この星の格闘技を追いかける

【on this day in】9月09日──2008年

09 09 08【写真】MMAグローブを付けると、グリップの仕方はノーギの時と違っていた (C)MMAPLANET

Marcelinho in ATT
@フロリダ州ココナッツクリーク、アメリカン・トップチーム
「マルセリーニョはバックに回って相手のヒザ裏を蹴ってバランスを崩そうとする時、右を向く。2005年、ADCC世界大会・無差別級1回戦でリコ・ロドリゲスをバックグラブに捉えた時もそうだった。ゴングgrapple第2号、その表紙に関して、米国にいる僕と日本にいる編集長で意見が割れた。宮地さんは99キロ級と無差別級を制したホジャーを推した。僕は大会のクライマックスはマルセリーニョがリコに勝った一番だと譲らなかった。そして、こともあろうか『マルセリーニョが表紙じゃないと、もう1ページも書かない』と啖呵を切った。『それじゃぁ、脅迫だろ!!』と宮地さんの語気が荒くなった。荒くなったけど、ずっと大人な編集長は僕の意見を聞き入れてくれた。よく今も付き合ってくれると、ホント思う。そんなgrapple2号の表紙と同じシーンをMMAトレで見た夜、マルセリーニョの柔術アカデミーを訪れた。7年前の今日、フロリダで会った前年にHERO’Sと契約し、10月の韓国大会で念願のMMAデビューを果たしていたマルセリーニョ。しかし、打撃よりもMMAグローブとロープに得意のバック奪取を阻まれ敗れた。その3カ月後にATT入りした彼は9カ月も経過すると、MMAのなかでノーギ柔術を十分に使いこなせるようになっていた。練習でなく試合でその成果を見せたいと言ったマルセリーニョの表情が曇る。HERO’Sが旧PRIDEと合体しDREAMが生まれたことで、何が原因か彼の契約は履行されなくなっていた。それなのに米国でのMMA戦はおろか柔術に出ることも契約を理由に禁じられ八方塞がりの状態に。それでも日本で戦うことに拘るマルセリーニョに理由を尋ねた。『どこの国のマガジンが初めて僕を表紙にしてくれた? 僕にとって一番最初にファンという存在ができたのは日本だったんだ』。この言葉を聞き、僕は涙を堪えることができなかった。そこまで日本を想ってくれるマルセリーニョへの感謝の気持ちと、彼の想いを踏みにじる連中への怒り。2つの感情が織り交ざった涙だった。もっと困惑した表情を浮かべたマルセリーニョは結局、日本とのやり取りに疲弊し柔術界に戻った。せめて1試合でも、ATT所属のマルセリーニョが見たかった。あんなこと金輪際、起こらないでほしいと心より願う。例え、柔術界に戻ったマルセリーニョがハッピーに暮らしているとしても」

on this day in──記者生活20年を終えようという当サイト主管・髙島学がいわゆる、今日、何が起こったのか的に過去を振り返るコラム。自ら足を運んだ取材、アンカーとして執筆したレポートから思い出のワンシーンを抜粋してお届けします。

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