【Pancrase326】猿飛流を相手に2度目の防衛戦、小川徹の意外なる遍歴―01―「全てはMMAをやるため」
【写真】意外な素顔が、どんどんと明らかになっていった小川 (C)SHOJIRO KAMEIKE
21日(月・祝)、東京都新宿区のベルサール高田馬場で開催されるPANCRASE326で、フライ級キング・オブ・パンクラシストの小川徹が、猿飛流を相手にベルトの2度目の防衛戦を行う。
Text by Shojiro Kameike
昨年開催された暫定フライ級KOP決定トーナメントを制した小川が、暫定ながらベルトを腰に巻いた。その後、ONEに出場している正規王者の仙三が王座を返上し、小川のベルトから暫定の2文字が取れている。
そんな小川はこれまで、異色ともいえるキャリアを歩んできた。空手→自衛隊→グラフィックデザイン会社経営――インタビュー前編では、紆余曲折すぎるキャリアについて語ってもらった。全てはMMAのために。
――今回はまず、これまでのキャリアについてお聞きしたいのですが、どこから聞いていいのか……キャリアが異色すぎます。
「アハハハ、何でも聞いてください!」
――まず空手を始めたのは、いつ頃のことでしょうか。
「幼稚園の先生が空手の先生でもあって、それで幼稚園の時から空手に触れるようになり、実際に道場へ通うようになったのは小学3年生の時です」
――流派は?
「松濤館ですね。県大会で優勝して全国大会出場というのが一番大きな実績です」
――なるほど、松濤館だったのですね。それで現在の小川選手のファイトスタイルが理解できました。
「ありがとうございます。子供の頃から空手以外のスポーツはやっていませんでした」
――その空手が東京オリンピックの種目に決まった時は……。
「嬉しかったですね。ただ、五輪種目に決まったのは僕が高校生か高校卒業するぐらいのタイミングで、しかも実際に行われるのは10年後ぐらいでしたから。その時点で小学生や中学生の子たちが、20代半ばでオリンピックに出るような年齢設定だったので、自分が出たいとかオリンピックを目指すという気持ちはなかったです」
――その後、高校を卒業して自衛隊に入ったのですか。
「はい。大学からの誘いもあったんですけど、高校の時からMMAをやりたかったんです。当時はKIDさんがHERO’Sで活躍していて、それを見ながら『打撃だけでは本当の強さじゃないな』と感じていました。強さを求めて空手をやっていたんですけど、ここがゴールじゃないなと思って」
――MMAをやりたいと思ったのに、高校卒業は自衛隊に入ったのですか。
「それが……実は高校卒業後に少しだけ地元のMMAの道場に通いっていました。でもアルバイトしながら練習するという環境で、MMAのトップに立つ自信がなかったんです(苦笑)。それで東京に出てから、お金を貯める目的もあって自衛隊に入りました」
――結果、自衛隊には7年間も在籍したのですよね? お金を貯める目的にしては、長かったのではないですか。
「アハハハ。自衛隊に入ってみると、すごく楽しかったんです(笑)。自衛隊の中にレンジャーという課程があって、自衛隊に入ったからにはレンジャーの資格を取りたいと思ったんですけど、階級的になかなか行けるチャンスがなく……。でも入隊してから4、5年経ってからレンジャー課程に進むことができました。それが終わった頃には僕も24歳になっていたので、そろそろMMAに行かないと間に合わないなと思って」
――ただ、小川選手の戦績を見ると、2009年にケージフォースのアマチュアマッチに出場していますよね。これは自衛隊にいる時のことですか。
「はい……自衛隊にいた時です(苦笑)。一応、上司には話をしていたんですが、もっと上のほうには秘密になっていたと思います」
――当時MMAの練習はしていたのですか。
「これも今までインタビューとかでは言っていないんですけど――自衛隊の練馬駐屯地に配属されている時、高田浩也さんが代表をされていた時の和術慧舟會RJWに入会していました。当時のRJWは、和光にあったA-3の中のクラスみたいな形で、そこで週1回ぐらい練習していたんです」
――次のアマチュア出場が2012年なので、その間に自衛隊から離れてMMAに専念したということですね。一方で、グラフィックデザイナーとしても活動していたというのは……。
「僕自身、デザインの仕事をやるとは全く予想していなかったです。自衛隊を辞める時に相談していた先輩がグラフィックデザインや名刺を作っている会社その事務所に居候させてもらっていました。居候させてもらっているからには、何か手伝いたいと思って。まずは自分の名刺を作ってみようと考えて、デザインを始めました。それまでパソコンを触ったこともなかったんですけど……」
――そのような状態から、ご自身のデザイン制作会社を立ち上げるまでに!?
「最初は、先輩のパソコンを借りて、電源を消す時にいきなり電源ボタンを押して怒られるぐらいでした(笑)。当時は自衛隊にいて貯金もできていたので、練習しながら少し時間もあったんです。その間に自分の名刺を作っていたら、知り合いの方から『俺の名刺も作ってよ』とお仕事を頂くようになり……。そうしたら意外とデザインの仕事にハマっていって」
――自衛隊でレンジャーの資格を取り、グラフィックデザインという手に職をつけ、それでもプロMMAファイターになろうという想いは消えなかったのですか。格闘技は、プロデビューしてもファイトマネーだけで生活することは難しい状態が続きます。それよりは身につけた資格や技術で食っていこうとは……。
「いや、逆ですね。格闘技だけで食っていくのは難しいことが分かっていたから、生活を安定させるためにデザインの仕事を始めたんです。自衛隊に入ったのも、デザインの仕事を始めたのも、全てはMMAをやるためでした」
<この項、続く>