【Interview】RFAバンタム級王者、空手ベースの柔術家ムニョス
【写真】ペドロ・ムニョスのMMAデビューは2009年。これまで9連勝中で、立って良し、寝て良しという注目の存在だ (C)MMAPLANET
8月にジェフ・カーランを破り、RFAバンタム級チャンピオンに輝いたペドロ・ムニョス。LA一帯でノーギの強いブラジル人という評判だった彼だが、ブラックハウスではハファエル・コルデイロを補佐して、ムエタイのアシスタントコーチも務める。
サンパウロ出身、マルコ・バルボーザの黒帯ながら、試合では鋭い打撃を繰り出す27歳のブラジル人ファイター、ペドロ・ムニョスのインタビューをお届けしたい。WSOFのマルロン・モラエスと並んで、注目されるブラジルから米国にやってきたバンタム級ファイターだ。
──まず、なぜ格闘技を始めたのかを教えてもらえますか。
「4歳のとき、サンパウロで空手を始めたんだ。生まれも育ちもサンパウロ、最初に習ったのは極真空手だった。6歳まで極真の稽古をして、小学校に入ると柔道を始めた。僕の通っていた小学校では柔道のクラブがあったんだ。途中からは松濤館空手を学ぶようになった。学校で柔道、学校が終わって空手の稽古をした。そして、13歳から柔術キャリアをスタートさせた」
──カラテキッドならぬ、マーシャルアーツキッドのような少年時代だったのですね(笑)。
「空手がベースの柔術家、だから打撃もずっと好きで、後々ボクシングやムエタイのトレーニングにもこうじるようになったんだよ(笑)。ハイキックやスピードのある攻撃に憧れていたんだよね」
【写真】ジェフ・カーランに判定勝ちして、メジャーへの登竜門RFAのチャンピオンとなったペドロ・ムニョス。ベースは空手の柔術家(C) RFA
──極真空手をやめて、松濤館空手を始めたというのは?
「特別な理由があったわけじゃない。極真空手を始めたのは、父がウェイトトレーニングを行っていた場所で稽古が行われていて興味を持ったから。他に何も格闘技のことなんて知らなかった。ただ、ブルース・リーやジャンクロード・バンダムの映画が好きだったし、極真の動きが恰好良かったんだ。でも、小さすぎて練習を続けるという気持ちも持っていなかった。小学校の時、家が引っ越してすぐに近くに松濤館空手の道場があったから入門した。ただ、それだけのことだよ」
──同じ空手でもフルコンと伝統派、その違いに戸惑いはなかったですか。
「子供だからね。何でも吸収するのが速い。すぐに松濤館のスタイルに慣れることができた。それに僕は朝に柔道の練習をして、夜に空手の稽古を行なっていたから、別々のものを身に付けることは慣れていたのかもしれないね。松濤館時代はたくさん試合に出場したよ。15回ぐらいトーナメントに出て、ブラジル選手権にも出場した。サンパウロ州大会では優勝もしたよ。柔術を始める前に、僕は打撃の基礎ができていたんだ。だから、僕は空手ベースの柔術家なんだ」
──その柔術はどのアカデミーで始めたのですか。
「マルコ・バルボーザのところだよ。黒帯を貰ったのはマルコ・バルボーザ。日本の大学で柔道も習っていた柔術家だ」
──バルボーザさんは天理大に留学経験がお有りでしたよね。
「確か日本だけでなく、韓国の大学でも練習していたことがあったはずだよ」
──柔道と空手をやっていて、なぜ柔術まで始めようと思ったのでしょうか。
「UFCのホイス・グレイシーを見たからだよ。ビデオで第1回大会から第3回大会までを見た。ボクサー、ケンポー、空手家、みんなホイスにタップを奪われた。それを見て、凄く柔術の練習がしたくなったんだ。その気持ちは少しも抑えることはできなかった。サンパウロでジムを探して、マルコ・バルボーザのアカデミーに通うことにしたんだ」
──UFCを見て、空手家を始め打撃系の出場選手の敗北が続いた時はどのような気持ちになりましたか。
「打撃系格闘家が敗れていることを残念に思う気持ちよりも、格闘技を続けてきて柔術に出会えたことの悦びの方が大きかった。試合が寝技の展開になると、少しでも早く一本を取りたい。その早く極めたいと思う気持ちは今も変わらないよ。僕には柔道の経験があったけど、寝技は分かっていなかった。ブラジリアン柔術によって寝技の楽しさに気付かされたんだ。柔術を始めて、空手を辞めた。1日中、柔術に夢中になったからね」
──それからは柔術に専念していたのですね。その頃はMMAファイターになろうという気持ちは?
「無かったよ。柔術でブラジル王者、そして世界王者になりたいと思っていた。ベスト柔術ファイターになりたかったんだ。ただ、MMAの人気が高まっている最中、紫帯のときにボクシングの練習を始めようって決心した。ジムでブラジルのナショナルチャンピオンが指導をしていて、凄く興味深かったんだ。ボクシングのトレーニングを始めると、自分が思っていた以上にスンナリ打撃を取り入れることができた。この紫帯の時にアマチュアだけどMMAを初めて戦った。そこから柔術に戻り、道着、ノーギに限らず必死で練習したよ。レスリングの練習もしたし、ノーギ柔術のトーナメントにもたくさん出場した。ノーギでブラジル国内王者になったときに、MMAをやってみようかと思うようになったんだ。
ボクシングを始めて2年ぐらい経っていたかな、柔術で茶帯になって、ムエタイも始めることにした。ムエタイはGBタイという別のジムに通った。ここからだね、MMAファイターになろうと思って練習するようになったのは。黒帯を巻くようになって3カ月後かな、プロMMAで戦ったよ」
──マルコ・バルボーザとMMAは余りイメージ的に結びつかないのが正直なところです。
「そうなのかい? 今ではバルボーザのチームにはたくさんのMMAファイターが練習しているよ。チアゴ・アウベスもそうだし、ジル・フレイタスもいる」
──チアゴ・アウベスは世界柔術のレーヴィ級で戦っていた、あのチアゴ・アウベスですか。
「そうだよ。僕はGBタイでムエタイの練習をして、柔術の練習をバルボーザのところでやっていたけど、今はバルボーザMMAチームがあるんだ。チアゴのような素晴らしい柔術家だけでなく、優秀なボクサーやMMAファイターが、バルボーザに柔術を習っている。そして僕らバルボーザの弟子である柔術家は、彼らとMMAのトレーニングをしてきたんだ」
──そんなバルボーサの下、サンパウロを離れペドロはなぜLAにやってきたのですか。
「ブラジルでは2年前からMMA人気が爆発しているけど、僕がブラックハウスで練習しようと思って、米国にやってきた頃はそうでもなかった。ブラックハウスのジョインア(ジョルジ・ギマリャエス=マネージャー)とブラジルで会い、LAに来てブラックハウスで練習しないかと誘われたんだ」
──ジョインアが誘ってきたということは、〇間をさすりながら話しかけてきたわけですね(笑)。
「ハハハハは、その通りだ。2009年に誘われ、2010年にカリフォルニアに来て、すぐにブラックハウスでトレーニングを積むようになった。アンデウソン・シウバ、リョート・マチダという素晴らしいメンバーがいて、その後は同じような体格のディエゴ・ヌネスも合流した。7カ月間ぐらい、ずっとディエゴと練習を続け、凄く良い経験になったよ」
──LA界隈ではペドロのノーギの強さが評判になっていたのですが、グラップリングの練習もブラックハウスで行なっているのですか。
「ブラックハウスでは指導と練習どちらもしている。そしてコブリーニャ(フーベン・シャーウス)がLAにアカデミーを出してからは、彼や彼の生徒たちと本当に良い練習が出来ている。柔術ドリルやストレングス・トレーニングも彼らとやっているんだ。道着とノーギ、どちらともね。週に2回は彼と練習しているよ」