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【Gladiator】2019年中に伝えたかった声──沖縄編─03=後編─宮城友一「評価を得られる試合を」

Yuichi MIyagi【写真】12月22日のGladiator42 X Gladiator011では石綱テツオと対戦し判定勝ちも、内容に納得がいかず笑顔を浮かべることはなかった宮城(C)MMAPLANET

現在発売中のFight &Life Vol.76では沖縄紀行として、現地のMMAと柔術の現状&将来を語った──砂辺光久と松根良太の対談記事が掲載されている。

Fnl同紀行の執筆にあたり修斗、パンクラス、DEEP、GLADIATORで活躍する沖縄在住のMMA選手、そして柔術家の声を多く拾ったが、ページ数には限りがあり記事内ではキャプションでしか伝えられなかった。MMAPLANETでは、そんな沖縄在住の選手たちの声を書き記していきたい。

題して──2019年中に伝えたかった声──沖縄編。その第3弾の後編として、ここでは宮城友一の声を引き続き紹介したい。

<宮城友一インタビューPart.01はコチラから>


──自らの道場を出したのは、キック時代なのですか。

「そうですね、7年前なので。サラリーマンをしていて、会社の事業としてジムを始めて去年、買い取らせてもらったんです」

──やり手ですねぇ(笑)。もともと、どのような仕事をされていたのですか。

「お年寄りの運動機能を向上させる介護予防です。個別ではなく、5名から10名でクラスを行うという仕事をしていて」

──そこでいうと、初めて沖縄で車を運転したのですが、お年寄りに運転の指導をするビジネスを始めてほしいです。めちゃくちゃ怖いです(笑)。

「凄い運転をしますよ。僕もお年寄りが運転していないか、凄く気にしています。そうでないと危ないです」

──いや、この車間距離であんな車線変更はしないし、細い道から幹線道路にそんなタイミングで進入してこないだろうということが、わずかな時間で複数ありました。

「ホント、それが普通なんです(笑)。きっと、そうやって怖がられていると気付かないで運転し続けているはずです。なので東京とか大阪のようにスピードは出さない方が良いと思います」

──分かりました。那覇までの戻りも気を付けます。とにかく会社の仕事の一環として、ジムを始めたということですね。

「ハイ。最初の1年はここでキックの指導をしながら、午前中はお年寄りの指導をしていました。その後はジムの会員さんが増えてきて、ここだけで代表の仕事してお給料をもらって働いていた形です。最初は赤字だったのが、黒になるまで社長が我慢してくださって。僕もいずれ独立したいと言っていたのですが、社長の方から『独立すれば』と言ってもらって」

──ジムの特徴としては、やはりフィットネス感覚ということでしょうか。

「そうですね、成り立ちがそうなので。選手でやりたいという人は、一生懸命なので自分から来てくれますよね。だから、フィットネス目的の人に向けて宣伝をしています。そのなかでもアマチュアの試合に出る人も出てきますしね」

──宮城選手自身の練習というのは?

「朝と昼ですね。月・水・金がクロスラインのプロ練習で、そこが中心になっていますね。久先輩に、クロスライン所属で修斗新人王になった当真(佳直)君、若柔術の若山(達也)さんが常連で、うちのキックの選手も2人ほど参加するようにしています。

それ以外はここで打撃のトレーナーとやったり、ジムワークを1人でするような感じですね」

──では、DROPをどのように発展させていきたいと思っていますか。

「ジムは……プロ選手をどんどん育てていきたいとかは、あまり思っていないです。やりたい子が来てくれたら、その人のやる気に合わせて指導します。どこまでもやっていきたいなら、どこまでも付き合います。

でも、自分から選手を発掘して育てるとかよりも、ここで会員さんたちがどれだけ楽しくできるのか。ジムに関しては、そっちの方が大切です。サークルみたいに和気あいあいと、大人の部活みたいな雰囲気のジムにしてやっていきたいですね」

──那覇、浦添、宜野湾と車で走っていると、住宅も密集していて人口密度を非常に高そうです。

「アハハハ。人は多いです。ここは最近、賑やかになって。内地から引っ越してくる人も増えてきたと思います。凄くのんびりした場所ですけどね。性格も凄くのんびりしていると思います」

──そこなんです。それで格闘技の練習を皆さんがやっているというのが、意外でした。夜になったら、はい一杯という文化なのかと思っていました。

「沖縄の人が、一生懸命に格闘技の練習をするのはジムで友達を作って、飲みに行くためじゃないですかね(笑)。だから友達ができないと、長続きしないですね」

──そんな生徒さんに囲まれているなか、宮城選手としては現役生活の目標は?

「年齢も年齢──37歳になるので、試合もどんどんやっていきたいです。そんなに長い間はできないと思うので」

──Gladiatorでライトフライ級の王者となり、継続的に関西で試合をする一方で、沖縄では修斗公式戦で2勝を挙げました。沖縄以外でも修斗公式戦で戦いという気持ちはありますか。

「それは出たいです。MMAのことを本当に分かっている人たちからの評価を得られるような試合をしていきたいですね。試合に出るだけじゃなくて、そういう試合で勝ちたいです」

──修斗はフライ級で試合をしました。

「ライトフライ級で戦っている人がいないですし、ここ最近はフライ級でやっています」

──ではグラジエイターでライトフライ級に続き、フライ級も狙ってチャンプ・チャンプを目指すということも?

「そこも櫻井代表に言われれば考えますし、修斗でも沖縄大会で勝ってから、グラジエイターとの問題がなければという風に言っていただけました。12月にグラチャンとグラジエイターの合同大会が東京であって、そこで勝ったら修斗に出たいです。

それと久先輩が2020年の7月にパンクラスの大会を沖縄で開くので、そこも出たいと思っています」

──砂辺選手は〇〇選手が既に参戦表明をしたので、やらせたいと言っていました。

「あぁ、〇〇選手は僕が以前に負けている選手なので……そういう試合を戦っていければと思います」

──ところで7年に渡るブランクがあり、さらになかなか勝てない時期もあった。その時に沖縄を離れてという想いはなかったですか。

「そこは本当に考えました。僕は結局、優柔不断で、内地に行くことはなくて(苦笑)。今はそこを後悔することはないですが、若い頃は東京に行くべきなんだろうなとか思いつつ、行かない理由を探していました(笑)。長い間やってきて、そこで前に進むことがでないのが、僕が勝てない理由なんだと感じていました。

男らしくはなかったですが、ここまで続けることで『こういう風に戦えば良いのか』とか分かるようになってきた気がします。だから沖縄に残って、コンスタントに試合に出て行こうと今は思っています」

──東京で暮らしていた沖縄の選手は、こちらのリズムで生きていたいと言っていました。

「僕もそうだと思います(笑)。電車とか乗れないかと……」

──そうなのですねぇ(笑)。沖縄からグラジエイター、修斗で活躍することを期待し続けさせていただきます。

「ハイ、ありがとうございます。頑張ります!!」

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