【on this day in】1月26日──2009年
【写真】KJとのスパーで完全に気持ちがへこんでしまっていた宇野は、勇気を振り絞ってその足で柔術ユニバーシティへ。サウロ・ヒベイロ、ホジャーとの稽古で気持ちを持ちなおしたように見えた(C)MMAPLANET
Caol Uno in City Boxing
@カリフォルニア州サンディエゴ、シティ・ボクシング
「急激に変化、そして進化してきたMMA。リング中心の日本の総合格闘技と米国のケージMMAの違いが明確になり始めた頃、宇野薫は南カリフォルニアとラスベガスで出稽古の旅を行った。リングとケージではロープと金網ということだけでなく、角=コーナーがない、ロープの外に足がでない、広さという部分で明確な違いがある。その広さ、コーナーがないことでステップや距離感が変わった。スクランブルと寝技のトランジッションという部分でも、別モノになっていた(もちろん、裁定基準の違いもある)。リングやマット、あるいは畳の上で磨かれた技術は自由度を広げてケージに持ち込むことができた。同時にボクシング、ムエタイ、レスリング、柔術など個別のテクニックの完成度が、徹底的に高くなった。今からすれば当然のことが、宇野薫と11日間に渡り、道場を一緒に回らせてもらったことで理解できた。それは宇野が心身を削った、恐怖心と痛みを伴った練習のおかげだった。そう、KJ・ヌーンのボディを受けてダウンした時のように。その変化の激しさに、目の前が真っ暗になるような状況から立ち上がった宇野。日本で培った技術の精度を上げることで、北米MMAを消化できた。UFCとともに修斗にも思い入れのある宇野。中村好史の実力という要素以外で、その敗因を探ると──宇野の持つ2つの思い入れと、日本のMMAのインフラの遅れに行きつく。宇野はケージで戦うべきだった。ケージで戦わせてあげたかった……。KJとのスパーの後に浮かべた厳しい表情を今も昨日のように覚えているだけに、そう思う。同時に夢や目標は達成できれば格別だろうが、そこに向かって努力を続けることで人生が豊かになる──ことを教えてくれた感謝の気持ちは何があろうが、彼がどのような決断を下そうが、変わることはない」
on this day in──記者生活20年を終えようという当サイト主管・髙島学がいわゆる、今日、何が起こったのか的に過去を振り返るコラム。自ら足を運んだ取材、アンカーとして執筆したレポートから思い出のワンシーンを抜粋してお届けします。