【Colors03】グラップリング戦に出場。柔道出身の寝技師、中山有加「強くなりたいから柔術へ」
【写真】リベンジを賭けたグラップリングマッチに挑む中山(C)SHOJIRO KAMEIKE
3日(土)、東京都新宿区の新宿FACEで開催されるColors03のグラップリングマッチで、中山有加がカロリーナ・デ・アモリン・クワハラと対戦する。
Text by Shojiro Kameike
中山は柔道時代に全日本実業個人選手権や全日本選抜体重別の63キロ級を制し、ワールドコンバットゲームズの団体戦の優勝など国際大会の実績もある。2019年に柔道を離れ、柔術に転向。昨年はJBJJ全日本の女子アダルト紫帯ミドル級&オープンクラス、
アブダビワールドマスターズの紫帯で金メダルを獲得している。柔道時代から高い評価を受けていた寝技を武器に、今回はグラップリングマッチに挑む中山に、初インタビューを行った(※取材は7月30日に行われた)。
「お前は寝技が弱すぎるから、とにかく三角をやれ」
――お久しぶりです。柔道時代、大住姓の時に土居進トレーナーの「土居トレ」取材でお会いして以来となります。その中山選手が柔道から離れ、柔術に転向しているとは驚きました。
「そうですよねぇ。またこうして取材してもらえるとは嬉しいです」
――中山選手が土居トレーナーの指導を受けるようになったのは、いつ頃からですか。
「2012年か2013年ぐらいですね。土居先生が今のジム(SkyLive-R)を立ち上げる前から参加していました」
――当時は中山選手が柔道の70キロ級で試合をしており、土居トレーナーの進言で63キロ級に転向したと記憶しています。
「そうでしたね。もともと減量したくないから70キロ級で試合をしていたんですよ(笑)」
――減量したくない、とは?
「大学時代は57キロ級で試合をしていて、減量に失敗してしまったんです。あの頃は栄養とか体づくりの知識が何もない状態で。それで監督から『お前は減量するな』と言われて、70キロ級で試合をするようになりました。でも土居先生からは『その体は70キロ級の体じゃないよ』と言われ、63キロ級に落としたという経緯ですね」
――63キロ級に転向して以降、全日本実業個人選手権や全日本選抜体重別で優勝しています。階級を変更して体の動きが良くなりましたか。
「体のキレは増した感覚はありましたけど、やっぱり70キロ級の頃は相手が大きすぎたんですよ。逆に63キロ級だと、自分より力が強いと思う人と対戦したことはなかったです」
――柔道時代から寝技が得意だったそうですね。立ち技よりも寝技が中心になったのは、何か理由があったのでしょうか。
「もともと寝技は全然得意ではなかったです。大学時代も寝技で負けることが多くて。大学では矢野先生という方(矢野智彦監督)が寝技師で、『お前は寝技が弱すぎるから、とにかく三角をやれ』と言われたました」
――三角、というと……。
「三角絞めではなく、押さえ込みの三角ですね。4年間ずっと、その三角しかやらせてもらえなかったんです。そうしたら、いつの間にか三角が得意になって。すると立ち技よりも寝技のほうが好きになり、社会人になってからは『寝技の選手』と思われるようになりました」
――中山選手は岡山県にある環太平洋大学の出身ですよね。環太平洋大学の柔道部は、故・古賀稔彦さんが総監督を務められていました。つまり中山選手は古賀さんの弟子でもある、と。
「はい、そうなります。今となっては古賀先生に言われた言葉は本当にありがたいものばかりですけど――当時は毎回、鋭いことを言われていて(苦笑)。環太平洋大学は地方にいながら柔道に専念できる環境で、しかも古賀先生のような金メダリストの方に指導してもらうことができていました。私もあの柔道部で成長させてもらったと思っています」
――それと現在はMMAで活躍している渡辺華奈選手とは、柔道時代の同期にあたるのですか。
「昔からは一緒に練習していましたし、今でも仲が良いですね。お互いライバル視はしていたと思いますけど、JR東日本のチームメイトでもあって」
――そうだったのですね。その後、中山選手は結婚されて2019年の大会を最後に現役引退しています。
「もともとは2018年の講道館杯で負けて(3位)引退する予定でした。でも、まだ私の『試合がしたい』という気持ちを汲んでくれて、会社が皇后杯の予選まで出場することは認めてくれたんです。当時はJR東日本柔道部のコーチをしながら試合に出場して、本戦にも出られましたが……その本戦で引退するというのは決まっていました」
角田の金メダルはちょっとだけ嫉妬します(笑)
――以降はコーチを務めたあと退社して、柔術に転向するのですね。
「はい。実業団は毎年、会社との契約更新があるんですよ。そこで会社が求める結果を出すことができなくて。私としては現役を続けたかったけど、会社からの『コーチをやってほしい』という話を受けました。JR東日本ではヘッドコーチになって、その次はもう監督です。そこで、そのまま指導者として生きていく未来が見えちゃったんですよね。でも自分が本当にやりたいのは、選手を続けていくことで……だけどもう柔道では現役を続けられない。であれば寝技は好きですし、柔術をやろうと決めました」
――JR東日本という大企業の社員で、柔道部のヘッドコーチや監督となれば……。
「安定はしていましたね。辞めると言ったら、いろんな人に止められました(笑)」
――それだけ安定した生活を捨ててでも、選手として生きたかったわけですね。とはいえコーチに専念している間は練習量も減り、柔術の試合に出る際に支障はありませんでしたか。
「体のキレは落ちていました。練習量も減り、と同時に出産もしていたので。だから柔術の試合に向けて、ゼロから別の体をつくり上げていく感じでしたね」
――会社を退社した時点では、柔術を始めていたのですか。
「はい。週1回ぐらい柔術の練習はしていました。当時は柔道で強くなるために柔術やサンボの練習に参加させてもらっていて。柔術はパラエストラ東京の昼柔術に参加したり、サンボはkichijoji fitの安藤喜友先生にお世話になっていました」
――kichijoji fitのサンボ練習会には、柔道時代の渡辺華奈選手も参加していました。
「kichijoji fitに行っている柔道家は多かったですよ。今回のパリ五輪で金メダルを獲った角田夏実も練習に参加していたりとか。角田とは柔道時代、一緒に練習することもありました」
――柔道の現役時代と今では、オリンピックを見る視点も違いますか。
「どうなんでしょうね? 私は2016年のリオ五輪に向けて頑張っていましたけど、オリンピックに行くことはできませんでした。当時よりは皆を純粋に応援できるようにはなっています。私も別に柔道で悔しさとか未練があるわけでもなく、一生懸命やったけど上には行けなかったというだけで。今はまた柔術という別の世界で上を目指すことができるチャンスを頂けているわけですから。ただ、角田の金メダルはちょっとだけ嫉妬しますけどね(笑)」
柔術に転向しても柔道の強みは残したい
――アハハハ。その柔術では現在、茶帯を締めています。
「柔術は青帯から始めて、青帯で4カ月ほど経った頃に紫帯になりました。さらに紫帯になって1年ぐらいで茶帯に昇格しています」
――中山選手のように柔道の実績があると、柔術でも青帯の試合では余裕がありましたか。
「青帯と紫帯は、まだ余裕がありました。でも茶帯になって初めての試合は、今回の修斗興行で対戦するカロリーナ選手が相手で。何もできずに負けて(今年3月、MARIANAS PRO JAPANで対戦して一本負け)、『やっぱり茶帯になるとレベルが違うな』って思いました」
――紫帯までの相手と茶帯のカロリーナ選手では、何が一番違いましたか。
「何もかも違いましたね。技術も引き出しが多いし、技の連携も滑らかで。私も自分でパワーはあるほうだと思っていましたけど、決してパワーでは止められない。パワーで止めようとしたところを、スルスルっと極められました」
――柔道の寝技をやってきた中山選手にとって、柔術をやるうえで一番変えたところは何でしょうか。
「何でしょうね……難しいな。今でも『柔道をやっているよね』と皮肉を言われるので(笑)。私としては柔道の強みは残したいです。柔術だけの技術でいえば、本当にまだまだのレベルで。これまで柔道の強みだけで勝ってきただけですから。今ちょうど柔術の技術に変えようとはしているけど、まだ何も変わっていないという実感はありますね」
――一方、今回カロリナ選手との再戦はサブオンリーのグラップリングマッチです。これまでノーギの経験は?
「アンライバルドのアマチュアマッチに一度出させていただいたことがあります(2021年5月、ケイラ・アレン・シャクアンに一本勝ち)」
――同じ相手とギではなくノーギで対戦すると違いはありますか。
「前回ギでボコボコにされたので、今回も普通にやっていては勝てないと思います。今は1パーセントでも2パーセントでも勝てる可能性を上げるために練習していて。カロリーナ選手もギのほうが得意だろうという印象がありますし、私としてはノーギのほうがやりやすいかもしれない、と思っています」
――この試合の先に、柔術の世界で目指しているものは何ですか。
「私は単純に強くなりたいという気持ちで、柔術に転向しました。だからアダルトかマスターか、ギかノーギかというこだわりも無いです。今回のようなプロ興行に出させていただくのも、何事も経験だと思っています。これからもチャンスを頂けるのであれば、自分が納得するところまでやっていきたいですね」
■視聴方法(予定)
8月3日(土)
午後6時00分~ABEMA格闘チャンネル