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【UFC234】カン・ギョンホ戦へ向けて、石原夜叉坊─01─「5カ月間、格闘技から離れて良かった」

Yasya【写真】いよいよ背水の陣。夜叉坊なら他の道はある。だからこそ、UFCに拘る姿を見ていたい (C)Zuffa LLC/Getty Images

10日(日・現地時間)、豪州メルボルンのロッドラバー・アリーナで開催されるUFC234「Whittaker vs Gastelum」で石原夜叉坊がカン・ギョンホと対戦する。

人を惹きつける天性のカリスマ性を持つ夜叉坊だが、オクタゴンのなかでは厳しい戦いが続く。現在2度目の連敗中で、3試合連続で黒星となれば、UFCとの契約更新は非常に厳しい状況となる。

そんななか夜叉坊は、前回の敗北以来5カ月に渡り日本に残り、格闘技から離れていたという。強くなるために選んだ米国の生活、日本を離れることで気付いた大切な人々の存在。絶対に負けらない戦いに挑む、夜叉坊に6月からこれまでを語ってもらった。


──9日のカン・ギョンホ戦、本当に負けられない一戦が迫ってきました。まず伺いたかったのが、最近は日本にいることが多くなっているのではないかと。サクラメントでの生活はどうされたのでしょうか。

「そうッスね……米国で1人でやっていて、余裕がなくなってしまって見えるモノも見えなくなっていた。6月のピョートル・ヤン戦の後で、そう気付いたんです。余裕がないときに『力抜けよ』と日本語で言ってくれる人が近くにいる……その大切差を知ったというか……。

そうでね、心のケアを優先して前の試合の負けからずっと日本にいたんです。で、5カ月間、格闘技から離れて」

──5カ月も離れることができるのですか!!

「ホンマに余裕がなくなっていたので、一回離れようかなって。でも、離れて良かったと思っています」

──それは引退を考えたということでしょうか。

「いや、それはないです。モヤモヤしていて、自信もなくなっていて……自分がどこの部分で勝負してたんかとか、何で格闘技を始めたんかってところまで分からんようになっていて。そんな時に僕の弟が『兄ちゃん、前は自分の力をコントロールできずに事故みたいになっていたけど、今は自分の動きをコントロールできるようになった。でも、昔の事故を起こすぐらい強かった部分と、今のコントロールできるようになった成長した部分が噛み合ってない』て言われたんですよ」

──素質で戦ってきて、強くなるために技術を覚えたところが噛み合っていないと。素晴らしい指摘ですね。

「そうなんですよ。でね、『昔の強かった時代を試合で思い出そうとしても、年取ったんやし無理や。自分のアカンかったところをちゃんと見て、それを経験として消化せなアカンで』って。『いつまで同じ間違い、繰り返してんねん。そんなんやったら、そこら辺におるヤツと一緒やで』と言ってくれて」

──弟さん、何モノですか!!

「これ言うとね、頭おかしいヤツの世界になってしまうんですけど、良いスか?」

──大歓迎です(笑)。

「僕の弟、めっちゃ凄いヤツなんですよ。ガンバ大阪のジュニア・ユースで中一から試合に出ている天才やったんスよ。アイツって見えているところが他と違っていて。感覚的なモノが凄い。弟は小学校のときにドリブルの練習をする意味が分からんってヤツだったんです」

──それは練習する必要がないからですか。

「そうなんです。どの角度でタッチすれば、ボールがどこに転がるのかイメージできる子で。それを言葉にできて。サッカーしている時も『ゲームみたいに上から全部が見えていた』っていうぐらいで。高校もユース(※ガンバのユースは国内屈指のレベルの高さを誇り、過去に本田圭佑ですらジュニア・ユースからユースに昇格できず星稜高校に進学した)でプロになれるところにあったけど……めっちゃ話がそれますけど。構いませんか?」

──それはその先が聞きたいですよ(笑)。

「日本のサッカーって型に嵌められる……個を伸ばす環境にないことに絶望して辞めてもうたんです。自分のサッカーができへんって。話をしたのが、負けてから2週間後ぐらいやったんですけどね。それから『慌てへんでえぇわ』と思えるようになって。

やっぱり家族って僕の一番強いところ、一番弱いところも知ってくれていて、その一言を言われた時に『俺はここにおらなアカンわ』って思ったんです。そこから5カ月間、格闘技から離れて心のケアができました」

──練習を再開したのはいつになりますか。

「東京に1カ月いて、大阪に4カ月。で、12月になってから『2月に試合をしよう』と決めて、運動量を上げるために1カ月間サクラメントに戻っていました。やっぱりアルファメールだと一カ所でメチャクチャしんどい練習ができるので。

僕が米国に戻ったというアクションを見せれば、ショーン・シェルビーも試合のオファーをくれるやろうって」

──それまでオファーはなかったのですか。

「ありましたよ。11月にボストン・サーモンとやらないかって」

──コンテンダーシリーズ出身の?

「ハイ。でも全く練習していない時期やったし、自分がやりたいときにやろうって思っていて。で、12月になって一気に気持ちが入ったんです。そこからは遊びをやめてやってきました」

──試合直前でない、1カ月間のアルファメール滞在の意図は何だったのですか。

「さっきも言ったように運動量を上げること。練習漬けで生活のリズムを正すことですね。遊ぶところもないしスタミナを戻して、試合の対策練習は日本で(中村)優作さんとノリピー(田中路教)とやろうと。作戦を立てて、試合用の打ち込みとかはチームでしっかりと対策してきました」

──試合の対策は米国ではできないということですか。

「できます。それは僕の性格やと思います。ノリピーなら、関係なく向こうでできますよ。僕は回りがいてくれて、それがモチベーションになるので……やっぱり日本が良いです。

日本で『恰好良くなっているで』って言われるとテンション上がるし、心がウキウキしていますよ」

──それが弱い自分も肯定するということなのでしょうか。

「ハイ。僕は心が弱いことを分かっているんで。それが心のケアになっているんです。僕は弱いから、サクラメントで必死にやっていると余裕がなくなってズルズルしてしまっていた。でも日本には気付いてくれる人がいてくれる。だから自分を知ってくれる人のなかでやっていこうと決めたんです」

<この項、続く

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