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【Pancrase333】12月に流れた粕谷優介戦へ、葛西和希─01─「格闘代理戦争とネオブラで負けて良かった」

【写真】コツコツ、コツコツと励んでいる。戦い方から、その姿勢が伝わって来ていた選手のインタビューです(C)SHOJIRO KAMIKE

30日(日)、立川市の立川ステージガーデンで開催されるPancrase333で、葛西和希が粕谷優介と対戦する。
Text by Shojiro Kameike

この試合は昨年12月25日の横浜武道館大会で行われる予定だったが、葛西が練習中に肋骨を骨折して欠場に。代役として葛西のジムメイトである岡野裕城が粕谷と対戦した。仕切り直しとなったこの一戦の勝者が、メインのライト級王座統一戦の勝者に挑む可能性も十分にありうる。そんな運命を決する試合を前に、葛西にこれまでのキャリアとスタイルチェンジについて訊いた。


――昨年末の横浜武道館大会を前に、MMAPLANEでは横浜武道館大会に向けて葛西選手にインタビューさせていただくことが決まっていました。しかし葛西選手から「肋骨を……」というご連絡があり、インタビューも改めてセッティングと相成りました。

「あの時はすみませんでした……。僕なんかのインタビューをしてくださるということで、ご連絡を頂いた時は本当に嬉しかったです。なのに負傷してしまい、パンクラスや粕谷選手はもちろん、MMAPLANETさんにも申し訳なくて」

――いえいえ、本当に気にしないでください(苦笑)。その時のやり取りも今も、葛西選手が恐ろしいほど腰が低くて驚きました。ギャップがあるとは言われませんか。

「え、ギャップというと――」

――以前はロッドを巻いたような髪型でしたし、試合中も声を挙げながら左ミドルを蹴っているので、失礼ながらオラオラ系なのかと思っていました。

「あぁ、見た目はそんな感じでしたね(笑)。声を出しながら蹴るのは、ムエタイを練習しているからだと思います。ムエタイの練習では、ミットを蹴る時に声を出すよう言われるんですよ。だから試合でも声を出して蹴ったほうが、リズムや流れが良くなります」

――もともとMMAの前にキックボクシングをやっていたのですよね。

「はい。小学校3年生から高校まで柔道をやっていて、高校を卒業したあとに地元の青森から、仙台にある柔道整復師の専門学校に入ったんです。その頃からMMAをやりたいという気持ちを持っていました。でも仙台に引っ越した時、近くにMMAのジムがなくて……。その時にバイト先の先輩から『今まで柔道をやっていたのだから、まず打撃から始めてみてもいいんじゃない?』と言われて、近くにあった笹羅ジムというキックボクシングジムに入会しました。笹羅ジム時代にキックの試合を経験したあと、専門学校を卒業してMMAをやるために茨城のマッハ道場に入りました」

――なぜマッハ道場を選んだのでしょうか。

「専門学校へ通っている時、当時『マッハ整骨院』を開業したマッハさんが、SNSで『格闘技をしながら整骨院で働きたい人』を募集していたんです。自分もいずれは関東でMMAをやりたいと思っていたので、SNSを見て即マッハさんに連絡しました。その年の夏休みにジムを見学し、マッハさんからも『学校を卒業したらウチにおいで』と言ってもらえて」

――まさに絶好のタイミングでしたね。もともとMMAをやりたいと思ったキッカケは何だったのでしょうか。

「小学校の時に観たPRIDEですね。その前からプロレスが好きだったんですけど、プロレスラーがPRIDEで負けているのを見て、『プロレスよりも強い世界があるんだ……』と。特にヒョードルが『60億分の1の男』と呼ばれていて、強いヒョードルに憧れていました」

――マッハ道場で初めてMMAやグラップリングに触れた時、過去に経験していた柔道とは動きが違いませんでしたか。

「それは全く違いました。僕は運動神経もなく、センスも良くなかったんですよ。キックの試合も、ひたすらワンツーとローを続けて勝っていたぐらいで。ちゃんとした攻防は成り立っていなかったです。マッハ道場に来てグラップリングをやり始めてからも、すぐ首投げをやって、グラウンドに持ち込んでもバックを奪われて――という状態が続いていました。そんな時に『格闘代理戦争』で負けて、このままじゃ絶対にダメだと思ったんです。ずっと周りから言われてはいたものの、あの時に『ちゃんとMMAにアジャストさせていかないといけない』と考えることができるようになりましたね」

――葛西選手は2018年に、ABEMA TVの『格闘代理戦争 2nd SEASON』に出場し、2回戦で敗退しました。

「あの時はマッハ道場の中でアマチュアか若手で、65キロぐらいの体重で――ということで自分を選んでいただきました。最初は『チャンスだ!』と思いましたけど、あの時に負けていて良かったです。そう言ってしまうと、選んでくださったマッハさんにも、関係者の方々にも失礼かもしれないですが……。今もあの負けを忘れられなくて、ずっと練習を頑張ってくることができたのは間違いないです」

――『格闘代理戦争』に出場し、何か影響はありましたか。

「視てくれた方も多くて、反応も大きかったです。ただのいち選手としてアマチュアからプロになったというよりは、格闘代理戦争出身ということでプロデビュー後も知名度は違っていたかもしれません。ただ、いろいろと言う人もいましたし、言って当然だと思います。知名度に対して実力は見合っていなかったでしょう。でも僕としても『言いたい人は言えば良い。いつか見返してやる』と、そういった意見を糧にしていました」

――パンクラスでプロデビュー後に、ネオブラッド・トーナメント決勝で敗れました。当時は嫌な声も聞こえてきたのではないでしょうか。

「もちろんです。でも、そんなに気にしてはいませんでした。やることをやって、それでダメだったから頑張るしかない。一つは当時フェザー級で試合をしていて、減量がキツかったです。練習でも体重を落とすことに必死で、試合で勝つための練習ができていなかったと思います。そこから強くなるために、ちゃんとMMAをやるためにライト級に上げようと決めたんですよ。そうしたら練習からコンディションも良くなって、練習の成功体験も増え、それを試合で出すことができるようになりました。格闘代理戦争の次にネオブラ決勝で負けたことも、自分が成長するために良かったと思います」

<この項、続く

■視聴方法(予定)
2023年4月30日(日)
午後2時00分~ PANCRASE YouTube メンバーシップ、TIGET
午後1時00分~ ABEMA PPV ONLINE LIVE、U-NEXT

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