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【NEXUS25】自衛隊で日本拳法、UFC JAPANを見て「向うで始めようと」──ジェイク・ウィルキンス─01─

【写真】 1992年7月26日、東京出身。日本と米国の国籍を持つ。父が米国人で、母が日本人でネイティブの言語は日本語というウィルキンス、米国で英語を身につけたそうだ (C)MMAPLANET

19日(日)、東京都新宿区GENスポーツパレスでNEXUS25が開催される。原則、当日計量で1階級上の試合というフォーマットで行われる同大会では、森山壱政✖須藤拓真、唐沢タツヤ✖寿希也のダブルメインが組まれ、他に第1部に河名マストのプロ3戦目、讃岐のプロシューター=高岡宏気が参戦。夕方からの第2部では新鋭ファビオ・ハラダ、2年1カ月前に修斗で涙の14年振りのプロ修斗復帰戦で勝利した西岡裕が初参戦するなど楽しみなカードが組まれている。

そのなかで要注目はジェイク・ウィルキンスだ。竹上航平と戦うウィルキンスは2019年全日本アマ修斗ライト級優勝、7月のプロ初陣では前述した河名を破っている。河名戦の勝利後は星条旗と日の丸を掲げ、流ちょうな日本語を操った──謎が謎を呼ぶ注目株に初インタビューを試みた。


──MMAPLANETで初インタビューとなります、ジェイク・ウィルキンス選手です。ネクサスでプロ2戦目、今の気持ちを教えてください。

「少しケガがあってモチベーションが落ちたこともあったのですが、切り替えて気持ちも上がってきて、体重も前回より上手く落とせているのでコンディションは良いです」

──7月のプロ初戦ではグレコローマンのU23世界王者だった河名マスト選手を相手に、ハイキックによるカットでTKO勝ちを収めましたが、試合後も河名選手に注目が集中してしまいました。

「僕はSNSとか見ない人間なんですけど、友達からは『負けたアイツの方が話題になっているよね。なんで、ジェイクは上がんないのかよ』という声は結構聞きました(笑)。僕は全然構わないのですが、やっぱりレスリングで強かった人は日本では評価されるということなんでしょうか?」

──話題にはなります。ただし、勝ったジェイク選手も取り上げるべきところで申し訳ないです。そして河名選手と同様に、あの勝利後でRoad to ONEなので戦うチャンスが巡ってきてほしかったですね。

「どこからも声は掛からなかったです。フリーだから、そういうのが関係あるのかもしれないですね」

──そもそも論として、ジェイク選手はなぜそんなに日本語が上手なのですか。

「あっ、僕は母親が日本人でずっと東京で育ったんです。22歳の時に渡米して、5年ほど向うにいて。MMAも米国で始めて、アマチュアの試合に出ていました」

──そうだったのですね。なぜ、米国へ?

「高校を卒業してから陸上自衛隊に入り、日本拳法をやっていました。元々MMAには興味があったのですが、見るものでした。でも日本拳法をやって、やる方にも興味を持つようになり、その頃に……2012年とか2013年にUFCの日本大会がありました。あの大会を見て、MMAをやりたいという気持ちが強くなったんです。

で、どうせやるなら僕は二重国籍で米国籍もあるので米国でやろうと思い──渡米の2カ月前にTRIBE TOKYO MMAに行くようになりました」

──そして、2カ月後に米国へ?

「ハイ。父親がニューメキシコ州に車で30分ぐらいのテキサス州セミノールという街に住んでいたので、半年ぐらいそこにいて全く有名でない小さなジムで練習していました。ほとんど白人とメキシカンの街で、黒人も少ない──アジア人は全くいない街でした。でもMMAをやるならLAだろうと思い、引っ越してホーソンにあるジムで入りました。

今、UFCにいるクリストフ・ギアゴス、UFCでは勝てなかったテリオン・ウェアとかがいるシステムズ・トレーニングセンターというジムで、当時アマチュアの試合にも3度ほど出ました」

──そこまでやって米国でプロの試合に出ようとは?

「実は向うで携帯のショップで働いていました。ミツワ・マーケットプレイスっていう日本のスーパーマーケットにある」

──えっ、あのミツワですか!! サンタモニカとトーランス、どちらのミツワだったのですか! 米国取材中はカルバーシティの友人の家にいつも世話になっていて、どちらのミツワも頻繁に訪ねていました!!

「トーランスの方です。入ってすぐに携帯ショップがあったのを覚えていないですか?」

──いやぁ、そこまでは。ただ本屋さんがあったのは覚えています。フードコードのワキにある日本茶屋さんでグリーンティーを飲んで(笑)。

「本屋の向かいですよ。僕が働いていたの!! ドコモとKDDIがあって、僕はKDDIで2014年から2016年まで2年間、働いていました。でも、あのトーランスのミツワはもうあの場所にないんですよ。デルアモ・モールの中に移ったらしくて」

──デルアモといったらノードストロームが入っていたモールですね!! そうなのですか……なんだか、心のふるさとがなくなったような気がします。いや、スミマセン。全く話が横道にそれてしまって。その時は働きながらで、プロのMMAは経験する機会がなかったと。

「ハイ、ぶっちゃけていうと中途半端で、生活を安定させるのに仕事中心の生活になって、練習もそれほどしていなかったんです。そうしたら、ある時テキサスにいる父親から『お前は何をしに米国に来たんだ。いい加減、ちゃんとMMAにフォーカスしろ』という電話が入ったんです。

ジャクソンウィンク時代のウィルキンス(C)JAKE WILKINS

それでちゃんとやろうと思ってニューメキシコ州アルバカーキにあるジャクソン&ウィンクMMAで練習するようになりました。

仕事も辞めて、最初は12時半から始まるアマチュアのクラスで練習していました。コーチがジョーイ・ヴィラセニョールっていうPRIDE武士道で長南さんと戦ったこともある人で。

ジャクソンズの2階が寮で、そこで寝泊まりし2部練、3部練をして、夜はダウタウンのレストランで働いていました。結局、1年半ほど練習していましたけど、ジョン・ジョーンズはアマチュアの自分なんかにも、向うから話しかけてくれて凄く良い人でしたよ」

──ジャクソン・ウィンクルMMAでもプロの経験はなかったということですね。

「ハイ、アマチュアMMAはトータルで6戦して州対抗戦のニューメキシコ✖アリゾナ戦に出て、僕の蹴りが股間に当たってNCになってしまいました。その後はラスベガスのREAL MMAというアマのベルトを獲り、アマでは2本をベルトを巻いて……日本に帰りたいという気持ちが大きくなって戻ったんです」

──米国でプロデビューしなかったのは、勿体なくないですか。

「う~ん、実はホームシックが凄かったです。もう5年以上、日本に帰国したことがなくて。それにニューメキシコ州は凄く田舎で、アルバカーキはショッピングモールが2つぐらいしかなくようなところで。僕は東京育ちだったので、ビルが恋しくなりました。結果、2018年の終わりに戻りました」

<この項、続く

■ NEXUS25対戦カード

<ウェルター級/5分2R+ExR>
カタナマン二世(日本)
前田啓伍(日本)

<バンタム級/5分2R+ExR>
田口滉人(日本)
道端正司(日本)

<ウェルター級/5分2R+ExR>
木村裕斗(日本)
西尾真輔(日本)

<フライ級/5分2R+ExR>
北野一声(日本)
古賀優兵(日本)

<フェザー級/5分2R+ExR>
中桐涼輔(日本)
長谷川寛人(日本)

<フェザー級/5分2R+ExR>
ジミー西(日本)
西岡裕(日本)

<フェザー級/5分2R+ExR>
村井和道(日本)
大谷啓元(日本)

<フェザー級/5分2R+ExR>
高杉遼介(日本)
井上皓平(日本)

<フライ級/5分2R+ExR>
小林了平(日本)
空(日本)

<フェザー級/5分2R+ExR>
諏訪部哲平(日本)
ファビオ ハラダ(日本)

<フェザー級/5分2R+ExR>
唐沢タツヤ(日本)
寿希也(日本)

<フェザー級/5分2R+ExR>
森山壱政(日本)
須藤拓真(日本)

<フェザー級/5分2R+ExR>
山口力(日本)
十河卓児(日本)

<ライト級/5分2R+ExR>
ジェイク・ウィルキンス(日本)
竹上航平(日本)

<ライト級/5分2R+ExR>
小森真誉(日本)
島村裕(日本)

<バンタム級/5分2R+ExR>
藤原俊樹(日本)
アオキング一輝(日本)

<ライト級/5分2R+ExR>
森崇純(日本)
河名マスト(日本)

<バンタム級/5分2R+ExR>
勅使河原稜太(日本)
高岡宏気(日本)

<フェザー級/5分2R+ExR>
谷育磨(日本)
森永ユキト(日本)

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