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【GLADIATOR017】久保健太と対戦、中西テツオ─01─「ガリガリで、50キロぐらいしかなかった」

【写真】今の石綱テツオと呼んでしまいそうになる──中西テツオ(C)SHOJIRO KAMEIkE

5月1日(日)、大阪府豊中市の176boxで開催されるGLADIATOR017で、中西テツオが久保健太と対戦する。
Text by Shojiro Kameike

これがGRACHANとの合同興行を含めて、3度目のGLADIATOR参戦となる──以前は石綱テツオのリングネームで活動していた中西。2014年にGRANDSLAMでプロデビュー後は3連勝、しかも全てKOか一本勝ちという破竹の勢いを見せていた。

しかし2015年以降はなかなか勝ち星に恵まれなくなったなかえ、現在は再び3連続一本勝ちを収めている。インタビュー前編では、そんな中西がMMAを始めた経緯を訊いた。人との出会いが、人を強くする――。


――中西テツオ選手は以前、石綱テツオというリングネームで活動されていました。現在は本名で試合をしているのですね。

「はい。前のリングネームは、所属していた石綱MMAの石綱を本名のテツオに繋げた形です。今回、独立して自分のジムを立ち上げるにあたり、これからは本名で良いかなと思いました」

――石綱MMAでは、ジムの名前をリングネームにするルールがあったのですか。ムエタイなどでは、よく見られますが……。

「いえ、そういうことはないです(笑)。石綱は最初にジムがあった場所の地名で、僕がプロ第1号だったので、ジムの名前を広めたいと思って石綱をリングネームにしました。だから昔はよく言われました。代表は別の人なんですけど、石綱テツオが石綱ジムの代表なのかと」

――アハハハ。そんな石綱選手は、どのような経緯でMMAを始めたのでしょうか。

「最初は高校を卒業すると同時に柔術を始めたんですよ。そこからずっと柔術をやっていまして、その柔術道場で今の石綱MMAの林巧馬代表と知り合いました。そこで林代表が柔術を辞めて、瀬戸市に格闘技ジムを立ち上げようと。当時、瀬戸市にMMAのジムはなかったんです。そうやって石綱MMAを立ち上げたのが2013年頃ですね。僕はそこからMMAを始めました」

――では、なぜ柔術を始めたのでしょうか。

「一番近くにあった格闘技のジムが、トラスト柔術アカデミーだったからです」

――ということは、トラスト柔術の生田誠代表が、柔術の師になるのですね。

「はい。もともとはHERO’Sを見ていて、山本KID徳郁さんのファンだったんですよ。あの人を見て、カッコいいなぁと思ったし、今でも一番好きな選手です。それで格闘技が好きになり、高校を卒業した時に格闘技ジムを探したら、トラスト柔術にたどり着きました」

――それはMMAをやることを見据えて柔術を始めたのでしょうか。

「MMAをやりたい気持ちはありました。でも打撃に対する怖さというか……やっぱりテレビを見ていて、MMAは体がムキムキの人がやっている印象を持っていました。でも当時の僕はガリガリで、50キロぐらいしかなかったんですよ。そんな僕のようなガリガリがMMAをできるのかな、と。でもトラスト柔術の生田さんは技術を重視していて、柔術をやっていくうちに『僕でも格闘技ができるんだ』と思えるようになったんです」

――そこでMMAを始めたと。

「最初は石綱MMAが出来るということで、そこに乗っかっただけだったんです。特にMMAをやろうと決めたわけではなく、柔術以外の格闘技もやってみないなと思っただけでした。石綱MMAでは打撃の練習もできると聞いて」

――その時点で、打撃はムキムキのファイターがやるものというイメージは無くなっていたのでしょうか。

「そのイメージは無くなっていました。体つきは人それぞれなので……ムキムキな人もいれば、細い人もいる。柔術を通じて、そういう考えになったんです。それで石綱MMAが2012年に創設されて、僕は2013年ぐらいにMMAを始めることになりました」

――中西選手は2013年からアマチュア修斗に出ているので、石綱MMAでMMAを始めてすぐのことだったのですね。

「そのアマチュア時代に勝村周一朗に出会って、僕のMMAに対する価値観が大きく変わりました。勝村さんとの出会いは、僕にとってすごく大きかったです」

――プロデビュー戦がGRANDSLAM(2014年7月、駒沢孝行にKO勝ち)だったのは、勝村さんとのご縁だったのですか。

「そうなんです。アマチュアの頃から横浜グランドスラムで練習させていただいていて、勝村さんから大会に出ないかと言われて、『はい、お願いします!』と」

――以前に石綱MMAの透暉鷹選手にインタビューさせていただいた際、透暉鷹選手は林代表から日沖発さんのプライベートレッスンを受けるように薦められたと聞きました。その時も同じことを言ったのですが、ジムの代表であれば自分自身で選手の全てを見ようと考えることも当然だと思うのですが、そこで選手のために他の選択肢を実行できるのは凄いです。

「林代表自身、MMAを始めたのが僕と同じぐらいの時期なんです。それで僕に『自分は技術を知らないから、勝村さんのところへ練習に行ってこいよ』と。そこから横浜グランドスラムで練習させていただくことになりました。もともと石綱MMAは、瀬戸市にMMAの練習できる環境がないから、自分たちで作ろうと思って始まったものなんです。会員さんを集めてお金儲けをしようというものではなく、自分たちの練習場所を作るためでした」

――当時と比べて、現在の瀬戸市のMMA人口は変わりましたか。

「僕が始めた当時よりは、徐々に増えてきています。柔術をやっていた頃の先輩たちも独立してジムを立ち上げたりしていますし。僕も羨ましいなぁと思って、30代になってこれが節目だと思ってEQUIPO CERO(エキポセロ)を立ち上げました」

――ファイターとしてのキャリアに話を戻すと、GRANDSLAMでプロデビューして以降は3連勝を収めました。しかしファイトスタイルは、柔術感は少なかったですよね。

「最初からガッツリ上を取りに行っていました。やっぱり試合のたびに横浜グランドスラムへ練習させてもらいに行っていて。あとはガリガリだった体も、練習していくうちに筋肉がついてきていましたね。でも、2015年ぐらいから苦しい時期になりました。修斗で新人王を取れずに、なかなか勝つこともできなくて……。

今考えると、自分の考えが甘かったのかなと思います。練習の取り組み方とか。やっぱり最初に3連勝しちゃったので、これで良いのかなと考えてしまっていたんですよね。でも、そのあと中国で試合をするようになり、自分の格闘技人生も変わってきました。いろいろあって……」

<この項、続く

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