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【Fighter’s Diary con on that day】「試合がない日々」を生きる堀江圭功の声 on 2018年2月26日

Horie【写真】まだ2年2カ月前──だが、ここから堀江は本当に多くのコトを経験し今に至っている(C)ABEMA & MMAPLANET

全世界を巻き込む新型コロナウィルス感染拡大の影響は当然のように日本の格闘家たちの人生にも影響が出ている。試合がない、大会が開かれない、練習場所の確保も困難だ。

そんな今、格闘技を愛する全ての人へ──ABEMA格闘CH が公式YouTubeチャンネルで Fighter’s Diary Ep.02が19日(日)より、アップされている。

第2回でクローズアップされた格闘家はKRAZY BEE軍団(朴光哲、矢地祐介、田村一聖、あい)、佐藤天、浅倉カンナ、北岡悟、堀江圭功(と高阪剛)の9人だ。

Fighter'sDiaryFighter’s Diaryは3週に渡り、3つのエピソードで総勢16人の格闘家たちの声をYouTubeで伝え、26日(日)午後7時より、ABEMA格闘CHにて Fighter’s Diary完全版が放送される。

そんなFighter’s Diaryでは「試合がない日々」を格闘家たちはどう生きるのか? ──という今の声を集めた。MMAPLANETでは、タイアップ企画ならぬボーディング企画を提案。MMAファイター達が今を発せられるようになった原点を探る上で、あの日の彼らや彼女達の声=on that dayとして、MMAPLANETインタビュー初登場時の声を紹介したい。

題してFighter’s Diary con on that day、第12回は2015年2月28日公開、2月26日に取材が行われた──キャリア7戦目=田村一聖戦を2週間後に控えた──堀江圭功のあの日の声をお届けしよう。


<リードを含めた完全版はコチラから>

──堀江選手がMMAに興味を持ち始めたのはいつ頃でしょうか。

「MMAというわけではなく、中学の頃にヘビー級のK-1に興味を持つようになったんです。その時、自分も小学2年生の頃から空手をやっていたので、『自分でもやれるのかな』と自問自答した時に『絶対に俺じゃ無理だ』って思っていました」

──どのような流派の空手を稽古されていたのですか。

「剛柔流ですね。長崎県の佐世保市で生まれ育ち、佐世保にあった道場に通っていました」

──空手を始めた理由は?

「兄が2人いて、兄弟喧嘩が多くて強くなりたいという気持ちがありました。父からも『喧嘩して、泣くなっ』と言われていたので、空手を習いたいと思うようになったんです。

ただ、自分のイメージではボコボコやりあうというモノを想像していたのが、寸止めだったので最初は『違うなぁ』と(笑)。でも続けるうちにどんどんはまっていき中学3年生まで続けました。この間、小学生や中学の時は団体も個人も全国大会には出場しています」

──それは凄いですね!!

「いえ、もう全中(全国中学校体育大会)では全く通用しなかったです。夢中になって続けている一方で、寸止めでやっている限り、自分の突きで人は倒れるのかなって思うようになっていて。中学の時は練習も嫌々やっていた部分もあります。そんなんじゃ、全国のトップレベルの選手には通用しないですよね」

──自問自答した時に『自分では無理だ』と感じる一因になっていたのかもしれないですね。直接当てる方が、実戦的だと思いがちになるのも理解できます。

(C)Pancrase

(C)Pancrase

「当時はそうでした。ただし、あの頃に伝統派でやっていたことがMMAを戦うようになり役立っているのも確かです」

──中学3年生の時に空手を辞め、MMAを目指すまで何か格闘技はされていたのですか。

「ハイ、高校1年生から高校3年生まで極真空手部があったので、フルコンの練習をするようになりました」

──剛柔流から極真空手、マス大山の道ですね。

「……。ただ、高校で自分は何か部活に入るつもりはなくて、先輩に誘われた時に『日曜日が休み』ということを聞いて入部した程度でした(苦笑)。強さへの憧れは持ちつつ、フルコン空手にガッツリと興味を持っていたわけでもなかったんです。

でも、また練習しているうちに楽しくなりました(笑)。それが……腰を痛めて、1年半ぐらい練習ができなくなってしまって。それでも極真をやっている時は、顔面はないのですが直接打撃だったのでガンガン当てて自信がきました」

──別モノなので比較はできないのですが、そういう精神面の影響があったのですね。

「遣り甲斐を感じていました。ウェイトもやり始めて、体も大きくなって来て──高校2年生の時に再び、火が点いて上京してやってみようと思うようになりました。その時、一番強くなれるのは何か、それはMMAだろう。じゃあMMAで一番強いのは何だ? それはUFCだろう。なら、そこを目指すために高校を卒業して上京してやってやろうと決めたんです」

──佐世保にいる間にMMA的なトレーニングを始めることはなかったですか。

「極真空手を高校3年の夏で引退をしたので、上京するまでの半年間はブラジリアン柔術を習っていました。佐世保にあるシスイ柔術という道場で、当時は茶帯の方に指導してもらっていたのですが、今はもっと規模が大きくなっています。

MMAをやっていくうえで、ブラジリアン柔術を習っておくことは当然だと思っていました。寝技ができないと、MMAは戦えないので」

──東京でMMAファイターを目指すということに関し、ご両親の反応はどのようなモノでしたか。

「高2の時に想いを打ち明けた時は反対されました。今も心配しているはずですが、こっちに出て来て結果を残すようになると応援してくれるようになりました。最近では長崎から東京まで試合を見に来てくれるようになって」

──それは良かったです。アライアンスMMAに入門したのは何か理由があったのですか。

「シスイ柔術で格闘技に詳しい方がいて、相談させてもらったんです。その時にアライアンスを薦めてもらい、そこからアライアンスでMMAをやろうと思うようになっていました」

──剛柔流、極真空手、そしてブラジリアン柔術を経験しての上京。どれだけの希望と自信を持って東京にやってきたのですか。

「ボコボコにされる。厳しい世界だという覚悟はありました。自信というか、『やってやる』という気持ちと覚悟でしたね」

──顔面を殴ることが許されない打撃競技、空手をやってきて顔への直接打撃、パンチへの順応は難しくなかったですか。

「意外となかったです。スパーリングで殴られる恐怖はなかった。そこは覚悟してきたことなので」

──現時点まで6戦6勝という成績を残せていることに関して、どのように捉えていますか。

「一戦一戦、本当に人生を賭けてきているので練習の時からしっかりと気持ちを入れています。格闘技に対する気持ち、格闘技が一番だという想いが行動につながり、結果に結びついているのかと……」

──剛柔流でやってきた空手が生きると思うようになったのは、いつ頃からですか。

「実はアライアンスに入って半年ぐらい経った時に体調を崩し、一度地元に戻ったんです。熱が40度ぐらいというのが続いて、入院と退院を繰り返す時期があって……」

──そんなことがあったのですか!!

「原因は最終的に分からないままだったのですが、扁桃腺を取る手術をしたら、そこから大丈夫になりました。そして東京に戻って練習を再開したぐらいから、MMAには伝統派が役立つと感じるようになりました。

それまでガツガツ殴り合うモノと思っていたのですが、自分のパンチが当たっても相手のパンチも当たってしまうと考えるようになり、距離を遠くしたんです。そこも今の戦績に通じていると思います」

──ネオブラの初戦見て、あの左ボディフックから右フックのコンビネーションは素晴らしいボクシングに見えました。

「あれはアライアンスのボクシングのトレーナーの方に教わっていた技が、自然と出ました。あのボディは見ている人は一瞬だったと思いますが、自分の感覚として、ボクって入って。効いたというのが伝わってきました。

伝統派の間合いはMMAに有効ですが、近い距離の対処法を身につけて然りです。どのような場面でも対処できるよう心掛けています」

──そして、いよいよ田村選手との試合が近づいてきたのですが。3分3Rの杉山和史選手との試合は、ネオブラの時のようにはいきませんでした。

「あの試合は……杉山選手はタフで、殴っても殴っても前に出てこられたので、そういう部分で削られました」

──自分の攻撃が効いていないかもと疑うようになるようなことも?

「速攻で終わらせようという気持ちが力みになり、その気持ちがあることで体力を消耗してしまいました。自分で自分を削ったというか、かなり疲れていました。あの試合から、色々と改善してきました。だからこそ、次は進化した自分を見せることができると思います。

今は自分の思い通りにならなかった場合の戦い方を考えつつ、そこばかり気にすると自分の勢いを消してしまうので1Rから3Rを通じて倒せるパンチ、蹴り、テイクダウン、寝技をしっかりと使えるようやっています」

──田村選手という元王者、そして元UFCファイターとのオファーを受けた時はどのような気持ちになりましたか。

「自分より下の選手とは戦いたくないので、田村選手とのオファーを頂いた時は即答でやりますと伝えました。強い選手なのですが、自分もUFCを目指しているのでここで勝てば良いアピールになると思います。本当に良いチャンスを貰えて、嬉しいです」

──5分3Rを王者クラスの田村選手と戦うことについては?

「もちろん田村選手のことは強いと思っています。覚悟を決めて、いつも以上に気合をいれて練習をしています。覚悟を決めている分、怖さはないです。いつも以上に強い相手なので、良いモチベーションになっています」

──田村選手は牛久潤太郎選手、鈴木琢仁選手と若手を潰しています。

「自分はその波に乗らせずに、絶対にぶっ倒して勝ちます。7戦全勝になれば、次はUFCに行ってチャンピオンを目指したいぐらいです。田村選手の方が格上ですが、ここは圧倒して当たり前のようにボコボコにして勝ちたいと思っています。

田村選手は本当に強いです。やられる可能性もあります。それでも試合にピークをもっていければ、絶対に圧倒できます。しっかり勝ちます」

──UFCにそのまま行きたいということですが、パンクラスのベルトに関してはどのような想いでいますか。

「そうする必要があるなら、狙っていきます」

──パンクラスのフェザー級戦線には日本人でもISAO選手、松嶋こよみ選手というそれこそ勝てばUFCに近づくことができる選手が上にいるかと思います。

「皆、レベルが変わらないぐらい強いです。なので、そういうのはありますけど……田村選手もホントに強くて、この試合で自分は試されていると思います。

ここで勝つと、こいつは強いと思われるようになるはずなので、しっかりと決めて……勝ってアピールしたいなと思っています」

──ここを見せたいという点があれば、お願いします。

「自分の試合はフィニッシュを期待されているので、そこをアピールしたいです。ただ、勝つだけじゃなくて圧倒してKOか一本で勝ちたいです」

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