【OCTAGONAL EYES】英国
※本コラムは「格闘技ESPN(旧UFC日本語モバイルサイト)」で隔週連載中『OCTAGONAL EYES 八角形の視線』2009年10月掲載号に加筆・修正を加えてお届けしております
文・写真=高島学
先週、3年半振りに4日間だけですが、イギリスを訪れました。
ノッティンガムのラフハウス・ジムこそ訪ねることはできなかったのですが、リバプールの玄関口ライムストリート駅から一駅の住宅街にあるカオボン・ジム、そのリバプールとマンチェスターの間、ウィドネスという街の工場地帯にあるウルフスレアー・ジム、そしてロンドン郊外ヒースロー空港とダウンタウンの中間にあるロンドン・シュートファイターズという、英国を代表するファイターたちが所属するジムを足早に見て回ることができました。
正直なところ私は、英国のMMAに対して、良くも悪くも無色無臭というイメージを抱いていました。
コンバットスポーツがエンターテインメントとして、観客からチケット代を徴収している事実がある以上、この無色無臭という印象は、決して良い風にとることはできない――、特徴がないという意味になるでしょう。
RINGSに出場していたリー・ハスデルによって、UFC初開催に遅れること3年、掌底ルールを用いた大会が英国で行なわれ、この国におけるMMAの歴史が、本格的にスタートを切ったとされています。
その後も基本的にプロ&アマ興業が中心だった英国のMMAですが、01年から02年に掛けてアルティメット・コンバット、ケージ・ウォリアーズ、そしてケージ・レイジという、その後の英国MMAワールドを支えるイベントがスタートしました。02年7月にはロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでUFCが初開催されています。
ただし、この時はまだマーケットとして未成熟だった英国に、UFCが定着することはありませんでした。その後、UFCが再びこの地を訪れるまで、5年の月日を要しました。
マーケットと同様に、当時の英国人ファイターもまた、未熟と評するしかないレベルにありました。ボクシングやムエタイなど打撃をベースに戦い、柔術のガードワークを駆使するファイターもなかには見られましたが、レスリングのテイクダウンを攻守ともに使いこなす者は皆無でした。
それが、この5年で英国人MMAファイターの戦いぶりは、大いに変化しています。鋭い打撃を武器に戦いながら、対戦相手に組みつかれても簡単に倒れることは、もうほとんどありません。
倒されたとしても、瞬時に立ち上がる術を身につけているファイターが多く見られます。そう、今やMMAで勝つための王道、スタンダードな戦法を多くの英国人ファイターが用いているのです。
日本やブラジル、そして米国のファイターが柔術の基礎を学び、レスリングの大切さを知り、さらにはMMAとしての打撃を学ぶようになったという技術変遷が、この国のMMAにはありません。
03年から徐々に熱を帯び、06年に掛けて国内大会の盛り上がり(バブルともいえる)がピークを迎えた英国のMMA界。そこで育った選手たちは、現代MMA勝利の方程式が概ね解読され、正常進化を重ねる時期に、キャリアをスタートさせました。
よって彼らのファイトにはアクセントが少ない――そんな風に感じます。
TUF3で優勝し、コーチも務めたマイケル・ビスピン、日本や米国の国際大会で実績を残してUFC入りを果たしたダン・ハーディやポール・デイリーは別格として、他の英国産UFCファイターの勝負は、これから始まります。
ポール・ケリー、ジョン・ハザウェー、テリー・エティム――。オクタゴンとリングが常設され、ボクシングやムエタイの専属コーチ、レスリングはナショナル級のコーチを招き、柔術やグラップリングはブラジル人指導者が存在する――、そんな英国3大ジムに所属する彼らの完成度は想像以上に高いです。
他の国のファイターには類を見ない、UFCという世界一のイベントで、キャリアを重ねることが許されている彼らが、今のレベルから一歩でも抜けだすことで、自然と各々の色が付いてくるでしょう。
TUFシーズン9出演者より、ネームバリューこそ劣っても、それ以前にUFCと契約を果たした彼らこそ、これからの英国MMA界を支えていく存在になるはずです。UFC英国戦線で戦う彼らは、思った以上にデキます。そして、戦場が大西洋を超える瞬間を、今か今かと待ち構えているのです。
目の前に食指が動くターゲットがあるかないか、この問題は大きいとは思いますが、普段は笑顔が絶えない彼らが、練習中に獰猛な猛禽類のような眼を浮かべるのに対し、彼らと同世代の日本の総合格闘技家たちの多くが練習中に見せる表情は、如何にも今年流行りの草食系で少々心もとないなぁと感じる次第です。