【on this day in】5月27日──2005年
【写真】66キロ級に出場していたパフンピーニャが、ATTの同門のアソコをバスタオルで隠すが、僕からは丸見えだった(C)MMAPLANET
ADCC2005
@カリフォルニア州ロングビーチ、
「2005年のADCC 77キロ級は未来永劫、史上最高の組み技トーナメントだったといえる。青木真也、GSP、レオ・サントス、パブロ・ポポビッチ、ヘンゾ・グレイシー、ディエゴ・サンチェス、キャメロン・アールにジェイク・シールズという参加者の頂点に立ったのはマルセリーニョ。JJ・マチャドがスーパーファイトに転じた一点のみ至極残念だったが、神の階級に相応しい面子が揃っていた。ホジャーが無差別と99キロ以下級で優勝、ジャカレとデミアン・マイアが頂点を争った88キロ級、ユライア・フェイバーやギルバート・メレンデスが出た66キロ級はレオジーニョが制した。当時、grappleという別冊を創っていたゴン格編集部では海外では例のない4人体制で取材を行った。3つのマットで行わるトーナメントを階級、回戦ごとに、4人が撮影した写真をフォルダにまとめる作業が、滞りまくり自分の担当した階級の写真を、他のスタッフのPCのゴミ箱から見つけ直さないといけないなど、キレることなんて通り越し、記者人生で初めて精神的に病むんじゃないかという心理状態に追い込まれた。現地の混乱と同様に、日本に残って誌面創りを続ける編集部も、約束の時間が何時間も過ぎても、全く写真が送られてこない状況にパニックに陥っていた。そんな時、僕はこの仕事を始めた頃にとある先輩から聞いた言葉を思い出していた──。『髙島、しんどい時は笑え。笑ってないと、どんどん追い込まれていくぞ』という言葉を。それは日本で写真を待つ仲間も同じだと思った。だから──10数時間遅れで最初に送る写真で、彼らに笑顔を取り戻してほしかった。で、送ったのが10年前の今日行なわれた計量での一枚。トリミングもぼかしもないモノを送った。結果、編集部は笑顔を取り戻すどころか、僕が気でもフレてしまったのではないかと、焦りが増幅したそうだ……。チャンチャン。ゴメンね、ジュカォン」
on this day in──記者生活20年を終えた当サイト主管・髙島学がいわゆる、今日、何が起こったのか的に過去を振り返るコラム。自ら足を運んだ取材、アンカーとして執筆したレポートから思い出のワンシーンを抜粋してお届けします。