【on this day in】8月21日──2013年
【写真】この時、アライアンスには宇野だけなく、岡見勇信、磯野元、所英男、そしてDJ.taiki君の姿も見られた (C)MMAPLANET
Caol Uno in Alliance MMA
@カリフォルニア州チュラビスタ、アライアンスMMA
「2年前の今日、4年半ぶりに宇野薫と本格的に米国のジムを回り始めた。2009年の時は、なぜそのような流れになったのか明確に覚えている。こんなことをいうと失礼な話だが、きっとあの時の宇野にはそれだけ『後がない』という焦燥感が見て取られ――凄く偉そうだけど、何か一肌脱がないといけないと思わされたのだろう。対して2年前に南カリフォルニア、シカゴ近辺などのジムを一緒に回った時の宇野には確かな自信と明確な目標があった。いってみれば、助太刀をしたのではなく――相互協力の上で、出稽古の旅は成り立っていた。2009年にジム巡りをした後、2度目のUFC参戦が決まった宇野はフリーという立場でMMAと向かい合うようになったものの、躍起になってMMAを消化しようとし、本来の良さを失っていた。今にして思えば、ライト級という階級も含めて成果が残せる状態でなかった。UFCをリリースされた後、DREAMで戦っている時に宇野らしさとMMAの咀嚼という部分がうまい具合に融合し始め、修斗やVTJで実績作りを始めた時に、宇野薫のMMAが固まってきた。チーム宇野薫という体制を築かれ、2連勝と成長に結果が出始めた時期に、宇野はもう一度米国を回りたいと言ってきたと記憶している。アライアンスで錚々たるメンバーと練習するなかでも、彼に迷いはなかった。自分がやって来たことが間違っていないと、4年前にボロボロになった米国を再び訪れることで確認できた。その後の宇野は連勝を6に伸ばした。恐らくは最後になるであろう、この宇野薫と米国で過ごした日々。その前後の2年間で最終章に向けても人間は枯れの美学でなく、咲きの美学を全うできることを教えてもらった。そのために絶対に怠ってならないことはたった一つ、努力すること。宇野の総合というフィールドに足を踏み入れた時期と、自分がこの仕事を始めた時期はほぼ重なっている。努力する天才の歩む道程は、今の――、そしてこれからも格闘技記者として生き続ける僕にとって指標となっている」
on this day in──記者生活20年を終えた当サイト主管・髙島学がいわゆる、今日、何が起こったのか的に過去を振り返るコラム。自ら足を運んだ取材、アンカーとして執筆したレポートから思い出のワンシーンを抜粋してお届けします。