【on this day in】7月05日──2009年
【写真】アイドル顔負けの甘い顔をしていたハファ (C)MMAPLANET
Rafael Mendes in Bull Terrier Fighting Gym
@静岡県浜松市ブルテリア格闘技ジム
「今から6年前、20歳になったばかりのハファエル・メンデスをブルテリア格闘技ジムで初めてインタビューした。この年のムンジアルで黒帯1年生だったハファはペナ級3位になっていたが、19歳で世界大会の表彰台に乗ったこともよりも、アトス柔術からブルーノ・フラザトと共にコブリーニャ対策として使用した50/50ガードの方が話題になっていた。50/50ガードの攻防を見て、マットサイドに陣取った古くからの友人が、『出た、50/50だ。こんな膠着ガードは禁止にすべきだ』と毒づいた。正直、それまでこのガードの名前も知らなかったし、外掛け禁止や内掛けはOKというルールに関しての認識も曖昧だった。ただ、あれだけ自由自在に動いていたコブリーニャの攻めを封じたのは事実。動くことができないから、膠着が生まれる。結局、そのコブリーニャにレフェリー判定で敗れたハファは、このインタビュー中に『僕は50/50だけの柔術家じゃない』と何度も訴えていた。それでもこっちの興味は、その評判の悪さとは裏腹に使い手が増えていく一方の50/50に集中しており、ハファには50/50からのコンビネーションを披露してもらった。50/50からスイープ、バック、アンクルロック、それらの連続写真を撮りながら『なんだ、50/50からでなくても入れる技ばかりじゃないか』と思っていた。それで良いことが、当時の僕は分かっていなかった。別にどんな態勢からだろうが、スイープ、バック、アンクルロックに移行しても構わない。50/50からだったとしても、クローズドガードからでも、ラバーガードからでも構わない──それが柔術のはず。パスガードもディープハーフも、ベリンボロも、技と技をつなぐ技術。ひっくり返すことに目を奪われる余り、(競技)柔術の神髄に気付いていなかった。柔術とはトランジッションの連続で、その果てに極めがある。そんな風に考えることができるようになる頃には、ハファはフェザー級で5度の世界王者に輝く不世出の柔術家として、歴史に名を残す存在になっていた」
on this day in──記者生活20年を終えた当サイト主管・髙島学がいわゆる、今日、何が起こったのか的に過去を振り返るコラム。自ら足を運んだ取材、アンカーとして執筆したレポートから思い出のワンシーンを抜粋してお届けします。