【Bu et Sports de combat】武術の叡智はMMAに通じる。武術の四大要素、総括=入る─01─
【写真】この画を見ると、棒術──武術などMMAの役に立たないと思う人はいるだろう。ウェイトを挙げても、コア・トレーニングをしても、走ってもMMAには役立つ。そういうこと、なのです(C)MMAPLANET
MMAと武術は同列ではない。ただし、武術の要素──『観えている』状態、『先を取れている』状態、『間を制している』状態はMMAで勝利を手にするために生きる。才能でなく修練により、誰もが身に付けることができる倒す力。
『観えている』状態、『先を取れている』状態、『間を制している』状態を経て、理解できるようになる『入れた』状態とは。武術の四大要素編、総括となる『入る』について剛毅會空手・岩﨑達也宗師に尋ねる。
──武術の四大要素の総括となる『入る』編、宜しくお願いします。
「観えている状態、先を取れている状態、間を制している状態、この3つは入れている状態を色々な角度、別々の場所から説明してきたことであって。見えていても間を制しているとは限らないし、先を取れていても観えているとは限らないです。
間を制していても先を取れていないこともあります。この3つの要素が一、二、三とできて、だから入れます──ということではないのです。あくまでも入るという、ある状態が存在し偶発的に起こることも結構あります。
その例えにマニー・パッキャオがファン・マヌエル・マルケスと4度目の対戦で敗れた時の試合を私はよく使っています」
──3Rにまずマルケスが右のロングフックでダウンを奪い、5Rには逆にパキャオが左ストレートのカウンターでダウンを取り返した。しかし、6Rにマルケスの右ストレートのカウンターでパッキャオは失神KO負けになった試合ですね。
「それです。最初のダウン、パッキャオは先の先を取られて倒されました。最後のKO負けのシーンは、パッキャオは打ちに行ってやられました。つまり後の先を取られたんです。マルケスからすると最初は先の先を取った。最後は後の先を取っていたのですが、どうすれば毎回、ああいう風に戦えるのか。一つのある特化した状態を着目し、そこを中心に磨き上げ、一生かけて練りあげるのです。
そういう鍛錬は格闘技を含めて、スポーツでは難しい。そこに至るまで試合に負けることがあります。スポーツの目的は試合に勝つことです。なかなか、その境地まで究めることはできないです。ただし、日本においては幕末の剣豪まではどうやら、そういうことを目指していたということです」
──それは立ち合いがあると生き死に直結するからですよね。
「そうです。入る、入られるとは殺し合いの状態で起こっていた現象なのです。他にも相抜けなどという状態もありました」
──相抜け?
「相抜けとは剣豪・針ヶ谷夕雲(はりがや・せきうん)が剣道の極意として説いたなかにある状態で、無力化……刀を振り下ろしても空を切ってしまう。抜けてしまうということですね。殺し合いの状態で、向うのエネルギーがフッと消えて、相手を殺そうという意志が途絶えていく。この状態は入るという状態に凄く近いです。
先の先に於いては相手にカウンターを取られないで先制攻撃で勝つ。後の先に於いては、相手の攻撃を貰わないで確実に迎撃する。分かりやすくいうと、こういうことなんです。この2つの状態を一括りでいうと入れている状態といいます」
──江戸時代以前に集団で戦闘を行なっていた時代にも、1対1で戦ううえで武術の四大要素のような状況はあったのでしょうか。
「そういう意味では、日本の合戦状態というのは法螺貝を吹いて始まったり、互いに矢を打つ矢合わせの鏑始めという合図がありました。ルールではなく仕来たりなので、命こそ掛かっているけど、ゲーム化していたということは考えられかもしれないですね。
闇討ちや寝込みを襲われるはあっても、後ろから斬られると恥はわけで。もっといえば、入っているのか入っていないのかという状態は核保有か保有していないかのほうが分かりやすいですよ。
核を持っている国は、持っていない国に対して、もう入っているんですよ。だから北朝鮮は懸命に作ろうとしている。ただし、仮に作ったとしても続いて能力と数の問題がでてきます。
核全面戦争になった場合、北朝鮮に勝つ見込みはない。つまり入られているのです。対して1962年のキューバ危機の時はソビエト連邦は大国でしたから、あの全面核戦争寸前まで達した危機的な状況は、米国という大国と戦わずにアンダー・ザ・テーブル……交渉で駆け引きを行なっていた。あれなんか武術の典型的な事例に挙げているのですが、立ち合った時点で質量、エネルギー量で勝負はついているんです。
言葉は悪いですが、殺傷本能がある人間とそうでない人間、どちらが入っているのかというのは、もう問う必要もなくなってくるんです。殺す気のある人間に対して、どのように入るか。それを腰に刀を下げていた時代は想定しやすかった。
刀を持っている人間に入っていかないといけなかったのだから。1対1でダメなら多人数で行く。そういうモノを格闘技、競技的なモノのなかで究めようしても不可能なんです。
入れている状態、フィニッシュに持っていけているのにテイクダウンをして、その状態でなくなってしまうということは多いです。だからこそ、入っている、入っていないという見地を知っておくと、格闘技にも使えるのです。指示をするときに」
──かなり話が大きくなってしまいましたが、実際にMMAの試合でそれが入っている、入っていないという状況だったのか。一例としてDWTNCSでドミンゴ・ピラルテがヴィンス・モラレスに勝利した試合で説明してもらえますか。劣勢の中でピラルテがモラレスの右ハイを左手で受け、右手で下段払いと共に軸足を左足で足払いしテイクダウンを決めました。競技空手の理想的な動きだったのですが、武術的に見てピラルテは入っていた状態だったのでしょうか。
「あの試合は武術的に入る、入らないというよりも、競技的に技術で決着がついたんです。ピラルテはセオリーと違い、サウスポーの構えで前足となっている右足が、オーソドックスのモラレスの左足の外を取ろうとせず、内側に入っています。さらに動いて、より内側、内側に入ります。
あれだとモラレスは、ピラルテの左のパンチや蹴りが見えづらいです。ただし初回の終わりにダウンを喫した時は、前足が外側に置いていてアッパーを合わされました。
最後やはりモラレスの内側に足を置き軸足を払ったので、踏ん張ることができませんでした。その前の前蹴り2発も見えづらいので効かせています。サウスポーが相手の前足の内側に位置取りをするのは、相手にとって見え辛い反面、自分も中心がズレるので相手が見えづらい。ナイファンチンを学ぶとそれらが分かるようになります。
そうですね……入る、入らないでいえばその試合よりも、8月のTJ・ディラショーとコディ・ガーブラントの世界戦の方が分かりやすいかと思います」
<この項、続く>