【Pancrase294】田村一聖戦へ、6連勝中の堀江圭功─01─「一番強くなれるのは、MMAだろうと」
【写真】初めて5分3R制に臨む堀江。田村戦については後編で (C)MMAPLANET
3月11日(日)、東京都江東区の新木場スタジオコーストで開催されるPancrase294で田村一聖と対戦する堀江圭功。2016年10月のMMAデビューから、約2年のキャリアで6勝0敗というレコードを残す。
ネオブラ優勝からベテラン杉山和史戦の勝利を経て、元UFCファイター&前フェザー級KOPに挑む。そんな堀江の1日をameba TVが制作するドキュメンタリー番組=ONE DAYが追った。
同番組で収録したファイターの言葉から、MMAPLANETでは試合にフォーカスした部分を切り取ってきたが、今回の堀江に関してはMMAPLANETでも初めて声を聞く選手ということもあり、田村戦だけでなく彼の歩みも尋ねた。
──堀江選手がMMAに興味を持ち始めたのはいつ頃でしょうか。
「MMAというわけではなく、中学の頃にヘビー級のK-1に興味を持つようになったんです。その時、自分も小学2年生の頃から空手をやっていたので、『自分でもやれるのかな』と自問自答した時に『絶対に俺じゃ無理だ』って思っていました」
──どのような流派の空手を稽古されていたのですか。
「剛柔流ですね。長崎県の佐世保市で生まれ育ち、佐世保にあった道場に通っていました」
──空手を始めた理由は?
「兄が2人いて、兄弟喧嘩が多くて強くなりたいという気持ちがありました。父からも『喧嘩して、泣くなっ』と言われていたので、空手を習いたいと思うようになったんです。
ただ、自分のイメージではボコボコやりあうというモノを想像していたのが、寸止めだったので最初は『違うなぁ』と(笑)。でも続けるうちにどんどんはまっていき中学3年生まで続けました。この間、小学生や中学の時は団体も個人も全国大会には出場しています」
──それは凄いですね!!
「いえ、もう全中(全国中学校体育大会)では全く通用しなかったです。夢中になって続けている一方で、寸止めでやっている限り、自分の突きで人は倒れるのかなって思うようになっていて。中学の時は練習も嫌々やっていた部分もあります。そんなんじゃ、全国のトップレベルの選手には通用しないですよね」
──自問自答した時に『自分では無理だ』と感じる一因になっていたのかもしれないですね。直接当てる方が、実戦的だと思いがちになるのも理解できます。
「当時はそうでした。ただし、あの頃に伝統派でやっていたことがMMAを戦うようになり役立っているのも確かです」──中学3年生の時に空手を辞め、MMAを目指すまで何か格闘技はされていたのですか。
「ハイ、高校1年生から高校3年生まで極真空手部があったので、フルコンの練習をするようになりました」
──剛柔流から極真空手、マス大山の道ですね。
「……。ただ、高校で自分は何か部活に入るつもりはなくて、先輩に誘われた時に『日曜日が休み』ということを聞いて入部した程度でした(苦笑)。強さへの憧れは持ちつつ、フルコン空手にガッツリと興味を持っていたわけでもなかったんです。
でも、また練習しているうちに楽しくなりました(笑)。それが……腰を痛めて、1年半ぐらい練習ができなくなってしまって。それでも極真をやっている時は、顔面はないのですが直接打撃だったのでガンガン当てて自信がきました」
──別モノなので比較はできないのですが、そういう精神面の影響があったのですね。
「遣り甲斐を感じていました。ウェイトもやり始めて、体も大きくなって来て──高校2年生の時に再び、火が点いて上京してやってみようと思うようになりました。その時、一番強くなれるのは何か、それはMMAだろう。じゃあMMAで一番強いのは何だ? それはUFCだろう。なら、そこを目指すために高校を卒業して上京してやってやろうと決めたんです」
──佐世保にいる間にMMA的なトレーニングを始めることはなかったですか。
「極真空手を高校3年の夏で引退をしたので、上京するまでの半年間はブラジリアン柔術を習っていました。佐世保にあるシスイ柔術という道場で、当時は茶帯の方に指導してもらっていたのですが、今はもっと規模が大きくなっています。
MMAをやっていくうえで、ブラジリアン柔術を習っておくことは当然だと思っていました。寝技ができないと、MMAは戦えないので」
──東京でMMAファイターを目指すということに関し、ご両親の反応はどのようなモノでしたか。
「高2の時に想いを打ち明けた時は反対されました。今も心配しているはずですが、こっちに出て来て結果を残すようになると応援してくれるようになりました。最近では長崎から東京まで試合を見に来てくれるようになって」
──それは良かったです。アライアンスMMAに入門したのは何か理由があったのですか。
「シスイ柔術で格闘技に詳しい方がいて、相談させてもらったんです。その時にアライアンスを薦めてもらい、そこからアライアンスでMMAをやろうと思うようになっていました」
──剛柔流、極真空手、そしてブラジリアン柔術を経験しての上京。どれだけの希望と自信を持って東京にやってきたのですか。
「ボコボコにされる。厳しい世界だという覚悟はありました。自信というか、『やってやる』という気持ちと覚悟でしたね」
<この項、続く>