この星の格闘技を追いかける

【on this day in】12月13日──2002年

12 13 02【写真】無名の相手にテイクダウンを許すも、すぐにスイープからマウント奪取。ブリッジで逃げるところに──105秒――腕十字を極めた。これが現役ファイターとして、マット・ヒューム最後の雄姿となる(C)Keith Mills

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@フロリダ州フォートローダーデール、ウォー・メモリアル・オーデトリアム
「全日本キックに来日し、パンクラスの存在を知ったモーリス・スミスが『ワシントンにもそんなことをやっている連中がいる』――と雑誌で発言した時のワクワク感を今も覚えている。UFCが始まる直前だ。殴って、蹴って、極めることをやっている人間が日本以外にいる。まだ寝技でグーで殴ることを厭わない柔術家達の存在は知らなかった。モーリスが言っていた連中こそ、マット・ヒュームその人だった。プロレスを経由しないマーシャルアーティストのマットは、パンクラスへ上がってもパンクラシストとは絶対的に異質の格闘技を見せていた。それはケン・シャムロックの戦いとも明らかに異質だった。そんな空気感の違いにマットは馴染めないまま、パンクラスを離れる。そしてエクストリーム・ファイトのエリック・パーソン戦やパット・ミレティッチ戦ではようやく、溌剌と戦う姿を見せるようになった。しかし、ミレティッチに勝利した1年後、アブダビコンバットに出場した彼はマットの隙間に足を取られ、ヒザを負傷。ATTのオーナー=ダン・ランバートの資金で開催された大会で復帰するまで、4年半の月日が流れていた。結局、マットはショーン・ピータースという選手をマウントからの腕十字で仕留めるもヒザが本調子に戻ることなく、この試合で現役生活にピリオドを打つことになる。MMAグローブをつけた試合では3戦3勝、それがケージの名伯楽マット・ヒュームの生涯戦績だが、その卓越したMMA頭脳は多くの名選手やイベント運営に今も生かされている」

on this day in──記者生活20年を終えようという当サイト主管・髙島学がいわゆる、今日、何が起こったのか的に過去を振り返るコラム。自ら足を運んだ取材、アンカーとして執筆したレポートから思い出のワンシーンを抜粋してお届けします。

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