【ONE68】3階級同時制覇へビビアーノに挑戦。マーチン・ウェン─01─「マーシャルアーツの大切な部分」
【写真】ベトナムでONEのプロモーションを行うヌグエン。しかし、ホーチミンにケージのあるジムがあるとは…… (C)ONE CHAMPIONSHIP
24日(土・現地時間)、タイ・バンコクのインパクト・アリーナで開催されるONE68「Iron Will」で、ONE世界フェザー&ライト級王者マーチン・ウェンが、世界バンタム級王者ビビアーノ・フェルナンデスに挑戦する。
計量方法が北米ユニファイドと一線を画しているとはいえ、3階級同士制覇は過去に例を見ない挑戦だ。
偉業へのチャレンジ、その3週間ほど前にヌグエンは自らのルーツであるベトナムを訪れていた。その時の彼にMMAPLANETでは初めてインビューを試みた。
マラット・ガフロフ、そしてエドゥアルド・フォラヤンという強豪をKOし、2つのベルトを持つベトナム系豪州人ウェンとは?
──今ベトナムにいるそうですが、訪問の目的を教えていただけますか。
「そうなんだよ、ホーチミンに滞在中で。ベトナムでONEのプロモーションをしているんだ。さっきサイゴン・スポーツクラブでワークアウトをして、ベトナムのメディアや人々に僕の動きを見てもらったばかりだ。インタビューも受けて、皆喜んでくれたよ」
──つまりONEはベトナム進出を考えているということなのですね。
「そう、その時を迎えるためにベトナムとの関係を築いているところだよ。ベトナムの人々にこのスポーツを知ってもらうことが大切だから。この訪問で、また一歩進めたとはずだ。そのために僕もできるかぎり協力していくつもりだよ」
──私自身、まだMMAとベトナムのイメージが一致しないのが正直なところです。
「MMAは今も成長中で、常に大きくなっている。僕自身、マーシャルアーツとともにルーツである国を訪れることができて、とても嬉しく思っている。まだ始まったばかりだし、ベトナムでMMAが認知されているわけじゃないけど、今回の訪問も、彼らがMMAを知るきっかけになったに違いない。そして、MMAが根付く可能性を確かに感じることができたよ」
──以前にベトナムを訪れたことはあったのですか。
「去年の12月にも今回と同じようにプロモーションのためにやってきたよ」
──マーチンのご両親はベトナムで生まれ育ち、豪州に移住したのですか。
「そうだよ、僕は豪州で生まれた」
──つまりベトナム戦争後、社会主義国家となったベトナムをご両親は離れ、その地でマーチンはMMAを根付かせようとしていると。
「う~ん、その質問には答え辛いね……(苦笑)」
──実は以前、ベトナム系米国人のナム・ファン選手を日本の雑誌で紹介した時に、深く考えることなくベトナム社会主義共和国の国旗をデザインし、ナムから『これからはベトナム民主共和国のフラッグを使ってくれ』と抗議されたことがあったので、少しに気になってしまいました。
「そうだね、繊細な問題だよ。だから、僕も答えられない(笑)。過去に起こったことで、まだ傷ついている人もいる。過去になっていないんだよね。ただし、僕はマーシャルアーチストだから政治的なことを話すのではなく、自分のパフォーマンスをベトナムの人達、そして豪州の人に見てもらいたいと思っている。
豪州で生まれ育った僕でも、やはりルーツの国だし、この国の人たちと協力し、一緒にやっていきたいと思っているからね」
──了解しました。実はマーチンに関しては、ここまで結果を残してきたのになかなかインタビューの機会がなく、今回はマーチン・ヌグエンとはどのようなファイターなのか、その辺りが日本のファンに分かってもらえるようなインタビューにさせてもらえればと思っています。
「オー、サンキュー」
──マーチンはいつぐらいMMAを始めたのですか。
「8年前、21歳の時だよ。それまでは豪州の国技ラグビーをやっていて、格闘技の経験はなかった。ただラグビーを10年もやっていると体中、ケガだらけになるから引退したんだ。そして……案の定、ラグビーを辞めると運動不足で体重が増えてしまった。体重を減らすためにMMAというか、ブラジリアン柔術の練習を始めたんだ」
──ダイエット目的だったのですね。
「そう。その通りだよ。そこからだね。KMAトップチームで練習するようになったのは」
──KMAトップチームは、マーチンが今も所属しているジムですね。
「そうシドニー郊外のリバプールにあるジムで、初めて足を踏み入れた時から、ずっと同じ場所で練習し続けている。ただし、最初の2年ほどはMMAではなくて柔術のクラスに参加し、それこそ毎日のようにトレーニングをしていた。
ちょうどUFCが豪州でイベントを開き、MMA人気が高まった頃でもあって、僕らのジムにも何人かMMAファイターがいた。彼らの練習や、減量に取り組んでいるのを見て、僕も興味を持つようになったんだ。
あの頃、豪州では皆がUFCという存在に気付き、誰もがUFCに興味を持つような感じだった」
──メルボルンのあるビクトリア州やゴールドコーストのあるクィーンズランド州と違い、シドニーのあるニューサウスウェールズ州は長らくMMAの開催が認められていなかったですよね。
「僕のジムのコーチが、豪州のMMA第一世代のラリー・パパドポロスと仲が良いんだけど、色々と苦労があったみたいだね。コーチがISKAのMMA大会を開くのにラリーが協力してくれて、でもその大会で僕はラリーの教え子と戦ったんだ(笑)。それが僕の最初のMMAマッチだった」
──ラリーは日本のMMAでもパンクラス、そして修斗と関係が深かった人物です。MMAはどこかでつながっているものですね。ところで、UFCの影響が大きな豪州にいてマーチンはなぜ、ONEで戦うようになったのですか。
「実は2011年にONE Championshipが活動を始めていることも知らなかったんだ。確かに僕の国ファイターは、皆UFCを目指している。でもONEの存在を知り、その映像を見た時にハッキリとよりアジア的で、UFCとは違う道を歩んでいることが分かった。ONEはよりマーシャルアーツ色が強いってね。
MMA、マーシャルアーツを戦っていても、大半はマーシャルアーツのインテグリティ(清廉、誠実、真摯)……いや、インテグリティとまでは言わなくても、マーシャルアーツの大切な部分を必要としていない。
対して、僕はそこを求めていた。それはONEが長い時間をかけて達成しようとしている部分と同じだったんだよ。マーシャルアーツを戦うって相手を尊重せずに、こきおろしてトラッシュトークをするようなモノではないはずだ。
マーシャルアーチストとは規律、誠実さ、敬意を持ちつつ、体を使って表現するモノだから。お金じゃなく、ONE Championshipには僕が求めるモノがあったんだ」
──豪州は西欧文化の国だと思うのですが、マーチンにはそのような考え方が備わっていたのですね。
「マーシャルアーツの旅をずっと最後まで続けたいと思っている。それこそが僕に流れるベトナム、アジアの血だよ」
<この項、続く>