【on this day in】9月02日──2013年
【写真】ラテン系でもここまで童顔は珍しい。にしても味のあるベルトだ(C)MMAPLANET
Pequeno in Rio
@ブラジル・リオデジャネイロ バハデチジューカ、ヘイナルド・ヘイジーニョ・アカデミー
「高級住宅街バッハに建ち並ぶ立派な一軒家の一つ。ATT所属のヘイナルド・ヘイジーニョの実家で、重厚な階段を2階に上がり少し奥まったところへ移動すると、螺旋状の梯子がさらに上へ伸びていた。その梯子を昇り、荒っぽく円状にくりぬかれた天井から頭を出すと、目の前に金網が迫ってきた。元は吹きさらしだった屋上にヘイジーニョはトタン屋根を施し、足元にマットを敷き詰め周囲をケージで囲んだ。ATTヘイナルド・ヘイジーニョ・アカデミーというべき道場へ通じる丸い穴から頭を出すや否や、『オ~イ、タカシーマッ!!』という声に続き、『ハジメマシテ』という日本語が聞こえていた。コンニチワとハジメマシテを混同しているブラジル人を僕は一人しか知らない。アレッシャンドリ・フランサ・ノゲイラ──21歳で初来日し、代名詞となるギロチンを武器に修斗のリングで一世を風靡したペケーニョだ。あのペケーニョも35歳になっていた。それでも、冒頓とした話口調や小動物を思わせるチョコマカとした仕種は何も変わっていない。変わったのは周囲だ。ペケーニョは日本が軽量級天国だった時代に先頭を走り、その覇権が北米に移ると乗り遅れた。2008年6月、WEC初陣でジョゼ・アルドに敗れ、本人には身に覚えのないホース・ステロイドが検出され(ってか、服用していたら死んじゃうでしょ)た。この年に開いたジムはパートナーに騙し取られた。『辛すぎたのか記憶にない』1年を後々まで引きずり、過去の存在になっていった。それでも一念発起した彼は、この年の8月にペルーのインカFCでハイキックによるKO勝ちで、フェザー級のベルトを巻いた。『リオはUFCグッズが溢れている。でも、誰も僕のことは知らない』──そんな現実を受け入れ、打撃とレスリングの練習に取り組んでいた成果か、その後もメキシコやブラジルで3連勝。近々の6試合は5勝1分としている。以前と変わらなくつぶらな瞳の持ち主が、日本のファンに『ハジメマシテ』という日が再びやってくるのも──格闘浪漫じゃないかと思う。ペケーニョは今も結果を残しているのだから」
on this day in──記者生活20年を終えようという当サイト主管・髙島学がいわゆる、今日、何が起こったのか的に過去を振り返るコラム。自ら足を運んだ取材、アンカーとして執筆したレポートから思い出のワンシーンを抜粋してお届けします。