【Column】モントリオールのGSP(前篇)
【写真】左がUFC世界ウェルター級世界王座を奪取した大会での会見場でのGSP、左はマット・セラに敗れベルトを失った後の会見場でのGSPだ。
※本コラムは「格闘技ESPN」で隔週連載中の『10K mile Dreamer』2011年8月掲載分に加筆・修正を加えてお届けしております
文・写真/高島学
このコラムは海外取材に関連して、書かせてもらっているが、誰にそうしろ――と指示を受けたわけでなく、10年、15年という過去の話を振り返っていることが多い。
なぜ、そうなったのか? ちょっとしたことでノスタルジックな心境に浸ってしまう年齢が影響しているかもしれない。まぁ、人間、プロスペクティブな振り返りなんてものがあったとしても、それでは展望になってしまうので、過去の話が中心になる。そんななか、今回はごく最近の過去を振りかえらせていただきたいと思う。
現時点で一番最近の海外取材は、6月にバンクーバー~モントリオール~ダラスを2週間弱ほど掛けて回った時となる。UFC131とStrikeforce、二つのズッファ系イベントの取材の合間に、モントリオールにあるトライスター・ジムを4日間ほど、集中的に取材させてもらった。
このところ、定番と化した取材先が多くなり、ナビも地図もなくても、取材先まで辿りつけることが多くなった。そんななか、モントリオールは初めての訪問、右も左も分からない状態が楽しい。翌朝の取材のために、現地入りした夜に、ホテルから徒歩でジムを探しに出たなんて、本当に久しぶりの経験だった。
モントリオール、トライスター・ジムとくれば、お目当てのファイターはGSPということになる。ジョルジュ・サンピエール、UFC世界ウェルター級王座に君臨すること3年半、完全無欠の試合振りで、カナダを代表するプロアスリートの地位にもある――MMA界を代表するファイターだ。
06年11月にサクラメントでマット・ヒューズを破り、王座獲得した際、GSPはスーツ姿で記者会見に臨んだ。MMAという、少しマッチョさが漂う世界にあってフォーマルな雰囲気、つまりはメジャーの嗜みを持ち込もうとした僅か26歳の若者に興味を抱いた。
翌07年4月に初防衛に失敗した時でさえ、GSPはスーツ姿で記者会見に姿を見せた。顔面蒼白、引きつった表情でなお、丁寧にかみ砕いた英語を駆使し、記者とのやりとりを続けた彼を見て、人間性という部分で、また一つ強い興味を抱くようになった。
この時より1年後に王座に返り咲き、MMAの枠を超えた存在に成長した彼を斜陽の時期にある日本の専門誌の記者が取材するには、予想以上の困難な状況になってしまった。
ベガスのマネージメント・オフィスに属するようになったGSPを取材するには、そのオフィスの女社長の了解が必要になる。MMAが特別好きというわけでなく、そこに見える「$」を目当てに、この業界に手を伸ばした彼女にとって、日本の専門誌など、優先順位は10人中10人目といっても良い。ドタキャンも3度ほど食らった。
「GSP自身は問題ないから、大会を視察に来たときにインタビューを申し込めばいい」という友人の米国人記者のアドバイスも、マネージメント・オフィスから派遣され、常にGSPの傍らに立つようになった女性の存在で有効なものとはならなくなった。
と同時に、余りにもパーフェクトな試合と、模範解答のような試合前のドキュメント、リング上のやりとりを見て僕自身、人間GSPに対する興味が薄れていった。
反面、その完璧な試合展開、作戦実行力を防衛戦で確認するたびに、GSPの練習環境、トレーニングメニューへの興味が強くなった。
記者として、ファイターの人間性と同様に、急激に進歩する技術面を抜きにして、MMAは語れないと強く追うようになった自分がいる。
今回の取材目的は、GSP個人というよりは、その身辺取材をし、いかにGSPというパーフェクトMMAファイターが誕生したのかを探ること。そして、日沖発の現地での練習、この二点が主目的になっていた。
GSPが、あんなにフランクで人間的に魅力があるヤツだとは、思ってもいなかったからだ……。
6月13日、正午過ぎ、トライスター・ジムに現れたGSPは、日沖の姿を確認すると、最高の笑みを浮かべてこう言った。「オオ、シンヤ。よく来たね」と。
(この項、続く)