【OCTAGONAL EYES】ホリオン・グレイシー <後編>
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※本コラムは「UFC日本語公式モバイルサイト」で隔週連載中『OCTAGONAL EYES 八角形の視線』2009年5月掲載号に加筆・修正を加えてお届けしております
文・写真=高島学
[前編はコチラ]
広告関係の仕事につきメキシコのビールメーカー、テカテから『新しい格闘技プログラムを作らないか』と提案されたアート・デイビー。一人のビジネスマンが、ロサンゼルス郊外トーランスで、自宅のガレージにマットを敷いてマーシャルアーツを指導しているブラジル人に出会ったのは1989年のことです。
ブラジルで柔術の普及に努めていた父エリオ、叔父カーロスの意志を、世界規模に広げるために米国に移り住んだホリオン・グレイシー。彼がデイビーの模索していた格闘技イベントの中心人物になるのに、大した時間は必要ありませんでした。
第1回UFCのイベントとして成功、ホイス・グレイシーの優勝によって、確かに柔術が世界に広まる一歩を示したホリオンでしたが、彼は第5回大会をもってUFCから撤退を決意、その権利をセマフォア・エンターテインメント・グループ(SEG)に売り払ったのです。
ホリオンがUFCを離れた要因は、試合に時間制限が設けられたこと、そしてレフェリーがブレイクを命じるようになったこと、この2点が主な理由だと伝えられています。
ファイターの能力以外に、レフェリーの意思という外的要素が、試合の行方を左右することを嫌った彼の判断は、その後のMMAが辿った道、特に日本における総合格闘技の大会で何が行われたのかを思いだせば、懸命だったといえるでしょう(とはいえ、そのホリオンがマネージメントして、ホイスが日本のリングに上がったことは皮肉な結果です)。
ブレイクとタイムリミットの導入は、UFCのTV中継を行うPPVカンパニーからの強い要望でした。
PPV中継枠に試合時間が収まらなかった一件を機に、動きの少ないガードワークの攻防を嫌った彼らは、一気に態度を硬化させました。会場でのチケットセールスとは比較にならない売上を誇るPPV収入がなければ、大会運営はままなりません。
UFCの命綱を握っていた部門からの要請に、製作&運営部門は首を縦に振るしかありませんでした。
皮肉にも柔術やUFCの普及に欠かせないテレビ、メディアからの要求に対しても、ホリオンは自らの意思を曲げることなくUFCの経営権をSEGに売り渡すに至ったわけです。
これが当時、格闘技業界内に伝わったホリオンのUFC撤退理由でした。
その裏で、彼はハリウッド関係者とUFC以上にグレイシーの名を世界に広めるプロジェクトに乗り出していたという話も、その後伝わってきました。
その計画とは、エリオ・グレイシーが日本の暴力団に誘拐され、父を5人兄弟が救いだすという単純明快なアクションムービーを、コナン・ザ・グレートを製作したグループが撮る――というものでした。
ファイティングイベント→ハリウッド、まさにブルース・リーを地で行くプロジェクトだったのですが、監督の起用を巡りホリオンと製作サイドが対立、結局のところ物別れに終わってしまったそうです。
【写真】ホリオン、昨年2月に亡くなったエリオ。ホリオンの次男でグレイシー柔術アカデミーの運営をリードするヘナー (C) MMAPLANET
あれから14年。ホリオンは今もトーランスの地に、グレイシー・ミュージアムを併設した、全米随一の規模を誇るグレイシー柔術アカデミーを長男ヒーロン、次男ヘナーとともに経営しています。
UFCに関しては「もう、あれは私の想った戦いでもなんでもない。テレビで見ることもない」とホリオンは断言します。
その真意は、「全ての勝利が、グレイシー柔術の勝利」という彼にとって、唯一の心理に通じています。
「今、柔術のトレーニングを積まなくて、UFCに出場しているファイターはいるだろうか? ランディー・クートゥアーにしても、マット・ヒューズにしても、柔術といわないだけで、彼らは柔術のトレーニングをしているんだよ。だから、今の戦いは技術でなくフィジカルとパワーの争いになるんだ」とホリオン御大。
彼の言葉には、いろいろと異論はあるでしょう。ただし、ホイスがUFCで魅せたグレイシー柔術の技術なくして、高度に進化した現在のMMA、UFCでも戦えないことは事実に違いありません。