【DEEP NAGOYA IMPACT2023】「物乞いに囲まれた母を父が助け……」遅れてきたルーキー橘川尋貴─01─
【写真】映画のような両親の出会いから、誕生した橘川尋貴(C)SHOJIRO KAMEIKE
16日(日)、刈谷市産業会館あいおいホールで開催されるDEEP NAGOYA IMPACT2023公武堂ファイトで、橘川尋貴が銀・グラップリングシュートボクサーズジムと対戦する。
Text by Shojro Kamaike
2014年、高校生の時にZSTでプロキャリアをスタートさせた橘川は、約5年のブランクを経てDEEPで復帰戦を行い、現在2連勝中だ。現在25歳、178センチというフェザー級では恵まれた体躯――そんな橘川に初インタビューを試みると、すぐに明確な回答が返ってくることに驚かされた。MMA IQが高そうな、遅れて来たルーキーのキャリアとは。
――橘川選手は、そのお顔立ちだちからもご両親のどちらかが海外から来られたのでしょうか。
「父がバリ島出身で、母は日本人です。母がバリ島へ行った時に物乞いに囲まれて、それを助けたのが父だったそうなんですよ。父はスキューバダイビングのインストラクターで、日本語が喋れたから『困っているの?』と声をかけたらしくて。そうして出会ってから父が日本に来たと聞いています」
――素敵な出会いですね! 橘川選手はスキューバでなく、格闘技を? MMAを始めたきっかけは何だったのでしょうか。
「子供の頃から格闘技をやっていたわけではなかたですが、父も兄も格闘技は大好きで、ずっとPRIDEやK-1を視ていました。僕は中学校の時にサッカーをやっていて、地元の大会で優勝して県大会に出るぐらいのレベルでしたね。
高校に進学してからもサッカーを続けようと思っていました。ただ、中3の冬休みに兄から『格闘技のジムに行くから一緒に来いよ』と誘われて。もともと僕も格闘技を視るのは好きでしたし、実際にジムで練習してみて『これはカッコイイ!』と思って入会しました」
――それが現在所属するイギーハンズ・ジムだったのでしょうか。
「最初は和術慧舟會駿河道場で、佐々木憂流迦さんやABさんにも教えてもらったりしていました。イギーハンズは、駿河道場に所属していた遠藤大翼が独立して出したジムなんです」
――なるほど。ジムに入会した当初は、プロで戦うことは考えていましたか。
「それは考えていなかったですね。高校2年生の時、ZSTが開催した賞金トーナメント(2014年11月のPRESTAGE ライト級賞金トーナメント)に出たんですよ。アマチュアで経験を積むために出たんですけど、何か知らないけど優勝しちゃって」
――「何か知らない」というのは、どういうことですか(笑)。
「アハハハ。そんなに自信はなかったのに、なぜかポンポンと勝ち進んで優勝しちゃったんです。すると次はZSTのSWAT!出場のオファーを頂いて。それがジムに入って2年ぐらい経った頃の話です」
――高校生でプロデビューを果たしたということですね。同級生など周囲の人たちは、橘川選手がプロデビューしたことについて、どのように言っていましたか。
「そこまで反響はなかったですね。『おぉ、凄いじゃん』ぐらいで(苦笑)。トーナメントで優勝して賞金を貰えたことは、メチャクチャ嬉しかったです。修学旅行でロサンゼルスに行った時、賞金を使って現地でたくさん服を買いました(笑)」
――修学旅行でロサンゼルスですか!
「凄いですよね。僕もビックリしました。私立の普通の学校なんですけどね。ただ、バスケットボール部は全国大会の常連になるぐらい強くて、そのバスケ部の人たちに本場NBAの試合を見せたかったんじゃないかなと思いました。現地ではバスケ部の人たちはNBAを観に行き、僕たちはUSJやディズニーランドへ(笑)。そんな高校時代にSWAT!に出るようになって、高校を卒業したあとも格闘技をやろうと決めました」
――ちなみに橘川選手を格闘技ジムに誘ったお兄さんは……。
「兄は練習で腰を傷めてしまい、それほど試合に出ることもなく辞めてしまいました」
――なるほど。橘川選手にとって、当時MMAを戦う目標は何だったのでしょうか。
「目標、何だろうな……。若かったので、『試合に出て勝てれば良いかな』っていう感じで練習していました。特に高校生の時は『絶対XXのチャンピオンになる!』ということは考えていなかったと思います。ただ、プロで勝って有名になりたいという気持ちはありました」
――橘川選手がZSTで戦い始めた時、子供の頃に視ていたPRIDEや、その後DERAM、戦極といった国内のビッグイベントは活動休止になっていました。その点では、ご自身が思い描いていた格闘技界と違っていませんでしたか。
「それはありました。昔ビッグイベントに出ていた選手が、同じZSTの大会に出ていたりすると、やっぱりそれは実感しますよね。それでもRIZINが始まって、自分の気持ちも変わりました。
僕は2017年11月に関鉄矢選手とZSTのタイトルマッチで戦って、負けているんです。そのタイトルマッチのあと、自分は頻繁に怪我をして――『このまま格闘技を続けていても、どうなんだろうな』と思って。一度仕事のほうに身を置いて、格闘技は一旦辞めていました。それが2~3年経って仕事も余裕が出てきた時に、関選手がRIZINに出ていたんですよ。自分が戦った選手が、あんな華やかな舞台に上がっている。それで自分の心の中に変化が起こったというか、もう一度MMAをやりたいと思いました」
――橘川選手が2017年11月の関戦から、次にDEEPで樋沼ヒロキ選手と対戦するまで約5年間もブランクがあるのは、そういった理由からだったのですね。
「そうなんです。それで今から2年前ぐらいに『もう一度MMAをやりたくなりました』と駿河道場に相談したら、『ウチに戻るのでも良いし、遠藤さんが独立してイギーハンズを立ち上げているから、合うほうで練習を再開すれば良いよ』と言ってもらえて。それで僕は遠藤さんの下で練習したいと思って、イギーハンズに所属することになりました」
――イギーハンズで練習を再開するまで、全く体を動かしていなかったのでしょうか。
「もう3年ぐらい体を動かしていなくて。今は通常体重が72キロぐらいなんですけど、イギーハンズで練習を再開した頃は、84キロあったんですよ(苦笑)。よく65キロで試合していたよなぁ、って思いました。体も重くて全然動けないし。練習のたびに吐きそうになりながら、去年の3月ぐらいに体重も落ちて、ようやく試合ができる状態になりました」
<この項、続く>