【GRACHAN53×BRAVE FIGHT26】剛柔流硬式空手→K-1→MMA、黒井海成―01―「キックのスパーで」
【写真】グラチャン岩﨑代表とBrave宮田代表の対談からも人材の育成に力を入れていることが伝わってき、黒井もその1人だ (C)GRACHAN
12日(土)、東京都の大田区産業プラザPIOで開催されるGRACHAN53×BRAVE FIGHT26で、BRAVEジムの黒井海成がプロデビュー戦に挑む。
Text by Shojiro Kameike
今年1月に成人式を迎えたばかりの黒井は、宮城県仙台市の出身。幼少期から空手を学び、高校時代にはK-1甲子園の東日本トーナメントで優勝している。そして昨年、上京してBRAVEジムに入り内弟子生活をスタートさせた。
入門した年の9月、朝倉未来がアドバイザーを務めるBreakingDownに出場して判定勝ちを収めた。さらに同年11月のBRAVE FIGHTでKO勝ちし、今回のプロデビューに至っている。
今回、同じくプロデビュー戦となるCARPE DIEM福岡の杉本静弥と戦うこととなった黒井に、インタビューを行った。空手少年が世界を目指し、MMAファイターとなるまでの物語とは――
――1週間後にプロデビュー戦を控えている黒井選手です(※取材は3月5日に行われた)。黒井選手はMMAを始める前に空手とK-1甲子園で実績を残していますが、最初に格闘技を始めたのは何歳ごろのことですか。
「空手を習い始めたのが4歳の時です。6歳上の兄がいるんですが、兄の影響で剛柔流硬式空手の道場に通い始め」
――硬式空手というと、防具付きで直接打撃のあるルールですよね。
「はい。日本拳法に近くて、寸止めではなくガッチリと当ててポイントを争うルールです。その世界大会で優勝したことがあります」
――えっ、世界大会優勝ですか! それは何歳の時ですか。
「実は3回優勝していて、最初は小学4年生の時でした。次が小6、最後に優勝したのは中3の時です」
――3度も世界チャンピオンに……。幼少期にやっていたのは空手だけで、他のスポーツはやっていなかったのでしょうか。
「小学生の頃は野球をやりたい、サッカーをやりたい……っていう気持ちはありました。でも習い事は1つだけにしないと強くなれない、という想いがあって」
――その結果、空手一筋で幼少期を過ごしたと。
「いえ、中学校では野球部に入りました(笑)。野球をやりながら空手も続けていたんです。野球ではキャッチャーとセンターをやっていました」
――野球について詳しくなくて恐縮なのですが、センターとキャッチャーといえば守備全体を見渡すことができる要のポジションではないのですか。
「ずっと目立ちたがり屋だったんです。誰よりも多くバッターボックスに立つために、打順も1番で(笑)。野球部では県大会出場が最高の成績でした」
――かなりのオールラウンダーですね。高校に進学してからは、野球を続けようとは思わなかったのですか。その実績であれば、高校野球部からのお誘いもあったかと思います。
「野球を続けるつもりはなかったです。自分から空手を取ったら何が残るんだろう? そう考えるようになっていて。それとテレビでK-1を見て、いずれ都内のK-1ジムに入りたいと思っていました」
――なるほど。K-1甲子園の試合を見ると、ローキック……というより下段蹴りを効かせる試合ぶりでした。1発目から相手の足が流れて、そのまま下段蹴りで押していくという。
「K-1やキックボクシングでも、ローキック一本でした。K-1やキックボクシングでも空手の技で勝とう、という気持ちが強かったんです」
――その時点では、いずれはK-1ファイターになろうと思っていたのですね。
「そうなんです。高校の時(2019年)、K-1甲子園に出て東日本トーナメントで優勝しました。全日本大会ではベスト8で終わってしまったんですが、そこからアルバイトでお金を貯めて東京に行こうと」
――その黒井選手が、K-1ではなくMMAを選んだ理由は何だったのでしょうか。
「2020年に入ってコロナ禍で東京に行けなくなったんです。それでK-1のジムに入ることができなくて。そんな時に――2020年9月ですね。宮田先生(宮田和幸BRAVEジム代表)が、僕の地元(宮城県仙台市)でセミナーを開催されて、そのセミナーに参加しました」
――宮田代表のセミナーというと、MMAやレスリングが中心となりますよね。その頃にはMMAに興味があったのでしょうか。
「MMAも好きで、テレビで観ていました。UFCやRIZINの朝倉兄弟、堀口恭司選手に憧れていたんです。K-1をやるか、MMAをやるか……正直迷っていた時期で。そのセミナーで宮田先生から『MMAには興味ないの?』と聞かれて、宮田先生のジムで練習してみようと思いました」
――2020年9月のセミナーで誘われてから、すぐにBRAVEジムへ向かったのですか。
「初めてジムで練習したのは、2020年12月です。そこでスパーリングをやらせてもらいました。そこで自分より強い人たちがいることにショックを受けたんです。MMAやレスリングだけでなく、キックボクシングのスパーでも……。やっぱり地元では自分が一番で。でも、やっぱり東京は環境が違うなと思いました」
――ショックを受けて、MMAを諦めようとは思わなかったのでしょうか。
「それは思わなかったですね。レスリング出身の人たちにも、キックボクシングのスパーでやられて、本当にショックでした。でも、そういう人たちを越えないと納得できないし、自分の目標にはたどり着けない。だから、このジムでMMAをやろうと決めたんです」
<この項、続く>