【on this day in】12月10日──2000年
【写真】15分×1R+5分延長で、レフ判定でレオナルド・ヴィエイラが、ヴィトー・ヒベイロを下した。それぞれレオはセラ、シャオリンはテレレを破っての決勝進出。とんでもない面子が田舎町に大集結していた(C)MMAPLAET
International Pro-Am Grappling tournament
@ノースカロライナ州ローリー、ドートン・アリーナ
「柔術が世界に広まったのは、ホイス・グレイシーがUFCで勝利を重ねたからに他ならない。柔術=グレイシーであり、柔術=バーリトゥード(MMA)という潜在意識が、第1回UFCから第4回大会の間に植え付けられた。それから5年以上経過しても、柔術とサブミッションレスリングとMMAは横一線。当時、ADCCで活躍していたのは柔術家とMMAファイターばかりだったから、それも致し方なかったと“やや甘”裁定を自らに下している。寝技にトライしないMMAファイターを毛嫌いした。寝技には付き合わない選択肢、寝技に持ち込めない力不足という要素に気付いていなかった。そんな慧眼を持たない記者の視野が広がり、認識が変化し始めたのが、この2000年だ。ムンジアルを取材しグレイシーで一括りにできない柔術界の真実を垣間見た。年の瀬も迫った12月、ホイラーのスーパーファイト、ジェフ・モンソンが優勝したヘビー級、コンプリードがサウロを破って頂点に立ったミドル級、そしてレオジーニョがシャオリンをレフェリー判定で下し、8人トーナメントを制したライト級──と、とんでもないメンバーを集めたグラップリング大会を訪れた。他にテレレ、マット・セラ、ディーン・リスターにマーク・ライモン、日本から植松直哉、三宅靖志も出場していた2日間の大会を通して……いやシャオリンとレオジーニョの勝負を見て、打撃の練習をしていたらコレでは勝てないと認識が変わった。ただし、この大会で芽生えたノーギは柔術じゃない──という考えは、5年後に再び覆されることになる」
on this day in──記者生活20年を終えようという当サイト主管・髙島学がいわゆる、今日、何が起こったのか的に過去を振り返るコラム。自ら足を運んだ取材、アンカーとして執筆したレポートから思い出のワンシーンを抜粋してお届けします。