【AJJC2019】Fight&Life#74格闘紀行より、マレーシアの柔術伝道師ブルーノ・バルボーサ「10位以内に!!」
【写真】非常に基本を大切する指導をしていたブルーノ・バルボーサ(C)MMAPLANET
現在発売中のFight &Life Vol.74ではマレーシア・クアラルンプール紀行として、現地のMMAと柔術に関してレポートされている。
ONEの定着とともに発展してきた同国のMMAを引っ張る存在アギラン・タニのベースは柔術だ。彼が所属するモナキMMAで指導をするブラジル人黒帯柔術家ブルーノ・バルボーザに流浪の柔術家人生と、マレーシアにおける柔術の現状を尋ねた。
バルボーサはモナキ柔術をアジア選手権で10位以内にランクインすることが目標だと言い切った。
──もともとブルーノはブラジルのどちらの出身なのですか。
「リオデジャネイロ州ペトロポリスだよ。エリオ・グレイシーの住んでいた場所さ。スーパーマーケットで働いていた時に、いつもエリオがやってきてフルーツを買うんだ。で、『手伝いましょうか?』って尋ねても断れられて(笑)。エリオは全て自分で選び、僕らのアドバイスなんて必要としていなかったんだよ」
──なんとも、エリオらしいエピソードです。柔術の創始者が住む街でブルーノは柔術を始めたのですね。
「そうだね。柔術を始めたのはチーム・ブッダBJJで、指導をしてくれたアダウベウト・ジ・ソウザはカーウソン・グレイシーの黒帯クレジオ・ジ・ソウザの教え子だよ。最初はクレイジオがいたけど、サンパウロに引っ越してブッダがアカデミーの指導をするようになったんだ。
さっき言ったようにスーパーで働いたり、ガソリンスタンドに勤めながら柔術を続けていて、ムンジアルでは茶帯の時に日本人選手と戦ったこともあるよ」
──そうなのですか!! そんなブルーノがマレーシアで柔術の指導をするようになったのは?
「2013年だよ。ブラジルではロクな仕事がなかったから、海外で柔術の指導をすることが夢だった。ネットで色々とチェックしていたらモナキが黒帯を探していて、プロフィールを送ったら、ぜひって言ってもらえてここに来たんだ」
──ブラジルからマレーシアへ。生活環境も相当に違ったと思います。
「最初は英語もできなかったし、凄くブラジルに帰りたかった。でも夢への一歩を踏み出したばかり、ワイフも妊娠中だったのに『クアラルンプールで頑張れ』って言ってくれてね」
──それは心強いです。
「でも、我慢できなくて半年後に帰国してしまったんだよ(苦笑)」
──なんと……。それでも今、モナキで指導しているのは?
「ブラジルに戻ると、やっぱり生きていくのが大変だった。柔術では食っていけないし、ならもう一度……今度は性根をすえて海外で指導しようと決めたんだ。そして2014年にキルギスのビシュケクで1年間指導した。キルギス・トップチームでね」
──キルギス・トップチームといえば、ムルタザリエフ兄弟でしょうか?
「そうだよ? 知っているの?」
──昨年、キルギスを訪れた時に彼らを取材し『マレーシアからブラジル人黒帯に来てもらい教えを受けていた』と言っていました。それがブルーノだったのですね!!
「イッツ・スモール・ワールド(笑)。もう子供も生まれていたから3人で、ビシュケクで生活していたんだ。たけど、ロシア文化は僕らにはとても厳しくて……1年で離れることになった。またブラジルに戻り、英語とロシア語が話せるようになったのでホテルにでも就職しようかと考えていたら、モナキから『戻って来ないか』と連絡が入ったんだ。それから4年半、ここにいるよ」
──この間のマレーシアにおける柔術の普及状況をどのように感じていますか。
「最初に来た時は、道場もほとんどなかったし黒帯もいなかった。チェックマット系のマルコス・エスコバルがマレーシアにやって来て、柔術の発展に努めてくれたんだ。それからGFTのペドロ・ファルボが来て、僕、シセロ・コスタのタトゥー、ヒベイロ柔術もクアラルンプールに進出して、黒帯が指導できる環境が整った。以来、ずっと成長しているよ。それも全て、プロフェッサー・エスコバルのおかげさ」
──マレーシア全土に柔術は広まっているのですか。
「クアラルンプールだけじゃない。全土に広まっているよ。他の州からも教えを受けに来る人もいる。マレーシア人の黒帯も生まれた。僕にも茶帯の弟子がいるしね」
──東南アジアの柔術アカデミーは、駐在員として現地に滞在する外国人が多いという印象がありました。
「ここも最初はそうだったよ。特にこのスクールはビジネスエリアだから。でも、今は半々ぐらいになってローカルの生徒も増えた。今、茶帯が10人ぐらいいる。2、3年後には黒帯が増えているだろう。
モナキは3つのスクールを合わせて200人以上の生徒がいてね。朝7時のクラスでも15人も参加者がいる。夜は30人以上集まる。僕らは今、マレーシアで最高のチームだよ。12度チーム戦で勝っていて、この国の最大のトーナメントであるコパ・ド・マレーシアを始め、多くの成功を収めてきたしね。
せて」
──どれぐらいの間隔でトーナメントは開催されているのでしょうか。
「シンガポールほど多くなくて、マレーシアでは年に4、5回ほどかな。問題は、どうしても同じ顔合わせになること。細かい勝負になってしまうから、もっと色々と実戦経験を積むことが大切になると思う。
だから海外へ活躍の場を広げ、2017年からは日本で開催されているアジアチコにも出場しているんだ。僕もマスターで優勝したし、東京オープン、マスター・アジアにも参加した。今年の目標は、アジア選手権でトップ10に入ることだよ。
1月にマニラ・オープンで3位に入って、IBJJFのトロフィーを初めて手にできたんだ。今はシンガポールの方が先を進んでいるけど、マレーシアはすぐに追いつけるだろう」
──マレーシアにおける柔術とMMAの関係はどのようなモノなのでしょうか。
「僕自身はここのMMA選手に指導をしているよ。週に2度は道着で、2度はノーギだ。柔術を知らないとMMAは戦えない。アギラン・タニが寝技でドミネイトできるのは、ずっと柔術の練習を続けているからだよ。
MMAも成長しているし、練習をする人間も増えた。アマチュア中心だけどね。プロは試合機会が少ないから。経験を積むのが難しいという状況はある。アマの試合も少ない。でも連盟もできたから発展していくだろう」
──MASMMAAですね。柔術では連盟は存在しているのですか。
「柔術は今、その過程にある状況だよ。アブダビのUAE柔術連盟と話をしている。前回のコパ・ド・マレーシアに420人もの参加者が集まった。コパ・ド・マレーシアはペドロ・ファルボが主催し、頑張ってくれている。マニラ・オープンは200人ほど、コパ・ド・マレーシアの方が参加者は多い。連盟ができればさらに成長するだろう」
──柔術はマレーシアに順調に根付いているようですね。
「この国の人達は道着が好きだね。それがアジアのマーシャルアーツ文化なんだろう」