【Special】「今をいきよ」──CARPE DIEMブラジリアン柔術・石川祐樹のWay of the Jiu-Jitsu
【写真】2016年度のカルペディエムのスタッフ。左から渡辺和樹、岩崎正寛、玉木強、石川祐樹、橋本知之、岡崎孝哉、トーマス・ミーツ (C)CARPE DIEM
Carpe Diem(カルペディエム)ブラジリアン柔術、石川祐樹率いる道場は日本の柔術界にあって独特の存在感を示している。いってみれば、右に倣えではなく独自の空気感を持つ道場だ。
青山、三田、広尾と3つの道場は石川のアイデンティティ──「今をいきよ」が具現化している空間だ。石川の柔術wayを尋ねた。
──カルペディエムは日本のブラジリアン柔術界に置いて特異な経営、あるいは運営方針を持っています。それはつまり代表の石川祐樹さんの柔術フィロソフィーが基盤になっていると思います。日本の柔術界ではキックやMMAジムに指導者を派遣することはあっても、他の道場で黒帯になった人間をインストラクターとして雇うという例はあまり見られません。
「カルペディエムでは黒帯は青山、三田、広尾の3道場だとスタッフは岩崎正寛、玉木強、橋本知之、インストラクターでは松本義彦がいます。あとはニューヨークでやってきたり、イヴォルブで黒帯になった生徒さんなんかが道場生として練習しています。インストラクターも岩崎はバルボーザの黒帯、橋本は徳島柔術から茶帯の時にやって来て僕が黒帯を渡しました。玉木は白帯の時から僕のところでやっています。日本では珍しいですよね。いろいろと言われることはありますが、僕から他の道場の柔術家にウチで働かないかと──誘ったことは一度もありません。
橋本のことも岩崎のことも知らなかった。彼らの方から『地方でやっていて上京して柔術だけでやっていきたい。雇ってほしい』という趣旨のメールが届いたんです」
──そこで石川さんは了承するという形だったのですね。
「基本、僕はイエスなんです。スタッフは岡崎孝哉もそうですし、12月から紫帯の渡辺和樹も東北からやってきます。そして、彼らが最初に送ってきたメールは手元に置いてあります(笑)」
──そのような申し入れがあるという事実を石川さん自身はどのように捉えられていますか。
「まぁ、フェイスブックとかSNSで楽しいことばかり書いているんで、良いように思っているんじゃないですか(笑)。実際はそうでもない、厳しいことは言います。でも、柔術だけの生活を彼らにして欲しいと思っています。僕自身が柔術だけの生活をしたことがなかったので。
僕は働きながらトライフォースで指導員をして、自分の道場を開いた。そうすると経営に忙しくなった。柔術人生において、選手だけでいたことは1日もないんです。その環境がある人が羨ましかったし、だからそういう環境を用意してあげたいという気持ちはあります」
──その長年指示した早川光由さん率いるトライフォース、その支部を開いていた石川さんがカルペディエムを創る。日本の格闘技に関する環境だと肯定的に捉える向きよりも、『辞めたんだ』と否定的に見られるケースも少なくありません。カルペディエムを創った理由を改めて教えてもらえますか。
「それは自由に……自分の好きなようにやりたいと思っただけです。早川さんがこれから進むであろう道と、僕が進む方向は違うモノになる。そして早川さんは僕には他の人のように自分の考えを踏襲してほしいとは言わない人なんです。
麹町支部の時代でも、すでに毛色が違ってきていたので。このままだと早川さんは、僕との関係で苦しむようになるだろうと考えていました。ならトライフォースの系列に居ない方が良いだろうと。そして、独立しようと思うことをメールで早川さんに伝えました」
──メールなのですか?
「僕のなかで電話よりメールが上という、良く分からない序列があって(苦笑)。色々とありがとうございましたと伝えると、早川さんからも『分かった。今までありがとう。感極まった』という返答を貰いました。もう3年ほど前ですかね……以来、僕と早川さんはメールも電話もなく、一度として言葉を交わしていません」
──本当ですか!!
「それが礼儀だと思っています。敵ではなくても、ライバルになる。そのつもりはなくても事実上、喧嘩を売ったことになるんです。だから体裁だけ仲良くするというのは、あり得ない。一度、どこかの大会で会釈したぐらいですね。早川さんもそういうスタイルだと思います。また何年か経てば話すようになるかもしれないですし。
だから、僕らの中では仲が悪いわけでなく、ただ話をする間柄でもない。一番気になるので、トライフォースのことは見聞きしないようにしています(笑)。柔術会場も年に1度行くかどうかなので、顔を合わすこともないですしね」
──なるほど……。会場に行かないというのは?
「会場に常に顔を出し、レフェリーをずっとされている先生方は素晴らしいと思います。そういう先生の道場の多くが日曜日を休みにしていらっしゃいます。でも、僕は経営のためにソレはできない。日曜日は一番人が多く来る日なんです。広尾と青山、連続で指導していします。
平日は色々と仕事もあるので指導がそれほどできません。そんな僕の指導を受けたいと思ってくれる人が来てくれる日なので、なるべくクラスを受け持っています。
ある意味、トーナメントは柔術界が成り立つ一つの要素だと思います。だから、そこで力に立てないなら僕なりの柔術界の貢献をしようと思っています」
──それはどういう部分で、でしょうか。
「一般誌などで柔術を取り扱ってもらう。そういうことは自分の役割だと思っています。雑誌を読んだ人が皆、カルペディエムに入会するわけじゃないですし、それに地方の人も雑誌で柔術を知ってくれるはずです。実際、そうやって近所の道場に入った人がいるということもあるみたいですし。そういう一般メディアを動かすこと、それこそが僕ができる柔術界への貢献なんです。
それも僕流なので菜々緒さんに黒帯を巻き、ジローラモさんに紫帯を巻いて撮影したことで、色々と批判は受けましたけどね(笑)」
──菜々緒さんの黒帯は良しとして、紫帯というのはまた微妙だったのかもしれないですね。
「えっ、そうですか。だって黒道着に紫帯が一番格好良いと思ったからなんです」
──柔術を知ってもらうためなら、白帯を批判が出るのも分かるような気がします。
「だってファッションですよ。そうですかねぇ……。でも、格好良くて、きっと柔術を知らない人がそれで柔術の興味を持ってくれて──あぁ白帯から始めないといけないんだって分かると思うんですよ」
──紫帯じゃないと柔術はやらないという人はいないと。
「なりより、格好良かったからイメージアップになるって考えただけですけど……ね」
──他の人ができることでもないですし。それぞれの役割があるということですね。
「どちらかというと、僕は自分にしかできないことを理解しているつもりです。でも、大会をサポートしていないことへの言い訳にしからないので、そこはご容赦願いたいです」
──もう既に確固たる柔術感を窺えているような気もするのですが、石川さんは独立してどのようなことを目指しているのですか。
「僕はニューヨークやアメリカの文化が好きなんです。スケーターとかサーファーが文化を持っている。スケートをやっていない時もスケーターはスケーターのファッションがあり、独自の文化がある。
ボードには10年も乗っていないけど、サーファーとして生きている人っていると思うんです。対して日本で柔術といえば、まだ柔道の流れのように技を教わるモノ。道場は技を教わるところ──もちろんブラジリアン柔術の技を身に着ける場所なのですが、そのためにもお喋りをしに来る人がいても良いなって思うんです。
柔術家は柔術をやっていないと柔術家として見られないじゃないですか。そうでなくてスパーリングで汗を流すことができなくても、柔術家だと思えるカルチャーにしていきたい。何て言うのか……柔術家しか持ちえない独自のカルチャーが日本は見当たらないんです。
言葉にするのは難しくて、これまで言っていることとは何だったんだと思われるかもしれないでしょうが──柔術家だと存在証明できるのはトーナメントで表彰台に乗ることだと思います。
だからこそ、試合結果ばかりを追い求めない──色んな仕事を持っている人が柔術をやっていて、アーチストもいる。そんな人達の生き方と柔術がクロスし、両方を高めている人だった立派に柔術家として生きています。そんな人の存在感が高まるような柔術のカルチャー化を推し進めていきたい。
試合に出ていなくても、道場で強い人だって注目されるような。そうですね、人生を豊かにするツールである柔術というものを追及し、広めていきたい」