この星の格闘技を追いかける

【Grachan37xGladiator008】中村謙作─01─「自分と手塚がいなかったら、今のグラチャンはない」

Kensaku Nakamura【写真】渋さ満点、中村謙作(C)MMAPLANET

12月2日(日)に東京都大田区の大田区産業プラザPIOで開催されるGrachan37 xGladiator008で、昇侍を相手に引退試合を中村謙作が行う。

中村は柔道インハイ準優勝、全国自衛隊柔道選手権2連覇という実績を引っ提げ吉田道場に入門を果たした。2009年にグラチャンでプロデビュー、2012年11月の再出場以来グラチャン一筋という現役生活を送ってきた中村にとってMMAとは、そしてグラチャンとは何だったのを訊いた。


──MMAPLANETでインタビューをさせていただくのは初めてなのですが、それが引退試合前という形になってしまいました。中村選手はもともと吉田道場所属でしたね?

「あッ、今もです(笑)」

──スイマセン、失礼しました!!

「もう自分と長倉(立尚)だけです(笑)。自分が辞めるので、長倉だけになってしまいますね。戸越銀座では吉田道場の後に入ったジムでそのまま皆が働きながら練習していたのですが、そこがなくなったのが3、4年前で。光岡(映二)さんのグッドスキルに集まったりしていた時期もあったけど、吉田道場という練習場所はもうずっと存在していなかった状態でした」

──そもそもMMAを始めようと思ったきっかけは何だったのでしょうか。もうPRIDEもなくなった後でしたが。

「自衛隊体育学校にいて、柔道をしながら生活ができていたのですが、それが続けられなくなった時にMMAをやってみようかと……。ちょうど柔道の知り合いで明治大学の人がいて、その人の紹介で吉田道場に入門しました」

──安定の道を外れたと。

「そうですね(笑)。やっぱり周囲からは、自衛隊を辞めるなとは言われましたね。それまでは生きていく環境は全部用意してもらっていたから、MMAを始めて1人暮らしに慣れるのが大変でした。

でも、あの頃はまだ戦極もあったし、DREAMもやっていたから、ここまで格闘技が脚光を浴びなくなるとは思っていなかったですね(笑)。アレ、おかしいなとはすぐに分かったのですが、それで辞めるのは嫌でした」

──当時はどのようなMMAキャリアを送ることを想定していたのですか。

「やはり小見川(道大)さんも活躍していてし、戦極に出られるようになりたかったですね。それもすぐになくなって……でも、練習するのは楽しかったですし、他にやることもなかったから続けて来たような感じですね」

──生活面というのは?

「それは他の吉田道場の皆と同じで、バイトをしていました。最初は六本木でハマ(濱村健)ちゃんや釜谷(真)、誠吾さんとか皆一緒に働いていて。あの辺からは、もう大きな夢を見なくなっていました(笑)」

──プロMMAデビューがグラチャンで、その後パンクラスを主戦場にしていました。

「アマチュアではパンクラスやDEEPに出ていたのですが、釜谷とか、和田(竜光)も当時はバンタムだったし。被りたくないというのはありました。その時のグラチャンは前の体制で、パンクラスで色々あって岩崎代表がやるようになったグラチャンでまた戦うようなったんです」

──そのグラチャンでは2013年4月に友田隆志選手を破りバンタム級王者になりました。

「チャンピオンにはなったのですが、まぁそんなに景色も変わらなかったですね(笑)」

──アハハハ。

「変わらないですよね……あの当時は特に。今のグラチャンなら、また少し違っていたかと思います。でも、自分と手塚(基伸)がいなかったら、今のグラチャンはなかったと思いますよ」

──その自負はありますか。

「吉田道場っていうのは一応、名前が知られている道場だし。その普通の道場から選手が出ているというのは、それまでのグラチャンにはなかったと思います。手塚だってパンクラスのトップで元UFCファイターですからね。

そこに(鈴木)隼人が入って来て、彼はチャンピオンになってONEに行った。彼の活躍もグラチャンにとっては大きかったと思います」

──2014年4月に手塚選手の挑戦を受けてドロー、7月の再戦で敗れて王座転落。そこから佐々木郁矢選手、斉藤洋二選手に敗れるなど負けが込んだ状態から6連勝で再びタイトル挑戦権を獲得も、昨年12月に堀友彦選手に判定負けに。この後もこの間も、戦場を変えることなく一貫してグラチャンに出場し続けていました。

「まぁ、何も考えなかったことはないですよ。ただ去年のタイトル戦で負けた、もう1回負けたら辞めようと決めていましたから。それこそ、こないだの試合(※米山千隼戦)に勝っていたら、これからのことだって考えていたかもしれないです」

──中村選手にとってグラチャンはステップアップするための場では決してなかったと?

「う~ん、どうでしょうねぇ。阪本(洋平)とか、分かんないですよね。強いのに。グラチャンには……吉田道場所属の僕としては、愛着はありました」

──引退を決めた背景には、22歳の米山選手に負けたということは関係していますか。

「いや、さっきも言ったようにもう1度負けたから辞めるとは決めていたので、彼が若いとかは関係なかったです」

<この項、続く

PR
PR

関連記事

Movie