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【Pancrase327】鶴屋怜と対戦、秋葉太樹─01─「毎日を頑張れる。それが僕にとっての格闘技やった」

【写真】柔道出身だが、パンチの破壊力は誰もが認めるところ(C)SHOJIRO KAMEIKE

29日(金・祝)、東京都の立川ステージガーデンにて開催されるPancrase327にて、パンクラス初参戦の鶴屋怜を、フライ級3位の秋葉太樹が迎え撃つ。
Text by Shojiro Kameike

これまでパンクラスのフライ級で安永有希、荻窪祐輔、神酒龍一といったトップランカーを下し、ランキングを上げてきた秋葉。しかし前回の試合では同級暫定王者決定トーナメント1回戦で小川徹に敗れ、ベルトを巻くことはできなかった。そんななか、復帰戦で新鋭の鶴屋怜と対戦することが決まった心境は――。

インタビュー前編では、秋葉にこれまでのキャリアと現在の練習環境について語ってもらった。


――秋葉選手は現在、もともと所属していた総合格闘技道場reliableから離れてフリーになっているのですね。

「はい、安谷屋選手との試合(2020年11月、判定勝ち)の後からですね。僕もジム以外でのスパーリングが多くなって、ジムの代表(田中淳reliable代表)からも『ジムの肩書がないほうが動きやすいんじゃないか?』と言われたんです。いろんなところへ学びに行って、強くなる環境を自分で見つけていくほうが合ってるんちゃうか、と。だからreliableを卒業してやっていくほうがいいよと言ってくだって」

――その時点では、どこで練習していたのですか。

「カルペディエム芦屋と稲垣組、それとボクシングジムに通っています。あとは手塚(基伸)さんにマンツーマンで練習してもらうこともあったりとか。そうやって、いろんなところのプロ練に参加させてもらっていましたね」

――最近は関西のMMAファイターにインタビューすると、カルペディエム芦屋でのプロ練が話題に挙がることが多いです。

「本当に良い環境で練習させてもらっています。もともとはカルペディエム芦屋がオープンする前に、何度か岩崎さんとお会いしたことがあって。その時に『ジムを開くから、良かったらおいでよ』と声をかけてもらっていたので、カルペディエム芦屋が出来た時からお世話になっています」

――カルペディエム芦屋ではプロ練だけではなく、道着の練習もしているのでしょうか。

「グラップリングの練習のあと、柔術の初級クラスにも出ています。初級クラスから参加させてもらって、ホンマにありがたいですね。クラスで学んでいくうちに『あぁ、こういうことやったんや』って。基礎知識から勉強させてもらっています」

――カルペディエム芦屋で学んだことで、何か概念を変えられたようなことを挙げていただけますか。

「いや、もう……細かいことが多すぎて、コレっていうのが思い浮かばないですね(苦笑)。ポジションの意味合いから教わっています。このポジションには、こういう意味があると。僕はずっと違う考え方を持っていたので、そういう技術以前の知識から勉強させてもらっているんです」

――なるほど。秋葉選手は、もともと柔道をやっていたのですよね。

「小学校から大学まで柔道をやっていました。中・高・大と部のキャプテンも務めていて。柔道以外にすることがなくて(苦笑)」

――柔道からMMAに転向したキッカケは何だったのでしょうか。

「大学2年の時に1回、地下格闘技に出たのがキッカケです」

――えっ、地下格闘技の経験があるのですか。

「その前から、MMAをやりたいとは思っていたんです。高校の進路選択の時、大学へ進学できなかったらMMAをやろう、って考えていたぐらいでした。それで大学に進んでから(地下格闘技に)出てみぃへんか、という誘いがあって。自分もMMAをやりたかったし、実際にやってみたら面白くて、柔道を引退したら、すぐMMAを始めようと思いました」

――大学卒業後、正式にMMAのジムに入ったのでしょうか。

「高校の柔道部の先輩から声をかけてもらって、東淀川に修武館という道場に入りました。その時代にデモリッション・ウエストのセミプロ戦に出場しています。その後すぐ、柔専館へ行かせてもらった時に、reliableの田中淳代表と知り合って。当時、修武館では週2回しか練習がなかったんですね。田中代表からreliableは僕の家からも近いし、毎日練習できるから、いつでも遊びにおいでと言われていたんですよ。それで修武館の代表に相談したら、『そのほうが良い。離れても家族であることは変わらないから』と言ってもらえて、reliableへ移籍することになりました」

――素敵な方々ばかりですね。デモリッション・ウエストのセミプロ戦でデビューしてから、2013年は2敗1分という成績でした。そこで勝てなかった要因は何だったと思いますか。

「何でしょうね……。当時は解体の仕事が終わってから、大阪から夜8時ぐらいに戻ってきて、練習してから朝早くに現場へ行くという毎日を繰り返していました。睡眠時間も1日1~2時間ぐらいで。だからか当時のことを、あんまりよく覚えていないんです(苦笑)」

――……。

「MMAをやるのが楽しくて、ただ道場へ行っていただけだったかもしれないです。だから『結果が伴っていない』という認識もなくて」

――その認識が変わったのは、いつ頃なのでしょうか。

「2014年に解体業を辞めて、工場の仕事に入るようになったんです。そうしたらライフスタイルも一気に変わって。それが3連勝した時期ですね」

――ただ、その後も勝敗に関しては苦しい時期が続きました。当時MMAを戦ううえで、どのような目標を持っていましたか。

「当時はMMAについて、そんなに追及していなかったです。格闘技が好きだから練習して、オファーがあったから試合して――その繰り返しでしたね。その試合のために頑張る、この試合で勝った先どうするとか、そういうことは考えていなくて。試合について簡単に考えていたのかもしれません。でも僕にとっては、格闘技の練習と試合があるから毎日を頑張れる。それが僕にとっての格闘技やったんです」

<この項、続く

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