この星の格闘技を追いかける

【on this day in】2月27日──2004年

27 02 04【写真】個人的にはケニー・フロリアンに似ているように感じていた──好漢アウグスト(C)MMAPLANET

Shooto No Rule No Problem
@スイス・チューリッヒ、ドクトルハウス
「あの会場の本来の使用目的は何だったのだろうか。十字架はあっても教会っぽくはなかったし、まさか教会で格闘技の大会なんて開くことはできないだろう。客席数は400ほど。日本でいえば結婚式場の披露宴会場のような場所にリングが置かれ、スイス初のプロ修斗公式戦が行われた。スイス国内でMMAイベントが開催されるのは、1年8カ月前振り2度目のこと。ただ、この美しく小さな永世中立国はフランス語、ドイツ語、イタリア語、さらにロマンシュ語と4つの公用語を持つ。住む地域によって話す言葉が違い、ドイツ語圏のチューリッヒではフランス語圏のジュネーブで開かれたIVCのことはまるで無関心だった。プロモーターはスイス国籍を取得したブラジル人のアウグスト・フロタ。フォルタレーザ生まれの彼は、米国のサッカーチームと契約しフロリダに移り住んでいた時に、母親の下に長期滞在していたミノタウロと知り合い、柔術を始めた。その後、スイスで銀行員となり、自らの柔術アカデミーをチューリッヒで持つと、オランダでアマ修斗に出場するようになる。03年にプロデビュー、その10カ月後にこの大会を開いた。プロモーターが自らリングへ上がるのを目にしたのは、アマリロのUSWFのオーナー兼エースのスティーブ・ネルソン以来、僕史上2人目だった。競技運営面を任された欧州修斗首脳が大雪で会場到着が遅れ、大会開始も2時間のディレイ。無人のリングを見つめて談笑し、文句の一つも口にしなかったお客さんたちが、アウグストの飛びヒザ、パンチの連打からRNCによる勝利に立ち上がり、拳を突き上げて大喜びした。ルイス・ブスカペ、マルセーロ・グリロ、カテウ・キビスらブラジル勢、ロス・メイソン、ポール・ジェンキンスという英国MMA第一世代が、薄暗いライトの下で懸命にファイトしていた手作り大会。なんだかお伽話のワンシーンのように現実離れしていた」

on this day in──記者生活20年を終えた当サイト主管・髙島学がいわゆる、今日、何が起こったのか的に過去を振り返るコラム。自ら足を運んだ取材、アンカーとして執筆したレポートから思い出のワンシーンを抜粋してお届けします。

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