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【Special】Fight&Life#89から。未来予想図──2022年1月に河名マストと中村倫也が語っていたこと

【写真】変わった? 変わっていない? ちなみに2022年1月に生まれた赤ちゃんは、今は2年2カ月です(C)MMAPLANET

MMAPLANETで第一弾の記事がアップされたばかりの中村倫也×河名マスト対談。記事中で触れられたた2022年1月Fight & Life#89掲載用のインタビューで、その出会いから──今を予言するかのような将来が語られていた。
Text by Manabu Takashima

2月2カ月前にUFCを目指す両者が、何を話していたのか。改めて、今、このタイミングでMMAデビューイヤーを終えた2人の話に目を通して欲しい。


──専修大学の同級生から、まるで別ルートでMMAに辿り着いた中村倫也選手と河名マスト選手です。キッズからレスリングで活躍していた2 人ですし、出会いはもっと早かったのでしょうか。

中村 小学5年生の時に全国大会の1回戦で当たったのが、マストと最初の出会いですね(笑)。

──アハハハハ。そんな昔から!!

中村 小4の時にマストが26キロ級で優勝して、僕は28キロで…。

河名 3位だったんだよね。

──そんな風に相手のことを認識できていたのですね。で、2人が出会った時の試合結果は?

河名 ポイントは忘れましたが、僕が負けました。

中村 7-4です!!

河名 凄い、覚えているんだ。

──ドヤ顔ですね(笑)。

中村 あの試合は凄く覚えています。試合前から『あの子はチャンピオンだから』って意識していたら、小学生のくせしてヘッドギアをして、ボロボロのテーピングで巻いていて。『絶対強いじゃん!! 無理、無理』って(笑)。最初怖すぎてテイクダウン狙ったら、がぶり返しをポーンって合わされて。『クソ強い。ボコられる』って思いました。あの試合は勝てたことが凄く嬉しくて、終わってから映像を何度も見返していました。

河名 よぉ覚えとるわ(笑)。僕は負けたことしか覚えていなかったです。優勝した年に父親に火がついてしまって、『家にマット敷くぞ』みたいな状態になって。家でも練習していたのに負けて、相当に悔しかったです。あの年、倫也は優勝して。小6の時にはまた戦っているんです。今度は2-3で負けました。

──その時点でお互いをライバル視していましたか。

中村 マストが広島で、僕が埼玉だからブロックが違っていて年に1回、あっても2回ぐらいなのでそうでもなかったです。ただ全日本になると、来るなというのはありました。

──その関係は中学になっても継続していたのですか。

河名 中学になると当たり前に僕が負けるようになっていました。

中村 マストは中学の時は一旦、燃え尽き症候群になっていた時期で。

河名 どっちかという陸上に力を入れていて、レスリングはもういいやってなっていました。

中村 体育館で少し話して、陸上の方に行くんだと思っていました。

河名 倫也は中2で全国2位、中三で優勝していて。「やっぱり強いな。俺はコソコソやっていよう』って思って見ていました(笑)。

──でもレスリングに戻ったのは?

河名 高校で陸上かレスリングどちらかにしようと考えている時に、インターハイが石垣島であるのを知って、団体戦ならイケると思ってレスリング部に入ったんです。

中村 動機が不純すぎ(笑)。そのくせしてJOC杯(カデット)と国体で、ちゃっかり2位になっているんですよ。

──しっかりと結果を残していたということですね。

河名 倫也はJOC杯(同)優勝で、世界カデットで2位ですからね。

──高校での対戦は?

河名 僕がグレコで倫也はフリーだったので、もう当たることはなかったです。戦ったのは小学生の時の2度だけですね。

──そして大学で一緒になったと。グレコとフリーだと、練習をすることもないのですか。

中村 大学によっては完全に別々ですけど、専修大はどっちがどっちでやっても良いという空気でした。フリーの選手もグレコの練習をした方が良いし、逆も然りで。コーチがそういう感じで、僕もそう思ってやっていました。マストもめちゃくちゃフリーの練習をしていましたよ。

河名 グレコはガチガチで真面目にやらないといけないですけど、フリーだと遊び感覚でできたので。

中村 僕もフリーでは負けられないけど、グレコは別にそんなことなく、ただ思い切りやれば良いので楽しかったです。それこそフリーでポイントを失うと、ガヤが飛んできて大変なことになるので(笑)。

──寮生活だったと思いますが、練習以外での交流というのは?

中村 練習が終わって一緒にお好み焼きを焼いて食べたり。マストは広島なんで実家からプレートを持ってきて、ソバとか入れて焼いてくれるんですよ。

──やっぱり広島風なのですね。

河名 そこはやっぱり、拘っていました。

──私は関西なので……。

中村 ダメです!! その会話は。もう1年の時から、さんざっぱら論争になっていたので(笑)。あとは牡蠣が送られてきたり。練習後に牡蠣パーティもしましたね。

河名 それでノロウィルスで下痢になって(笑)。

──アハハハ。日本のトップレスラーも、大学生をしていたのですね。

河名 休みの時は一緒に渋谷に行ったりしていましたよ。でも、倫也はすぐに奇行に走るんですよ。内容は下品過ぎて言えませんが……。

中村 骨盤底筋群……インナーを鍛えまくった成果だから、皆に披露したくて(笑)。

河名 僕も◯◯見ました。しょっちゅう見せているので(笑)。別に酒を飲んでいなくてもやるんです。

──アハハハ。モノが違いますね。ところで一つ伺いたかったことがあるのですが、大会に向け複数名が寮の中で減量するわけじゃないですか。どのような空気になるのですか。

河名 機嫌が悪くなる先輩もいたので、そこは気を付けていました。

中村 レスリングの減量は練習で1.5キロ落として、500グラム食べる。10日間続けると、10キロ落ちる。そんな感じだったんです。

──えっ? 

中村 僕はハイパーダイエットとハイパーリカバリーっていうのがあるのを格闘技雑誌で知って。向うのサイトをチェックしたりして、浸透圧とか勉強しましたね。塩抜き、水抜きをやってみると『これはめっちゃ楽に体重が落ちるぞ』って(笑)。

河名 僕らも減量の仕方を倫也に教えてもらっていました。当時から倫也がMMAに進むつもりだっていうことは皆が知っていたし。でもレスリングでもヒーローみたいで、コイツはずっと上に突き進むんだろうと皆が思っていました。リーダー気質というか、ついていきたくなる人間だったんです。で、ついてくと◯◯を見せられる(笑)。

──アハハハハ。マスト選手は良い感じ話術が優れていますね。それにしても倫也選手は大学の同期からも、そのように思われていたと。

河名 倫也は2年でインカレと全日本大学フリー選手権の両方で優勝して。大学って高校から入ってきた1年の時と卒業する前の4年の時って、全くフィジカルが違うんです。普通の高校王者だと勝ち抜けないです。全日本王者の高橋(侑希)選手に全日本選抜で勝ったり、その時点でもう日本のトップクラスでした。

中村 でも3年、4年とケガをしてどっちも欠場していますからね。逆にマストは4年でインカレと全日本大学グレコ選手権で優勝しているんです。僕のことをああいう風に言ってくれますけど、マストこそ大きなケガをせず、コツコツやって力をつけてチームの皆が喜ぶ勝ちを収めていました。だって大学3年の時に倉本(一真。現MMAファイターで2014年の全日本優勝)さんをリオ五輪の最終予選でぶっ倒しているんですよ。『ここまで来てんのか』って。

河名 あそこで俺も五輪って言って良いんだと思って。

──倫也選手は、もっと早く五輪を目標にしていたのですか。

中村 僕は五輪よりもUFCでした。必死で五輪に行きたい人間からすると『何言ってるんだ!』って反感を買っていたと思います。でも、それがなんだって。何が悪いんだって。

河名 倫也の取り組みを見ている人間なら、そういうことは思わないです。練習だけでなく、私生活でもそこを真っ直ぐ目指していることが伝わって来ていたので。誰も何も言わないし、本当に応援したいという風に大学の皆はなっていました。

──では一昨年の4月にMMAに転向した時は、マスト選手は『ついに』という感じだったのでしょうか。

河名 「やっとか。現実になって良かった。倫也のやりたいことができる」ぐらいで。そういえば倫也は入寮の時にベンソン・ヘンダーソンのフィギアを持っていました(笑)。

中村 あとアンデウソン・シウバの等身大のパネルですね(笑)。

河名 そんなだから、倫也がどれだけレスリングで成功しても、最終的にはMMAに行くと思っていました。

──では昨年、マスト選手がMMAに転向すると知った時、倫也選手はどう思われましたか。

中村 「勧めないぞ。この世界は」って思いました(笑)。僕自身が壁にぶち当たっている時だったんで。TRIBEさんのプロ練習で背中を伸ばされて、『あぁ』とか言っていた頃で。もう泣きながら電車に乗っていた時期だったので、『ホントに?』って。ただ自分が我がままを貫き通していたので反対はしなかったです。

河名 倫也の場合は根っからのMMAファイターが、レスリングも強かったということだったと思います。

中村 それはケガをした期間のおかげです。その間はレスリングを離れて、体の使い方とか凄く勉強していたんです。皆が言われたままにウェイトとかやっている時に。

河名 とにかく大きくなれみたいなフィジカルだったもんね。

中村 その間、僕はUFCや米国の練習を研究して、機能回復系のジムに行ったり。だからケガから復帰した時には新しい動きができて、新しい技が使えるようになる。そういうことを繰り替えてしていたので、MMAでも自分を落とし込めるようになっていました。

──その辺りはプロ初戦を左ハイでKO勝ちの倫也選手と、右ハイから流血TKO負けになったマスト選手で明暗が分かれました。

河名 やっぱ、こうなるかって(笑)。もちろん勝つつもりで戦いましたけど、こうなるなと……。倫也のあの勝ち方は20数年間のMMAへの愛が形になったと思いました。

中村 あぁ、確かに。でもマストにはマストの強くなり方があります。レスリングの時と同じでケガがなくて、練習を続けて強くなる。もう4試合もしていますからね。ランデルマンに負けたあとの、ミルコみたいなペースです(笑)。

──例えが(笑)。そしてマスト選手は、EXFIGHTで狩野優戦が決まりました。組み技を合わせると10月から5カ月連続の実戦です。

倫也 ヤバいよ、ソレ。前の試合の打ち上げでマストも「ちょっと休む、さすがに」って言っていたんです。で、家に戻ると『EXFIGHTのオファーが来てしまった』ってメッセージが入っていて。でも、徐々に思い切り打撃が出せるようになっていますしね。本当に試合をする度に成長しているんです、マストは。

──一方、倫也選手は4月にLDHのPOUNDSTORM出場が確定しています。髙谷さんは最高に厳しい相手を用意したいと……。

中村 僕もそのつもりです。何も決まっていませんが勝手なことを言わせて貰えば、UFCに行くためのフィーダーショーで一番強いチャンピオンとやりたい。そしてPOUNDSTROM後にコンテンダーシリーズに出て、UFCとの契約を取りたいです。そこで取れなくても、インパクトは残せると思うので最長でも再来年にはUFCへ行きます。

──再来年ですか、来年ではなくて。

中村 そこでこけると、もう一回順番を持つことになるので……その覚悟を持って挑みます。でも最短だと9月ですっ!!

──今の言葉を聞いて、マスト選手はどう思われますか。

河名 倫也なら、やっちゃうんだろうなって思います。それが倫也らしさなんで(笑)。

中村 言っちゃたぁ(笑)。

──マスト選手もUFCが目標と公言しています。

河名 期間で言うと、最速で再来年を目標にしています。そこまでに国内のフェザー級のトップ、パンクラス、DEEP、修斗のチャンピオン・クラスに勝てるようになっていたい。団体に拘りはないですけど、そうなっていないといけないです。

中村 マストは『コイツを食ったかぁ』という風に勝つときが来て、そのまま一気に行っちゃうと思います。

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