【Bu et Sports de combat】ヤン✖ソン・ジンス戦から見る──武術の四大要素、総括=入る─03 ─
【写真】備わった質量を出したスピニングバックフィスト(C)Zuffa LLC/Getty Images
MMAと武術は同列ではない。ただし、武術の要素──『観えている』状態、『先を取れている』状態、『間を制している』状態はMMAで勝利を手にするために生きる。才能でなく修練により、誰もが身に付けることができる倒す力。
『観えている』状態、『先を取れている』状態、『間を制している』状態を経て、理解できるようになる『入れた』状態とは。武術の四大要素編、総括となる『入る』について剛毅會空手・岩﨑達也宗師に尋ねる。
第3回は9月15日に行われたUFN136のピョートル・ヤン✖ソン・ジンス戦を参考に入った状態、そして武術の叡智の追及ではなく──MMAへの生かし方を理解していきたい。
<武術の叡智はMMAに通じる。武術の四大要素、総括=入る─02─はコチラから>
──ピョートル・ヤンは後の先が取れていたと。
「そうです。ソン・ジンスがパンチで来ても、組みに来ても移動することなくその場で『イチ!』のタイミングでパンチを打ち込む。これに対しジンスは打撃では成す術がなかったです。これは以前にも触れましたが、ソン・ジンスの打撃は移動することで質量を出そうとしているのに対し、ヤンの打撃は備わった質量をただ出すだけなので、この展開では間違いなく先に手を出した方が『入られる』のです」
──そこに原理原則が働くのですね。
「空手の基本稽古が、先ずは定置で始まるのは正にそういうことが理由になっています。先ず定置で質量を高め、続いてその質量を損なうことなく移動稽古をする」
──そういうことだったのですか。いや、何でもないようなことにしっかりと意味がある。それが運動と術の違いなのですね。
「重心移動、慣性の法則など移動により質量を上げようとするスポーツ力学との違いが、そこに見られるんです。ピョートル・ヤンが見せていた見事なスピニングバックエルボーもその場で、若干下がりながら放たれたのでソン・ジンスは全く見えていなかったでしょうね」
──それでもヤンが、倒しきれなかったのはなぜでしょうか。
「定置で動かずに、後の先に徹するのは非常に難しいからです。距離、タイミングを取ることが難しくなる……。そうですね、例えばキャッチボールをする場合でも慣れている人はあまり移動せずに受けて、投げてを繰り返すことができますが、そうでない人はやたらと前後に移動してしまいます。
それと同じことです。やはり他の条件……観えて、先を取れて、間を制している状態を理解できていないと、結局のところは当てよう、倒そう、勝とうとするあまりに大振りなパンチを繰り返してしまうようになります。それは不必要な移動であり、エネルギーを無駄使いすることになるのです」
──闘争本能という部分ではどちらもあり、相手に呑まれる、居着くということはなかったと考えて良い試合だったと思います。試合に勝つという部分でヤンとソン・ジンスをどのように評価していますか。
「両者とも試合に勝つ能力は充分ある選手です。特にソン・ジンスに関していえば、同じ東洋系でありながら、相手の質量にひるんでしまい本来の能力を発揮できないことが多い日本人選手とは違い、強打のロシア人と真っ向勝負できる点は非常に感心しました。
しかし、欲をいえばまだ頑張ることが目的となっており、勝つために何をすべきか徹し切れてなかったように思います。撃ち合いに興じるだけでなく、相手が何をされると嫌なのかをもっと徹底できるようになればソン・ジンスはUFCバンタム級戦線であっても、上位戦線に食い込む能力があるかと思います」
──そこなのです。今、MMAは打撃ありきでダウンを取られたり、動けなくなるほど追いつめられていなくても、ダメージという測ることができない要素が重要視されています。打って打たれることを奨励するような空気も日本で見られるようになってきました。でも、それでは平均的な日本人選手は勝てないと思うのです。結果、その戦いの輪に入っていくっことが難しくなっています。だからこそ、私もMMAに武術の叡智が必要なのではないかと感じるのです。
「おっしゃる通りだと思います。私自身、37年間稽古研鑽を重ねて、そこで出た結論は打撃戦にあって日本人は最も弱い人種だということでした。アメリカ、ユーラシアの血に塗られた歴史を学べば学ぶほど、この考えは確信を深めることができます。
敢えて言うならば、日本人は打撃戦の必要が他の人種と比較して、それほどなかったんだと思います。朝鮮という国の歴史一つとっても、侵略と革命の連続です。そこにおいて自分の命を守るために命を掛けて殴り合う必要があったのだと思います。
MMAPLANETに掲載されていたブレンゾリグ・バットムンクというモンゴル人選手のインタビューには大変感銘を受けました。モンゴルの歴史を鑑みれば浮かれず、語らず、剛毅木訥な尊厳を身につけた彼の人柄が理解できます。
とにかく、日本人はDNAレベルで殴り合いには向いていないのです。その事実を踏まえ、武術の理、その真価を理解し、愚直に学んでも勝利に結びつくかどうか……その価値を疑うなら、いくら学んでも時間の無駄かと思います。
ただ、その武術的な追及に関してMMAPLANETで話させていただいているわけではなくて、いかにMMAに生かすかということを話させてもらっているのです」
──再現性を求め、意識をしていなくても『入った』状態にするために稽古をしているということですか。ただ無意識で時おり、そのような状態になったとしても、それはボクシングで偶発的に『入った』状態になるのと変わりはあるのでしょうか。
「ボクシングでたまたま入っていることが、武術の場合はその理由、事象、理の全てにおいて説明がつくということです。青木真也選手の言われている、理屈があるということに通じるかと思います。それは入るということを私が理解できているからなのですが」
──選手は分かっていなくても、ボクシングで偶発的に入った状態になっているのと違うことになるのでしょうか。彼らの実力という部分で。
「どうすれば入れるのかは分かっていなくても、こういうことをすれば入れない──それが理解できていれば良い。極端な話をすればそのように考えています。それだけで随分と試合での戦い方は変わってきます。
今、この状態はある次元で入っている状態なので、そのまま相手が倒れるまで攻めてしまえば良いのに選手は分かっていない。そこに関して言えば、稽古をやってきても勿体ないなという気持ちはあります。せっかく、そのままフィニッシュの流れになっているのに、と」
──MMAに置き換えると、やはり時間もあり、ラウンド数もあります。フィニッシュにいけるから全力で攻める。そうしたら時間が15秒しかなくて、倒しきれず攻めた方が疲れることもありえます。
「だからこそ、セコンドが状態を見てやる必要があるのです。そして、それが私の役割だと思っています。『行くな』と攻勢に出ている時に指示したこともあります。入るというのは、ある状態を指摘しているだけであって、目的ではないので。
目的はあくまでも勝つことなんです。MMAの試合においては。そして、それは武術の叡智を生かすことであって、追及することではないのです。もちろんMMAファイターを引退した後に、そこを追及したいというのであれば一緒に稽古は続けさせてもらいます」
<この項、続く>