【Grachan】ピアレスウルフ、阪本洋平をつくばに訪ねて─01─「格闘技って人の内面を写す鏡」
【写真】つくば駅と常磐道を結ぶ土浦学園線から、県道19号と非常に交通量の多い好立地に駐車場も十分完備されたジムが、もうすぐに出来上がる (C)MMAPANET
茨城県つくば市に自らの城、PEELESS WOLF(ピアレスウルフ=常に群れで行動し、仲間同士助け合って生涯を過ごす唯一無二の力強さ──を意味する)のオープンが迫ってきた阪本洋平。元Grachanライト&フェザー級王者は、2019年1月27日の修斗での山本健斗デリカット戦の勝利以来、4年以上ケージに上がることなく、次の人生に踏み出そうとしている。
グラチャンで圧倒的な強さを見せる一方で、過度に体を痛めつける練習を繰り返し、常に満身創痍という印象があった阪本は、心身共にそのポテンシャル、限界点を見せることなく第一線から身を引いた。
自分が何者であったか、分からないまま──そこが心残りだという彼が第二の人生を正式に踏み出す直前、つくばのジムが創られる場所に会いに行った。
──阪本選手、最初に伺わせて欲しいのが──阪本洋平は引退をしたという理解で良いのかということなんです。
「引退とかはまだ全然言っていないですけど……ケガがヘルニアとかでなく、神経の方で。最後の試合から1年半ぐらい練習したのですが、『これはもうアカンわ。これはどれだけしんどい想いをしても、試合には出られへんわ』と手術をしたんです。『もしかしたら、行けるんちゃうか』って思って。色々と調べて、良い先生に出会えました。その先生も可能性はあるって言ってくれたんですけど、左手の麻痺がなくならかったです。右手の握力が70以上あっても、左手は55、56キロ程度で。この左右の差がデカくて。
今のところで引退とか言うてへんけど、この状態で試合に出ても……というのが続いちゃった。そういうなかで、格闘技がどうなるのか分からないですけど、僕も生きていく上で全力で取り組めるもの、モチベーションになるモノを探すようになりました。
正直、修斗の試合に出る遥か前から体が限界やというのは予測していて。宇良健吾に勝った試合の前から、限界が分かっていました。あの時から格闘技以外にモチベーションになるモノを探していて、理学療法士として病院で働きながらパーソナルのスタジオに非常勤で働きに行っていました。そこから色々とお客さんを自分に取ったり2、3年ほどやってきました。
最初の事業は僕の持っている理学療法士と格闘家の経験を生かして、フィットネスとパーソナル、格闘技をやろうと。これは急に思いついたのではなくて、何年も前から──選手を続けることは限界やとは思っていたんです」
──阪本選手の度を越した練習というのは語り草になっています。
「やり過ぎましたね。止められないんですよ。牛久(絢太郎)君とか、川尻(達也)さんは止まるんですよ。牛久君も川尻さんも、とことん体をイジメているけど、休む時は休める。僕は止まらないんですよ。本当に壊れるまで止まらない。この管理の甘さが、僕の格闘家としての一番の欠点──やったという話ですね」
──事業に向き合う時も、やはり程度というものを考えないといけないとは思います。MMAで経験したことを事業でも生かさないといけないという風になりますか。
「戒めになっています。格闘技も最初から、バーンと決定的なケガがあったわけでなく、何度も小さいのを繰り返して。最後、この神経のケガが山本健斗デリカット戦の2週間前ぐらいに来ました。そういう経験を戒めにしようと思っていて、ちょっとずつは改善していっていたのに……あれは本当に甘かったです。
でも、僕は練習を休むことがマジで怖かったんです。マジで怖かった。次はワールドクラスの外国人と戦う機会が訪れる。やって負けるとは思っていなかったし、そのために100パーセント、毎日限界までやろうとしていた。そこの線引きができていなかったです。
だから、その経験は生かせています。ただ、あれだけやれる人の方が少ない、それも思っていますけどね。それでも、どこかでブレーキを踏まないと。事業の場合は、体は大丈夫でも精神的に問題が出てきてしまうと思うので」
──現在の自分の精神力、体力に関係なく、これまでの自分との比較、周囲との比較をして追い込んでしまう。これは練習量と仕事量に共通している──潰れていく現象かと。
「それは間違いないですね。そこを僕は気付けなかった。負けられないっていう恐怖感ですよね。ここで負けると、全部失うって思っていましたね。格闘技って人の内面を写す鏡、そういう競技やと思います。僕、野球も10年間やっていたけど、野球はそんなことないです。でも格闘技は一対一の神経勝負で、言い訳はない。
そりゃあ、マッチメイク……試合を受けるかどうかで、駆け引きはあるかと思います。でも金網の中に入ったら政治家の息子だろうが、どんな貴族だろうが、スラム街出身だろうが、全部いっしょ。あの場で追い詰められたとき、その選手の人間性が全て曝け出されます。
僕、試合中にわざと負けたろかなって想いになることがあったんです。これ、本当に不思議なことで。まじで苦しくて。これ腕十字取られたり、パンチ受けて負けようかなって一瞬頭によぎったことがあるです。もちろん、やらなかったですよ。そんなことは。でも、やっぱり試合の場に立つことが怖くて。試合を戦うと、自分がどんなしょうもない人間か分かるんですよ」
──だから尊敬できます。一対一で向き合って、負けるとも絶対的に言い訳も他人の責任にもできないところで戦って。
「いや、そこなんですよ。僕は負けることがなかっただけでなく、追い込まれることもなかった。試合で追い詰められたら自分がどうやったんか、しっかりと分かったと思います。戦うことが怖かった僕が、追い詰められて予想以上の力を出して頑張れたかもしれないし、簡単に折れてしまったかもしれない。でも、そういう場面に立ち会うことがなかった。最後はワールドクラスの外国人選手と戦うところまできて……もちろん、日本人でも競り合いなる人は何人かいたと思います。
でも、そこで潰し合うよりも、ロシアとかとやろうというつもりでした。別に実力で、そういう選手に負けているとは思わないです。でも、競り合う試合になった。その時に本当に頑張られる選手なのか。そこが分からないままだったので、格闘技でやり残してしまった。勿体ない……。強い相手、厳しい場面に出くわそうとしている選手、昔の練習仲間の神田(T-800周一)君、牛久君、米山(千隼)君、山本(琢也)君も皆、そうですよ。
僕は練習では追い詰められたけど、試合に関してはそういう場面はなかった。ワールドクラスの選手と戦って、そこを見極めておくべきだった……だったというか、見ておく機会がなかったのは本当に心残りです」
──でも、しょうがないわけですよね。肉体的に。
「今のところ、そうですよね。別に引退しているわけじゃないです。コンディション次第で、Grachanに協力することはあるかと思いますけど、今の時点では……何も言えないですよね。これだけは。最後に外国人のトッププロとの話はありました。でも完全にダメになっていて。そこに逃げる気持ちはあったと思います。この状態で出て、どうなるんやと。だから僕は強い選手と戦うのに、躊躇する選手の気持ちも分かるつもりです」
<この項、続く>