【Column 04】2度目の七草粥を食べ終えて、ちょっと書いておこうかと思ったこと
【写真】料理に上下関係は存在しない (C)MMAPLANET
三が日だけは──から、子供が冬休みの間は……なんて期間が延びる。考えてみると、クリスマス前ぐらいから暴飲暴食が続いてきた。胃を休ませようという時期になり、そろそろ格闘技頭に脳みそを変換しないといけない今日この頃、お昼は七草粥の残りだった。
自分が生きていく上で食事は欠かせない。で、そこに求められるのは美味しさと栄養だ。正直、自分のことだけを考えると、ただひたすらに美味しさを求めるのも良いだろう。自分の人生だ。今が良ければ、自分さえ良ければ、それで良しと考えるも人の勝手だ。
ただし、自分には子供が3人いる。少なくとも彼女たちを成人させる責任が、自分にはある。だから、食事も美味しさだけを求めるのではなく、まずは栄養を考える。つまり健康を考えるということ。栄養のバランス、食事を摂る時間帯、食べ方(礼儀作法もそうだし、ゆっくりと時間を掛けることもそう)などなど。
子供の成長に欠かせない栄養を抜きにして、食事は考えることはできない。それでいて、少しでも美味しいモノを食べさせてあげたい。凄く美味しいものばかりを食べさせてもあげたい。でも、それは無理だ。栄養を考えると、楽しくない食事だって受け入れる必要性がある。
できれば、食材そのものの味を楽しんでほしいし、化学調味料に慣れた舌にはせずに、食材の味で好き嫌いが判断できる大人になって欲しいと思っている。
もちろん、食事にだって息抜きは必要だ。外食をすることで精神的に子供たちに楽しさを与えることもある。時には選び抜かれた食材を、高名なシェフの最高の技術によって届けてくれるような食事を味わわせてあげたい。
美味しさを求めると高級レストランから路地裏の隠れた名店、コースもあれば一点勝負でニヤって笑ってしまう良さを持つ店もある。
経済状況や生活環境において、求められる美味しさは誰もが同じではない。時間のないときにファースト・フードに頼ることもある。それでも、子供たちにとってイレギュラーであるようにしたい。TVでタレントが褒めちぎる料理が、食事として日常ではない。日々の三食こそ、しっかりと摂る必要がある。
美味しさ>栄養という本末転倒な食事を子供たちに摂らせようとは、自分は思わない。
肉料理、魚料理、野菜、果物──中国料理、エスニック、ステーキ&サラダ、イタリア料理、フランス料理、和食、そこに上下関係はない。美味しいモノはオイシイ。栄養のあるものは栄養がある。だからこそ、栄養と健康を考え、できるだけ美味しいモノを求め食べさせていきたい。
そうやって食事とは何かを子供に伝えることで、子供達がまた次の世代に伝えてくれる。こうして栄養を疎かにしない、美味しさばかりを求めない食生活が後世に残れば良いなと思っている。
もちろん、これは自分個人の考え方であって、だれかれに強要するつもりはない。そんなお前は面倒だから、話をしたくないし、ウチの店に来なくて構わないと言われても受け入れる。何より栄養無視とは言わずとも、美味しさを最優先する人だっていて然りだ。ただし、自分は健康を損なってまで、美味しさを追いかけるのは食事本来の姿ではないと考えている。それが結論だ。
何をクドクドと書いてやがるんだって思った人もいるだろうし、こういうことだろってもう分かってしまっている読者の方もいると思う。
食事を格闘技に書き換えようか。栄養は身を守る術であり、相手を攻撃する技、つまり攻守における強さだ。そして、美味しさとは攻守における強さ以外の要素。まぁ、自分にとって格闘技はそういうものなんですよ──ということで、暴飲暴食の目立った年末年始から日常に戻って仕事に励みたいと思う。