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【Pancrase333】笹晋久と対戦、田中路教の真実─01─「僕のパフォーマンスは〇〇〇戦から落ちています」

【写真】そうだったのか……と衝撃を受けました(C)MMAPLANET

30日(日)に立川市の立川ステージガーデンで開催されるPancrase333で笹晋久と対戦する田中路教──ホントに赤裸々に話してくれて感謝です

サクラメントに拠点に置き、アルファメールで練習する田中のMMAライフはUFCで再び戦うこと。その田中が2019年3月のウラジミール・レオンティブ戦以来、4年振りとなるパンクラス参戦を決めた。その理由と、今も田中が戦い続ける理由を尋ねた。

すると田中本人の口から、自身のパフォーマンスに関して空恐ろしい言葉が訊かれた。


──パンクラス出場、色々なことがあったかと思いますが、話せる範囲で読者の皆さんに説明してもらえますか。

「ハイ。長くなりますよ?」

──全然、構いません(笑)。

「去年の8月、LFAで負けて……あれからユライアと話し、彼の持つ会社でマネージメントをしてもらうことしました。僕も子供が生まれたことで、ずっと米国に滞在できなくなり、今後はLFA以外でも戦うことも視野に入れる必要が出てくると思ったので」

──つまりLFAとの契約も解消する方向で話を進めてきたということですか。

「まずビザを取り直すタイミングが来て、LFAの契約だとLFAでしか試合ができない。そこをまず解決することがありました。だから契約の解除は最初の選択肢で」

──LFAは結果、1年で1試合しか試合が組まれず、ここは誤算だったかと。

「全ては自分の決めたことです。自己責任です。そこはLFAが云々というのは全くないです。去年、コンバット柔術の試合に出て……年が明けてから、実際に動き始めました。まずはビザの更新が必要で、そのために通訳の面でサポートしてくれる人がいるので、弁護士と話を始めました」

──ユライアの会社でマネージメントが始まった。同時にユライアはA-1Combatという大会も開いています。

「ハイ。なのでA-1 Combatと契約を結ぶ一方で、他のプロモーションでも戦える状況を整えようと思いました。そこでLFAとの契約を解消する必要があり、ちょうどユライアがUFCのブラジル大会を視察した際に、エド(ソアレス)とランチをしてフリーランスにしてもらいました」

──試合機会を与えないけど、契約を盾に拘束するというようなことがなくて良かったです。

「そこはエドも僕の立場を考えて、快く了承してくれたみたいです。A-1とは2月の頭に契約して、そこから次の試合を探すことになりました。そして4月の終わりにTachi Palace FightとA-1が合同でイベントを開くので、そこで戦うことを第一に練習をするようになったんです

でも2週間後にその試合がなくなって、5月終わりのA-1になると。そこから3カ月は長い、素直に思いました。それにビザの更新があるので、一度日本に戻る。それなら日本で戦うということを考えるようになりました。それで勝村(周一朗)さんに相談すると、『自分が交渉できるのは修斗、パンクラス、RIZINだけど』ということだったので、『どこでもお願いします』と」

──ついにRIZINで戦う可能性が出てきたたわけですね。

「あの時は『どこでもやります』と自分の拘りなんかは伝えなかったです。で、2週間後ぐらいにパンクラスが対戦相手を探してくれることになったという連絡が勝村さんからあり、ユライアとマネージャーにも日本で戦いたいと伝えました。なら、その方向で行こうということになったのですが、2月の終わりに──あの夜叉坊が出たUP NEXT Fightingから、3月末にフランシスコ・リベラとタイトルマッチのオファーがあったとマネージャーから聞かされました」

──ない時はないのに、決まり始めると重なる……。

「ハイ……。ただパンクラスに相手を探してもらっているので、勝村さんにオファーがあったことを話して。そうしたら勝村さんから『まだ見つかっていないので、そっちを優先すべきだ』と言ってもらえたので、UNFのタイトルマッチに出ると決めました。それをマネージャーに伝えた日の夕方に『流れた』と言われて……」

──なんちゅうことですか。チグハグが過ぎますね。

「もう本当に申し訳ないのですが、勝村さんが『パンクラスにまた頼むから』と言ってくれて……」

──今、田中選手はどこを目指してMMAを続けているのでしょうか。

「UFCをまだ目指しています」

──それなのにTitan FCやFury、CFFC、CESと交渉をせずに、手の届く範囲で試合機会を得ようとしたのは?

「今回は日本で試合をすることを考え、パンクラスが応えてくれた時点で他の団体で戦うという頭はなかったです。ビザのこともあったので。ビザの更新が終れば、A-1を始めまた米国で戦う場所を探すことになります」

──どれだけ田中選手が厳しい状況にあろうが、『日本なんだ』と思ったのは否定できないです。と同時に米国を拠点にしていても、主要フィーダーショーやBellatorのローカル枠でも試合ができないという現状にショックを受けました。なら、米国でやっていくというのは現実的に厳しすぎるなと。

「う~ん、そうは思わないです。実際にUNFやTPFからオファーもあるし、ただし現状では他のフィーダーショーで戦うことに関しては、ビザを取ってからの交渉ということ。それだけです」

──では暫らくは日本で戦うことも?

「いえ、もう移民局に書類を申請しているし、ビザを取得できると日本で戦うことはないかと……」

──さきほどRIZINの名前もありました。ならRIZINで知名度を上げ、実績を積んでUFCと交渉という選択肢もあるかと。

「とにかく、僕は4月までに試合がしたかった。5月まで待ちたくないというなかで、試合ができるところではどこでも戦うというつもりでした。今回に関しては対戦相手のことも全く関係なく試合がしたかったです。

笹選手と試合を組んでもらえましたが、相手が誰だろうが絶対に断ることはなかったです。ただ、今後は米国で若くてUFCが目を付けている選手と戦っていこうという気持ちでいます」

──RIZINの方が良い相手、良い条件で戦えるかと思いますが……。

「う~ん、ビザが取れれば米国で戦います。僕はとりあえず米国で良いです(笑)」

──では笹選手との試合ですが、正直ここ数年ケージのなかで良いパフォーマンスを残せていない。それが田中選手の事実かと……。

「そうですね。その通りだと思います。だから自分のコンディションを整える。もう、そこだけですね。今、言われたように……いや、ここ数年ではなく僕のパフォーマンスはハニ・ヤヒーラ戦(※2016年9月)から落ちています」

──えっ……6年以上前ですが……。2017年10月のホジェリオ・ボントリン戦は良かったかと。

「う~ん、僕の感覚と照らし合わせると、ボントリン戦の時も落ちていた。落ちているなかで、なんとか整えたに過ぎないです。僕が良い動きができていたのはジョー・ソト戦(※2016年1月)が最後です。あの後、明確に落ちました。実は最近までボントリン戦の後からだと思っていたのですが、今から振り返るとヤヒーラ戦からです」

<この項、続く

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