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【Special】魂を受け継ぐ者──高阪剛&神部建斗・対談<01>「最初からバリバリやろうと」(神部)

TK & Kanbe【写真】醸し出す空気感は父と子。理想の師弟関係のように感じられる高阪剛氏と神部建斗 (C)MMAPLANET

1996年9月生まれの19歳。プロMMA戦績は6戦6勝、12月13日にはキング・オブ・パンクラス・ライトフライ級王座決定戦に挑むことが決まった神部建斗。

中学卒業と同時に岡崎を離れ、世界のTKこと高阪剛氏率いるアライアンスに直談判をして入門を許された。それから3年半、師の想いを受け止め神部は確実に力をつけてきた。そんな両者の師弟関係を振り返り、将来を語ってもらった。

──神部選手がアライアンスに入門してから、もうどれぐらいが経ちますか。

神部 入門したのが高校1年生の年ですから……。

高阪 4年目ですね。3年半前にやって来ました。

──地元を離れ、こちらに出てきた。数あるジムのなかでアライアンスでMMAファイターを目指した理由は何だったのですか。

神部 中学の時に先生とマーク・ハントの試合映像を見て、素直にヤバイなと。結果的に先生は負けてしまったけど、マーク・ハントっていうK-1で一番になったファイターと日本人であんなにバチバチにやり合えるって……。この人の指導を受けたいと思いました。

母にも相談したら、『選手として実績があって指導力のある人に就きなさい。そして、やるならトコトンやりなさい』と。だから中途半端に仕事をやりながら練習とかではなくて、一本でやって芽がなければ1年で帰るというつもりで出てきました。

──K-1甲子園が大いに注目されていた時代、キック系など中学を出てプロを目指すという子が多くなった時期もありました。高阪さんからすれば、MMAで中学を出て故郷を離れてやってくる子に対して、どのよう想いでいたのでしょうか。

高阪 そういう子は建斗以外にも何人かいました。ある種、こういうことって……う~ん、そこまで人生経験のない子は自分がいったい何者なのかも分からない状態じゃないですか。そこで格闘技をやって、一度悩みだすともうダメなんですよ。負のループに入ってしまって。逆に一本筋が通っていて『俺には格闘技しかない。天辺目指してやる』という想いがブレない子は続きます。

建斗のお母さんとも話をして、可能であれば高校を行きながら格闘技を練習することが望ましいと伝えさせてもらいました。ただし、本人の意志が固くて格闘技中心にで行くと。自分としてもその時点で建斗ができる、できないというのは分からないです。だから、もう一つ逃げ道と言ったら何ですけど、オプションがあって格闘技に取り組む方が余裕が生まれるという話をしました。結果的に通信制の高校で勉強をしながら、格闘技をやるということで折り合いをつけました。

──あまり無責任に「ようし、ガンバレ」とは言えないと。

高阪 そうですね。ただし建斗に関しては、その時点で『コイツは何かある』と感じていました。中学3年生が自分の言葉で格闘技でトップになると伝えることができる。それは一本筋が通っていると思いましたね。でも、何も確証がないことですからね。

神部 このときなんですよ。母が『優秀な指導者の人は他にもいるでしょうけど、学業もやるようにと言ってくれる高阪先生の下でやるべきだ』と言ったのが。やはり親ですから、格闘技がダメだったときのことを考える必要があり、そこを先生はすぐに言ってくれたことで、本当に信頼できる人だと思ったようです。

僕自身、ケガをして格闘技を断念しないといけないとか、何が起こるか分からないので、先生の話を聞いて高校は出ておくべきだと思うようになりました。そして、高校が卒業できないようなら格闘技を続けることはできないという約束もさせられました。

ただし、その時は東京でプロ練習に混ざって最初からバリバリでやろうと思っていたのですが……。

──師匠から成田でまずは鍛えろと。

神部 単純に弱かったですから。でも、正直なところ『ここでは通じない。ダメなんだ』という気持ちにもなりました。今になって、あの時に成田に行かせてもらったことが僕にとってベストだったと思っています。

高阪 やはり段階を経る必要が絶対的にありますからね。建斗の練習をまずこっちで見て、格闘技の動きはできていました。ただ、このプロ練習が行われている場所でがんじがらめにするのは良くないと思いました。

アライアンスという道場は目、頭、心を開いた状態で格闘技もそうですし、他のことに興味を持ってほしいんです。格闘技なら、ここだけの練習に没頭するのではなく、『アレもできるんじゃないか』、『これもできるんじゃないか』という風にチャレンジし、それをアライアンスに持ち返って最終的に総合格闘技に落とし込む。

だいたい、自分のようなヘビー級と建斗が練習したところで、攻撃に幅なんてできないですよね。逃げる、防ぐばかりで。だからこそ、彼の可能性を広げる環境が必要だと思いました。

──なるほど。

高阪 建斗が年齢とともに成長していくことは分かっていました。だから1年ごとに本人、お母さんとも話をして現状確認と方針を決めていました。

──高校生が東京に出て来て、色んな誘惑にかられる可能性もあります。

高阪 そういうことも考えはしましたが、建斗は大丈夫だと思っていましたよ(笑)。なんせ、練習の動き、取り組み方を見た時に本当に好きだっていうことが伝わって来たんです。

<この項、続く>

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