【FORCE24】ライト級転向&掛水力と対戦、松浦真実也が語る実業団トップティア「遠回りをしてきました」
【写真】格闘技と事業を両立させる実業団のモデルケースとなるか(C)FORCE
25日(日)、香川県高松市の高松シンボルタワー展示場で開催されるFORCE24で、松浦真実也が掛水力と対戦する。
Text by Shojiro Kameike
1989年生まれの37歳、30歳でMMAを始めたという松浦の公式プロフィールには「埼玉県生まれの格闘家・牧師・教育者・実業家。宗教法人ジーザス・ビート代表役員・主任牧師。介護福祉士、プロMMAファイター、音楽プロデューサーとしての顔も持つ」と記載されている。そのなかで注目されるのは自身が所属する「総合格闘技実業団トップティア」の存在だ。MMAにおける実業団制度、事業と格闘技の両立、材育成や告知・拡散、さらには格闘技イベント「TOPTIER Fighting Championship」の設立まで――深堀していくと興味深すぎる松浦のキャリアが明らかとなった。
格闘技団体を立ち上げることで、運営している実業団の選手が活躍する場が増えますよね。それぞれが互いを補い合う関係になっています
――公式プロフィールを見るだけでも、様々な経歴を持つ松浦選手です。ファイター、牧師、実業家、音楽プロデュースなど、まずどこから聞けば良いのか……。
「アハハハ。来月の4月からは、格闘技をしながら高校卒業資格を取得できる『MMA CA』という学校を始めることになりました。現在、宮城県と新潟県からの入学希望者も含めて、計12名の青年たちを1期生として育てていくことになります」
――さらに経歴が加わったのですね。それだけ様々な仕事を並行して実施していくのは、とても難しいことだと思います。松浦選手の場合、子供の頃からいろんなことをやりたいと思うタイプだったのでしょうか。
「そうですね。子供の頃から『強くなりたい』という気持ちもありましたし、芸術が好きだったりと、あらゆることに興味や関心がありました」
――どれか一つを選ぶというよりも、やりたいことは全てチャレンジする、と。
「はい。器用なタイプではあると思いますが、レバレッジといいますか――たとえば格闘技団体を立ち上げることで、運営している実業団の選手が活躍する場が増えますよね。逆も然りで、実業団があることで団体の選手も生まれる。他の分野に関しても、それぞれが互いを補い合う関係になっています」
――なるほど。様々な経歴の中で、順番でいえば牧師がスタートだったのですか。
「バックボーンは牧師ですね。バックボーンという言い方をしていいのかどうか(笑)」
――バックボーンという表現が、格闘家らしくて素敵です。
「アハハハ、まぁ本職ですよね。現在は宗教法人ジーザス・ビートの代表役員、主任牧師です。主にクリスチャンの方の信仰の成長をコーチングしています。その仕事と並行して24歳の頃……2014年、私は埼玉県出身なのですが、父が出身の高知県須崎市で開業した介護事業に携わっています」
――プロフィールには牧師、介護事業に続いて「その後、音楽・映像制作クリエイターとして独立し」とあります。振り幅の大きさとフットワークの軽さが凄いですね。
「フットワークが軽いとは、よく言われます(笑)。ずっと『音楽業界で仕事がしたい』という夢があり、その夢も諦めることができなくて。2017年12月、妻の出身地である沖縄に行き、音楽事業を立ち上げました。ライブハウスを運営したり、音楽CDを制作したり――自分自身もアーティストとして活動していましたが、それ以上に他のアーティストをプロデュースすることを主な仕事としていました」
――沖縄で音楽といえば、修斗沖縄大会が開催されている……。
「ミュージックタウン音市場ですよね。私も音市場の近くに住んでいました。ORANGE RANGEなど沖縄出身の有名なミュージシャンが多数、あの場所から出てきています。
格闘技を始めたのも沖縄にいた時でした。30歳の時に音楽の仕事で、フィットネスのBGMを創る商談をしていて。その方と一緒に格闘技ジムへ行ったんです。もともと格闘技は好きで中学生の頃からテレビで視ていましたし、少し柔道をやっていた時期もありました。ただ、当時は近くに格闘技ジムがなく、少し離れたところにあるジムに通おうにも足(車)もなかったので諦めたりとか。あとフィリピンのバギオ市に住んでいた時期には、友達にフォラヤンの知り合いがいて、彼が当時所属していたチーム・ラカイを紹介すると言ってくれていましたが、タイミングが合わなくてチャンスを逃してしまい……。30歳の時にようやく格闘技を始めることができたという感じです」
実業団に入ってきてくれた人たちがいなかったら、自分の会社もつぶれていたと思います。私もプロになれなかったかもしれません
――チーム・ラカイでMMAを始めていたら、また別の道を歩んでいたかもしれないですね。ONEに出場しながら、いわゆる逆輸入ファイターとして日本で試合をしたりとか。
「それはそれで面白いキャリアになっていたでしょうね(笑)。
沖縄ではキックボクシングのジムで練習を始めましたが、やりたかったのはMMAで。その頃に花澤大介13さんが沖縄でジム(うるま市、studio Will)を立ち上げて、生徒第一号のような形でマンツーマンで指導を受けていました。
そうして打撃と寝技を学んだものの、どうしてもMMAという競技に慣れず、試合に出ても勝てない。そこで当時のパラエストラ沖縄(現THE BLACKBELT JAPAN沖縄)に移籍し、そこで1年と少し松根良太さんの指導を受けました」
――そこから高知へ戻って格闘技を続けることになるのですか。
「チャンピオンを目指した自分にとっては、もう30歳を過ぎたし時間もないと焦っていました。そんなところで父が沖縄に尋ねてきて『高知に戻ってこないか』と。父の事業と自分の格闘技を測りにかけた時、やはり父の事業のほうが大事だと思い、高知に戻ったんです。
そこから事業の改革を進めながら、やはりプロMMAファイターになることを諦めきれず、実業団を設立しました。米国の最高のチームに格闘技留学することも考えていましたが、逆に日本でそういうチームを創ることができるんじゃないか。そのためには実業団の形が良いと思ったんです。やはり会社のサポート、生活の基盤があるなかでチームとして、たくさんの選手がいるなかで毎日練習する。その形を追求して現在は5期生まで続いています」
――格闘技界では実業団という形で継続されている例は存在しないか、あっても少ないと思います。
「自分は格闘技の実業団について前例を知らなかったので、バドミントンなど他の競技の実業団を研究しました。ただ、最終的には『やってみないと分からない』。自分の特技は、そこでやっちゃうところなので(笑)」
――そこでもフットワークの軽さが生かされた、と。
「アハハハ、そうなんです。そうして実際に始めてみて、今となっては実業団に入ってきてくれた人たちがいなかったら、自分の会社もつぶれていたと思います。それぐらい会社にとってもプラスになりましたし、私もプロになれなかったかもしれません」
――というと?
「自分は実業団を立ち上げたあと、プロになることができました。須崎市というのは、高知市に行くのも高速道路を使って1時間半かかるような場所で。引っ越してきた頃は練習環境や練習相手も整ってはいなかったです。まず当時は経営している老人ホームの6階に、私と妻が住んでいて。そこに全国から来た実業団所属選手を集め、マットを敷き、毎日2部練を行っていました。
私もアマチュア選手でしたが、指導をしなければいけない立場になりました。しかし指導するうえで言語化、体系化していくと自分の中でも理解が深まり、私自身も強くなることができたと思います」
フェザー級の時は減量のことばかり気にしていて、ライト級のほうがゲームプランに集中できる。自分の適性階級はライト級だなと実感しています
――ちなみに実業団を立ち上げた時は、どのように情報を告知や拡散していったのですか。
「主にWebサイトとYouTubeですね。アマチュアで33戦しているのですが全試合、Vlog形式で動画をアップロードしています。自分でカメラを持っていき、試合前から『今から試合です。緊張します』という部分も撮影していて。おかげで格闘技が好きなアマチュア選手を中心にフォロワーも増えていましたから、実業団を始める時も反響がありました」
――介護事業を展開しているなか、そうした格闘技に関する活動や実業団の運営も、周囲から理解はあったのでしょうか。
「初めて経営会議でプレゼンした時は、誰も理解できていなくてハテナマークが見えました(笑)。『そんなことを初めても誰か来るの?』という意見もあって――まず田舎はどこもそうだと思いますけど、介護事業は人材不足で、スタッフを募集しても応募は少ないです。特に若い人が応募してくることは稀で、二十代の男性が応募してくるのは3年に1回ぐらいかもしれません。そういうレベルだったものが、これまでに70名の応募があり、うち30名が移住して入団しています。ここまでになるのは自分でも想像がつかなかったですね。
格闘技と介護職というのは、ギャップもあると思います。ただ、強さというのは優しさにも繋がってくるものであって。体だけではなく心も――困っている人を助けるという気持ちも育っていってほしい。TOPTIERは、そういう成長ができる場所でありたいと考えていますし、その延長線上に学校の運営もあると思っています」
――そうして介護事業と実業団を展開するなか、自身も選手として活動している。そのバランスを取ることはできていたのですか。それこそ時間や体力の問題も含めて。
「1日2部練して、1週間に13セッションぐらいは2年前までやっていました。それでも両立できていましたね。仕事の面でいえば、僕は意思決定が大事な部分で。言ってしまえば、決断すれば一瞬で終わります。ずっと現場にいなきゃいけないわけではないので、バランスを取ることはできていました。
ずっと沖縄にいたり、あるいは米国に行っていると、また違う形のファイター人生になっていたと思います。そのぶん遠回りをしてきました。環境を創るところから始めて、選手を育ててようやく僕と格闘技のキャッチボールができるようになる。つまり自分の練習相手を育てる面もあったので、かなり遠回りしたはずです。ただ、自分のやりたい練習ができた――自分が自分のコーチになったような形で。それが良かったのかどうかは分からないですけど……」
――遠回りしてきた道が正しかったのかどうかは、これから選手として、試合で証明していくものではないですか。ファイターとしての目標は?
「僕の戦績を見ていただくと、これまで勝ったり負けたりの繰り返しでした。ただ、ずっとフェザー級で試合をしていましたが、前回からライト級に上げて、キンコンカンコンケンチャンマン選手を相手に力負けはしないと感じましたし、体調も良かったです。アップする時から調子は良くて。
フェザー級の時は減量のことばかり気にしていて、ライト級のほうがゲームプランに集中できる。自分の適性階級はライト級だなと実感しています。次の試合で勝ったらライト級で2連勝、階級変更に成功したといえますよね。今後はライト級に転向して、本領発揮できるんじゃないかと期待しています」
――対戦相手の掛水選手は、バリバリのレスリングベースです。どのような印象を持っていますか。
「これまでもレスリングで実績のある選手にも勝っていますし、レスラーに対する自信はあります。掛水選手は結構パンチを振ってくる印象があるので、そういうパンチは効かされないように。これまでアマ、プロ含めて40試合してきました。そこで得た引き出しを使い、自分の強みをぶつけていきます」
■視聴方法(予定)
10月25日(日)
午後2時50分~ ツイキャスPPV
■FORCE24 対戦カード&計量結果
<バンタム級/5分2R>
奇天烈:61.1キロ
魚山皓平:61.1キロ
<バンタム級/5分2R>
藤川智史:61.1キロ
宮城友一:61.1キロ
<フェザー級/5分2R>
垂水稔朗:65.5キロ
P助:65.7キロ
<フェザー級/5分2R>
池田蔵ノ介:65.6キロ
長光雄平:65.6キロ
<2026年度フェザー級新人王決定T準決勝/5分2R>
ISODA:65.4キロ
谷川渉:65.6キロ
<ストロー級/5分2R>
シン・ケンザン:52.2キロ
植村天翔:52.0キロ
<バンタム級/5分2R>
波平コング:61.0キロ
小見山瞬:61.2キロ
<ライト級/5分2R>
松浦真実也:70.3キロ
掛水力:70.1キロ
<ライト級/5分2R>
おえゆうた:69.9キロ
北原蓮:69.9キロ
<フェザー級/5分2R>
上野鷹臣:65.4キロ
西村良太:65.6キロ
<2026年度フライ級新人王決定T準決勝/5分2R>
村泉空:56.5キロ
福島祐貴:56.5キロ
<2026年度ストロー級新人王決定T準決勝/5分2R>
松田愛翔:51.9キロ
出井海七斗:51.7キロ




















