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お蔵入り厳禁【Road to ONE04】山北渓人─01─「大学でレスリングを続けて遅れるとは思わなかった」

【写真】なぜノーマークだったのか、見る目の無さが再確認された山北の勝ちっぷりだった (C)MMAPLANET

2月22日のRoad to ONE04で安芸柊斗を下した山北渓人

MMAキャリア4戦目、大会前にノーマークに等しかった昨年のネオブラ優勝の山北は、当て勘が良く、勝負を決めに行くときの殺傷能力の高さに定評のある安芸をONEルール特有のがぶってのヒザ=グラウンドのヒザを効かせ、パウンドアウトした。

MMAPLANET的にはNext Young Guns Awardだった山北──レスリング・エリートからMMAでの成功を目指す彼を、大会から6日後に取材した。お蔵入り厳禁──山北のMMAに賭ける想いとは……。


──2021年に入り、主戦場としていたパンクラスからイベントスケジュールがなかなか出ない。その状況でRoad to ONEからオファーがあった時はどのような気持ちでしたか。

「去年の12月に試合をしたのですが、ケガをしていて。調整も試合も大変だったので、次は3月か4月ぐらいで考えていました。そんな時にRoad to ONEから声が掛かって、注目度も高いし気持ちを切り替えてやろうと……。しっかりと創り直すことができて、戦うことはできました」

──安芸選手は修斗のランカーで、年下でもキャリアは山北選手より長い選手でした。

「パンクラス✖修斗ということに加えて、格上になるけどチャンスだと思いました。ネオブラッドTでは勝たないといけない試合をしてきて、安芸選手との試合は自分がどの位置にいるのか試すことができる試合だと捉えていました」

──現在24歳、MMAデビューは昨年2月で正直早くないというか、かなり遅いといって良い年齢です。

「2019年にアマチュアの試合には出ていたのですが、大学卒業までレスリングをしていたので、Me,Weに入門して3カ月ぐらいでグラチャンのアマの試合に出て。その後アマチュア・パンクラスのトーナメントで優勝した時に、プロからのオファーもありましたが、山崎(剛)さんは『焦らず1年間はアマチュアで頑張ろう』という方針だったので、アマチュアで10試合(※10勝)ほど経験を積めました」

──満を持してプロデビューだったわけですね。もともとMMAには興味があったのですか。

「ハイ。保育園の時から分からないながらお父さんと一緒にPRIDEを見ていて、僕は記憶にないのですが凄く好きだったみたいです。物心がついた時にはなんとなく格闘技が好きで、近くにキッズレスリングを教わることができる場所があり、小学4年生から通るようになりました。

中学生の時にはDREAMの時代になっていたのですが、やりたいというよりもやるんだろうなと思っていました。レスリング・クラブを運営している方が、いなべ総合学園という高校でレスリング部の指導をしていて、中学を卒業すると先生のいる高校に進学したんです」

──山北選手はもともと、いなべ市のご出身なのですか。

「ハイ。三重県の一番北部で、凄い田舎なんです。愛知県と三重県の境で」

──ググってみます。あぁ、桑名からナローゲージの三岐鉄道北勢線が走っている街なのですね。762ミリの元々は軽便鉄道だった電車で一度、乗ってみたいと思っていた鉄道です(笑)。

「アハハハ。桑名とか四日市から奥にいったところで」

──何も知らなくて申し訳ないのですが、この場所でレスリングが学べたのですね。

「たまたま実家の近くに、いなべ総合学園があり先生のレスリング・クラブで練習していたのでエスカレーター的に。大学は専修大学に進学しました」

──おぉ、では長州力さんの後輩ですね。

「あっ、そうなんです(笑)。長州さんは会ったことはないですけど、馳(浩)さんが監督で、議員で忙しいのに練習によく来てくださっていました」

──レスリングの実績としては?

「高校の時は県大会で優勝して、全国選抜選手権で3位。国体は2位、インハイは取れなかったです。大学では57キロ級で新人戦が3位、東日本選手権で2位、国体で2位でした。普段から60キロほどだったので、それほど減量はしてこなかったです」

──いや立派過ぎる戦績なのですが、レスリングで就職を考えるということは考えなかったですか。

「なかったです。完全にMMAのことしか頭になくて。4年間はしっかりとレスリングをやろうと思っていたのも、MMAのためでした。だからオリンピックに出たいとかは、正直なところ全然なかったです」

──専修大学だと……MMAでは先輩に……。

「レスリング部だと上迫(博仁)さんや江藤(公洋)さん、武田光司選手が先輩です」

──錚々たるメンバーですね。しかし22歳になるということは、どのように捉えていましたか。松嶋こよみ選手などは大学を辞めて、MMAに転じましたが。

「とにかく早くやりたかったので、高校を卒業したときにもMMAを始めたかったです。でもKID選手とかも大学を出ていてMMAを始めていたし、大学で4年間みっちりとレスリングを続けることでMMAをするのにマイナスになる……遅れるとは思っていなかったです。逆にそれが必要だという考えでした」

──とはいえレスリングと違い、社会人MMAなどはない環境ですが……。

「ハイ、飲食関係の会社にMMAをするということを承知のうえで就職し、凄く協力してもらっていました。それでも、どうしても練習時間に制限が出てきてしまうので、給料を下げてもらって練習時間を確保していました」

──おお、凄い話です。しかも理解のある会社で。

「はい。本当に感謝しています。それでも……もっと練習がしたくて結局、退職させてもらって下北沢のトイカツ道場でインストラクターをさせてもらいながら練習しています」

──Me,Weで練習するようになったのは?

「先輩がRIZINのバイトをしていて、山崎さんと顔見知りだったんです。興味がある人、練習に連れてきなよという話になった時に、僕も一緒に行かせてもらったんです。ジムの雰囲気も良くて、すぐに『ここでやろう』と思って。4年生の12月に最後のレスリングの試合があって、そこからは毎日Me,Weで2部練をしていました」

<この項、続く

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