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【Bu et Sports de combat】 武術の叡智はMMAに通じる。統一体と形骸化された構え─04─『前屈立ち』

Zenkutsu dachi【写真】前回の四股立ちと同様、空手のイメージは左と右どちらだろうか?どちらだろうか? (C)MMAPLANET

MMAと武術は同列ではない。その一方で、武術空手を学ぶことで、MMAに生かせる部分がある。とはいってもMMAはスポーツであって、決して武術ではない。また多くの空手も試合があり、スポーツとなっている。

MMA、あるいはルールあるスポーツに生きる武術とは。自ら極真空手というフルコンタクトの空手の試合に勝つための稽古を20年に渡り続け、MMA挑戦後に武術空手と出会った剛毅會・岩﨑達也宗師に訊く、武術空手を競技&スポーツに生かせる統一体とは何か。

空手として世界に広まった多くの構えや礼法では、人間の体の機能を全て使う──統一体は身につかない。統一体が身に着く構えをここでは前回の立礼、四股立ちに続き前屈立ちを例とし、さらなる説明を進めて行きたい。


07:よく見られる道場での前屈立ち

正面から見た歩幅(横足歩幅)は肩幅に等しく、

正面から見た歩幅(横足歩幅)は肩幅に等しく、

横から見た歩幅(縦歩幅)はだいたい肩幅の2倍。前足のヒザをしっかりと曲げて、後ろ足のヒザは伸ばす。引手は胸の高さにある。

横から見た歩幅(縦歩幅)はだいたい肩幅の2倍。前足のヒザをしっかりと曲げて、後ろ足のヒザは伸ばす。引手は胸の高さにある。

07 a「この前屈立ちも、四股立ちと同様に身体に負担がかかりバランスが取りづらくなります。そして前屈立ちを取ることで、距離が変わり相手は回し蹴りを蹴りやすくなります。つまり回し蹴りに対し無防備な構えになっているのです」(岩﨑)

08: 剛毅會の前屈立ち(※半四股立ち)

横足歩は肩幅で、

横足歩は肩幅で、

縦歩幅はスネの長さに拳が一つ入る程度。両足のヒザは腰が割れない範囲でしっかりと曲げる。引手は肋骨の下にある

縦歩幅はスネの長さに拳が一つ入る程度。両足のヒザは腰が割れない範囲でしっかりと曲げる。引手は肋骨の下にある

08 b「この構えだと統一体となります。その理由はまた説明にしてくことになりますが、結論として統一体のレベルがあがると、先を取れた状態、間を制した状態を作ることができます。それは相手を無力化した状態を作ることができるということを意味しています」(岩﨑)

普段から剛毅會の構えで稽古を詰む澤田龍人は形骸化された構えを取ると「いつもとは違う構えをすると、体がしんどかったです。そして安定感がなくなっていました」と感想を述べている。

では、なぜ空手は統一体というもっとも体の機能を引き出せる状態とは違う、構えが広まってしまったのだろうか。

──一般的に岩﨑さんが言われる統一体でない構えが、空手の構えとして世に広まっている印象があります。

「恐らくは空手が沖縄より本土に伝わってきてから、前屈立ちは形骸化された構えになったのではないでしょうか。そもそも沖縄では歩幅は狭かった。ただし、基準は幅ではなく腰が割れない状態でいることです。その状態が取れているかどうかの判断は、本人を押すしかない。つまり、それはマンツーマン、もしくはごく少人数への指導でしか確認できないものなのです。

それが本土に渡り、空手を学校教育として受け入れてもらうために……体育として認めてもらうために、一度に大勢の人間を相手に指導するようになりました。その結果として普及用、足腰を鍛える鍛錬用の構えとなり、空手の構えは鍛錬方法に変化したと考えられます。

本質を伝えるよりも、マニュアル化していったということです。さらにいえば、本来は腰が割れる状態が理解できている人間しか、腰が割れているのか、そうでないのかという指導はできません。それも普及のために支部を作り、指導員を派遣するうえで、腰が割れるという状態が理解できない人間が指導に当たるようになっていったのです」

──そして統一体ではなくなったと。

「ハイ。それではウェイトで重いモノを持ち上げているのと同じことです。引力や重力に対して、抵抗するという運動でしかない。それでは統一体はできません」

──自重を用いる鍛錬なので、腕立て伏せと同じだということですね。

「実は腕立て伏せの上に上がった状態でも、統一体と統一体でない状態があります」

──それはどういうことでしょうか。

「通常の皆さんが鍛錬として用いている腕立て伏せは、上の状態から始まり、腕を曲げて、また体をもとに戻しています。この運動でだと上に戻った時、呼吸が止まっている状態になります。この状態でさらに荷重をかけると、我慢して姿勢を保つことになります。それは体の能力をフルに使うことができていない状況です。

cこれが……ですね、一度体を伸ばして腹を床につけた状態から、上体を上げてやると我慢している状態ではないので強いです。一度、完全に力を抜いて体を起こすと力を入れていないのに強い。踏ん張っていないのに上から押されても、横から叩かれても、蹴られても効かない。質感が変わってくるからです。

運動として行う腕立て伏せで育成されるのは、筋肉やスタミナ、そして我慢する精神力です。つまりは形骸化した構えと同じです。対して、体を伸ばしてから形的には腕立てと同じような形になっている時は、統一体になっている。これは筋肉を鍛えるだとか、精神力をつけるのとは別次元の話です。だたし、私は統一体こそが剛毅會の空手の特徴だとは認識していません」

──それはなぜですか。

「統一体が取れるようになると、誰がやっても同じ結果に結びつくからです。ニュートンがりんごの落ちるのを見て万有引力の法則に気付いたのと同じで、空気中に飛び上がっていくリンゴはない。それと同じように、誰がやっても同じ結果になります。その統一体には、型と基本稽古をやっていただければ誰でもなります。

つまり世間に広まっている空手とは挨拶から始まって、構えを含め、戦うために必要なことを行なっているのか?──ということです。自分たちは戦うために必要なことをやっています。ところが一つ問題があるのは武術、格闘は相手がいる。そこで受けよう、打とうとする。言ってみると、相手の意志に動かされてしまいます。それで統一体ではなくなってしまうのです」

<この項、続く>

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