。そう言ってもらえると、本当に嬉しいよ。

■岩﨑達也
1969年6月20日、東京都出身。極真空手90年、95年全日本重量級チャンピオン、世界大会三度出場。2002年国立競技場Dynamite!!でヴァンダレイ・シウバと対戦。現在、剛毅会空手道主宰、武術空手の指導、MMA選手の育成に励む。

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